第7話

文字数 2,395文字

「花井くん、遅かったじゃないか」
「店長、ゴメンね。だって特別旨いやつって言ったからね、豆、挽き置きじゃなくてブレンドするところから始めたのよ」
「そうか、ありがとう。君の淹れてくれるコーヒーは美味しいからな」
「でしょう? 今日は暑いから少し酸味強めにしました」得意満面。
「スタッフさんとの関係は良好ですね」
「ああ、若い者はいい。特に今回のことでは花井くんにも色々と教えてもらった」
「若い者に教えを請う。なかなかできることではありません。そこらへんもお店が流行っている秘訣なのでしょう」
 石田はにっこり微笑んだ。コーヒーを注ぎ終わった彼女はすっとカップを差し出しながら聞いた。
「ねえ、店長、もしかしてあの話?」
「ん? ああ。そうだよ。こちらが例の天宮さんだ」
「ふうん。この方がそうなんだ。あ、わたし花井と申します。花井香織です。本当に早く解決するといいね。じゃ、わたし、仕事に戻ります」
「ああ、ありがとう。そうそう花井くん、後でまたちょっと話を聞かせてもらうよ」
「はーい。了解でーす」
 彼女はかわいく返事をしてすぐに部屋を出て行った。腰の辺りでピンクのリボンが揺れていた。俺は思わず見とれてしまう。
「彼女かわいいでしょう?」
 またしっかり見られている。まったくすごい観察力だ。しかし次に石田が話した内容は決してお笑いネタではなかった。
「彼女ね、今はああやって元気になったけれどもね、実はあの子のお母さん、あの子がまだ五つの時に、やはりあの地震で亡くなっているんですよ。あの子がうちの面接に来て、その話を聞いた時ね、とても他人事ではないような気になってね、ぜひとも彼女には辛い思いをした分、幸せになってもらいたいと思うわけです」
「そうなんですか、それはお気の毒に」
 茶目っ気たっぷりな態度に反して彼女には重い過去があった。さっき入り口で俺を見た彼女から僅かに感じた古い本の匂いはこれだったのか。もう二十一年も前のことなのに、いや、おそらくいくら歳月が経とうとも、決して癒されることはないのかもしれない。人は見かけではわからない。
「さて、旨いコーヒーも出て来たことだ。どうぞ遠慮せずに召し上がってください」
「ありがとうございます。ああ、それとさっき彼女は、あの話って言ってましたが、今回の件、皆さんもうご存知のことなんですか?」
「ええそうです。ちょっとこれを見てください」
 石田はそう言うと、デスクの上のノートパソコンのスイッチを入れた。
「店はオープンして、順調に客を増やして行きました。立地の良いこともあったが、食べナビの効果は絶大だった。ところが、ある日、不思議な噂がネットの中で広まった。発端はある客の食べナビに投稿したコメントだった。これです」
 俺はノートパソコンに映し出された食べナビの紹介ページをじっくり調べた。
「別に、おかしいところは見当たりませんが」
「うん。おかしいところなどない」
「では何が?」
「写真ですよ。店内の」
「これは先日見せていただいた物と同じ写真ですね」
「ええそう」
「変わったところはないと思います」
「口コミのページをクリックしてみてください」
「566件! すごい数だ」
 俺はコメントにざっと目を通した。あまりの多さに辟易しそうだ。しかし、初めのころのコメントは店の雰囲気だとか料理だとか景色の良さだとか、ごく普通のコメントだったのに対し、二百五十を超える辺りから少しずつその内容が変わって来ていた。長い感想ではなくて一言のものが大半を占めていた。
「気付きましたか?」
 俺はもう一度最初のページに戻ってその写真をじっくりと見た。
「これ」
 石田は一枚のA4サイズに引き伸ばした例の写真を差し出した。俺はその写真を食い入るように眺めた。
「あれ?」
「これはそのホームページの写真を焼き増ししたものだ。つまり元は同じもの」
「同じ? そんなことって」
「実はこれは他のサイトにまで飛び火して詐欺まがいだとか、釣り、だとか、まああることないこと書き込まれてとんでもない騒ぎになって、いわゆる炎上ってやつらしいです。確かにそれ目的でやって来る客も増えました。店としてはある意味儲かってはおりますが、今度はまたそれが炎上商法だとか碌でもないように書かれておるわけで、幾ら儲かっても私はちっとも嬉しくも何ともありません」
 俺は目を皿のようにして口コミ欄を読み漁った。そしてようやくその一番最初に書き込まれたコメントにたどり着いた。
257 『お料理すごくおいしかった。夜景も素敵。ライトアップされた明石海峡大橋に感動! デートには最高のレストランですね。また来ます。ごちそうさまでした。それと、あの、上の写真に写っている人のことなんだけど、写真、いっしょに見ていた彼氏と話が食い違うんですが』
258 『え? どの?』
259 『窓辺の席に座っている白のワンピースの女性でしょう? 髪の長い、向こうを向いて座っている。それが何か?』
260 『いねえよ。そんなもん。白って百合の花しかねえよ』
261 『え? そんな人…………いないよ?』
262 『いないね、いない、いないよ。そんな人』
263 『あたしもいないって思った。けど、会社の同僚はいるって。怖いよ』 
264 『わたし、食べナビに問い合わせしてみたよ。そしたら登録は一回しかしていないし、アップデートされていないようなので複数の写真を載せるのは無理だって。そんなことある?』
 それ以後、いる、いないの論議は最後までずっと続いていた。いない。見えないと言う意見が圧倒的に多かったが、おおよそ二十件に一件ぐらいの割りで確かにいる。見えると書き込んでいる者もいた。それが実際に見えたのか便乗したのかはわからないが、人によっては見える人と見えない人がいることは確かなようだ。
                                    続く

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