内覧会・6

文字数 2,257文字

 食物連鎖のてっぺんにいるはずの熊が、血を流して倒れている。
 秀一と翔はソロリソロリと熊に近付いていった。

「ここで待ってる」

 信乃は近づくことをためらい、獣道の出入り口のあたりに立ち止まったままだった。

「わかった。確認だけしたら、すぐに帰ろう」

 雲行きも怪しくなってきているし、もう昼になろうとしている。それぞれの両親も心配しているかもしれない。
 ここに長居をするつもりはなかった。
 ただ、どう見ても目の前の熊の死骸は異常だったし、大人に報告するためにも一度確認をして、それから戻ろう。その時秀一はそんなふうに考えていた。
 近づくと、血の臭が強くなる。秀一だけでなく、翔も、信乃さえも、その臭いを感じているはずだ。
 近くで見ると、熊の首には、パックリと開いた傷があった。
 食いちぎられたという感じではなくて、鋭い刃物――しかもかなり大きなもの――を使って一太刀で切られた、そんな傷だった。そこからまだ血が流れ出している。
 それ以外の外傷はさっと見たところ確認できない。
 誰かが熊を殺した。
 しかも、たった今。
 たったの一撃で。
 こんなことができるのは獣ではないだろう。もちろん人間にだって、不可能に近いのではないか?……こんなにスッパリときれいに首のみを狙って熊を殺せるような人間が、いるだろうか?

 もしいたとしたら?
 その者はかなりの手練である上に、常日頃刃物を持ち歩いているような人間?
 そんな人間、この九十九学園が所有する山中にいるわけがない。
 しかし、人間でないとするなら、人外か?
 そりゃあ、今日は人外の者たちが多くこの山の中に集まっているわけだけど、内覧会へやってきた者が、こんなことをするだろうか?

 そんな疑問が一瞬のうちに秀一の脳内を駆け巡った。
 ふと気がつくと、秀一の背中には冷や汗が吹き出していた。
 帰ろう。
 そう言おうとした矢先、背後で短い悲鳴が上がり、周囲から複数の気配が立ち上る。
 熊の上にかがむようにしていた秀一と翔が振り返ると、周囲はもうすでに、十人ほどの黒い服を着た者たちに取り囲まれていた。
 全員が黒の服を着ているが、揃いというわけではない。ジャケットを羽織っているものもいれば、タンクトップのものもいる。ワークパンツのものもいればジーンズのものもいる。
 性別も姿かたちもてんでんばらばらだ。
 逞しい体つきのものが多いが、中には痩せているものもいるし、手足の長いものや、猫背のものもいる。
 その一人ひとりから、殺気に満ちた『気』が立ち上っていた。
 自分たちを取り囲む者たちに一通り目を通した秀一は、彼らの中に一人だけ、秀一たちと同い年ほどの子ども(・・・)が混じっているのに気がついた。
 色白のほっそりとした少年で、体格は信乃とほぼ同じくらい。ショートボブの髪型も似ているため、顔を見なければ、一瞬信乃が立っているのかと思ってしまうほどに、その少年と信乃はよく似ていた。
 けれども、と秀一は思う。
 目が、違う。
 少年の目は、黒目が小さくやや上に寄っていた。いわゆる、三白眼と呼ばれる相貌である。それと、口元にある黒子が印象的だ。
 その少年の斜め後ろに、いやに大きな男が立っていて、腕にぐったりとした信乃を抱えていた。
 男の足元には、郁子の実が転がっている。

「誰だ、お前ら」

 秀一と翔は無意識のうちに背中合わせになった。

「やあ、はじめまして。大神秀一くんと、天羽翔くんだよね」

 小さな声で、少年が言った。つぶやくようなかすれた声だった。
 どうやら一番年若いように見えるこの少年が、ここにいる者たちのリーダーであるらしい。

「僕は八尋弓弦。憶えておいてね。ああ、僕たちが誰かという質問だったよね。まあ、なんていうか、学園建設反対派っていえばいいのかな? 人間と手を取り合って、人間の中に溶け込んで、陽の光の中で生きていく……っていうの? ありえないよね」

 少年の口元は笑っているように釣り上がっていたが、秀一を凝視する瞳は笑ってはいない。
 会話の間にも、二人を取り囲んだ者たちは、ジリジリとその環をすぼめていた。

「そのクマはとても役に立ってくれたよ。君たちの気をそらしてくれたし、クマの血の臭いは、僕たちの気配を消してくれただろう?」
「殺したのか?」 

 秀一は聞いたが、弓弦はひょいと肩をすくめただけで、それには答えなかった。

「じゃあ、僕はもう行かなくちゃ。先祖返りの能力者は頂いていくね?」

 それだけ言うと、弓弦は踵を返して、獣道の向こうへと消えていく。信乃を抱いた大柄な男も、その後に続いた。

「待てよ!」

 秀一は地面を蹴り、取り囲む大人を飛び越えて、その向こうに消えようとしている少年と、信乃を抱きかかえた男へ一直線に飛びかかった。が、黒服の一人が、跳躍した秀一の前に移動しながら腕をひと振りする。
 その手の中には大人の腕ほどもある、鎌のようなものが握り込まれていた。
 勢いに任せて飛び出していた秀一は慌てて身体を反転し、地面に転がる。

「秀一!」

 秀一に一呼吸遅れて動き出した翔が、低い姿勢のまま突進し、鎌男に体当たりをした。翔のタックルを躱すことのできなかった男はその場に崩折れたが、間髪をいれずに周囲を取り囲んでいた者たちが翔めがけて踊りかかる。

「翔!」
「信乃を追え! 俺は大丈夫だ! 信乃を!」

 翔の声を聞いた瞬間、秀一は小さな空き地を後にしていた。
 迷いはなかった。
 どくん、どくんと、こめかみのあたりの血管が脈打ち、頭の中は真っ白で、ただ本能の命じるまま、林の中を走り抜けていった。
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登場人物紹介

山津見神の拳族である大神家の跡取り息子。フランスから大神家へ嫁いできた母親は秀一を産むとすぐに大神家に仕えていた男と駆け落ちをしてしまったために、彼に母親の記憶はない。お手伝いの露を母のように慕っている。のちに先祖返りの能力者安部信乃の第一守護者となる。

本来わがままリーダータイプだが、成長するにつれ、物腰柔らかな優等生タイプへと変わっていく。

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