第6話

文字数 879文字

 車を走らせながらジジイの素性を確認することにした。
 バックミラー越しに顔を見ると、はじめは緊張からか所在なさげに座っていただけだったが、話しているうちに気を許してきたのか、徐々に表情を緩めて色々と語るようになってきた。何でもこのジジイは麓の町のとある事務所で仕事をもらって生計を立てていたのだが、大きなミスをしたので荷物をまとめて山へ逃げ出してきたらしい。それは昨日のことだった。
「数日逃げれば大丈夫だと思っていたが、この歳だ。冬の山は体にこたえてな。もう限界だった」そう言ってジジイは弱々しく笑った。
「笑い事じゃないだろう。一体何をやったんだ?」俺は詰問した。
 ジジイは笑うだけで答えなかったが、あまり深入りもしたくないので話題を変えた。煙草を吸いたいと言ってきたので許可してやった。

 一時間ほど山中を走っていると、ジジイとのドライブはなかなか心地よいものになってきた。
 彼はこれまでの人生について順を追って語ってくれたのだが、それが良い退屈しのぎになったのである。若い頃は事業を立ち上げてアメリカで商売をしていたが、やがて立ち行かなくなり大きな借金を抱えて日本に帰ってきた。その後は、詳細は聞かなかったが様々な手段で生活費を稼いで生き抜いてきたのだという。妻と子供がいた時期もあったが、その生活も破綻した。
 大変だったな、と言うと「私なりに精一杯やってきたつもりだし後悔はない」と笑った。
「しかし一点心残りがあるとすると、女だな。女房と結婚する前に一緒に暮らしていた別の女がいてな。アメリカに行く前だよ。色々とタイミングが合わずに別れちまったんだが。――結婚している間もずっとその女のことを考えてたよ。やり直すきっかけがあるのなら、すぐ家庭を捨ててそっちに走ってもいい、って。でも別れて数年で大病をやって、すぐに死んじまったっていう話を聞いてな」
 ジジイはゆっくりと煙草を吸い、大きく吐き出した。
 俺は黙ってハンドルを握っていた。ふと、冷たい空気を頬に感じた。煙が車内にこもらないよう、後部座席の窓を少し開けていたのを思い出した。
 日が暮れつつあった。
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