第5話

文字数 1,261文字

 逸見の住む山の麓にたどり着いたとき、時刻は十六時で西日が眩しい時間帯だった。もともとはこの時点で十七時になっている予定だったので、順調にきていることになる。
 休憩がてらトイレや食料の調達を済ませようと、目についたコンビニの駐車場に車を停めた。ここから慣れない山道を少なくとも二時間は走ることになる。できるだけの準備をしておきたい。
 コンビニで用事を済ませ、車に戻ってから逸見に電話をかけた。麓までたどり着いており、あと二時間ほどで着く旨を伝えた。逸見は<AER>を起動させる準備で忙しいのか、「了解」とだけ言ってあっさり電話を切ってしまった。俺はコンビニで買ったあんぱんと牛乳を口に入れて、すぐに車を発進させた。

 くねくねした山道はある程度の道幅が確保されていて運転しづらくもないが、進むにつれて樹木が高くなり、光量が減ってきた。不安がじわじわと広がってくる。時間には余裕があるはずだが、先般まで保っていた余裕は完全になくなった。FMを聴く気にもなれず、うなるようなエンジン音だけが車内に鳴り響いていた。
 左側に急斜面を見下ろし、右側に岩壁が反り立つ道を進んでいるときのことである。
 俺は急ブレーキを踏んだ。カーブを曲がった先に何かがいたからだ。
 それは人間だった。
 白いひげを生やした痩せた老人である。
 山道を歩くためか、赤いダウンジャケットをはおり、大きなバックパックを背負っていた。ニット帽からは白い長髪が出ている。老人は両手をバックパックの肩紐にかけて道路を横断する格好で横向きに立っており、首だけこちらを向けて、大きな目玉でじっとこちらを見ていた。小揺るぎもせず、立ち尽くしていた。
 数秒待ってみたが動かないので、クラクションを鳴らしてみる。間近で鳴らされた大音量にたじろいだ様子を見せたが、それでもまだ道をあける様子がない。仕方がないので少しバックさせて反対車線から避けて進もうとした。
 するとこのジジイは急に俊敏に動き出し、車の目の前に立ちふさがった。
 腹が立ったので車窓を開けて首を出し、声を張り上げた。
「どいてくれ! 何か用か!?」
「……乗せていってくれんかのう?」
 ジジイはか細い声で言った。
「ヒッチハイクか。急いでるんだ。他をあたってくれ!」
「頼む。このあたりは車がめったに通らん」
 俺はアクセルを踏みエンジン音を鳴らした。ジジイの顔に薄い恐怖の色が見えたが、すぐにその場に立ち続ける断固たる意思が表情に戻ってきた。
 俺は言った。「本当に急いでるんだ。それに、俺は山を降りない」
「どこでもかまわん。人がいる場所に連れて行ってほしい」
 ため息が出た。面倒は避けたい。
 また轢いてしまうことを考えてしまった。だが、そちらの方が面倒だ。
 仕方がない。
「乗れ」
 逸見の家の近くには数軒ほど民家があったはずだ。近くまで来たら無理やりに降ろしてしまえばよい。
 ジジイは礼を言い、後部座席に乗り込んできた。
 死体のことが気になった。しかし、よほどのことがない限り後部座席の奥にあるトランクなど見ることはあるまい。
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