第5話

文字数 2,090文字



 次の日曜日。
 俺は石田の経営しているレストランを訪ねることにした。行楽日和だと言うのに、大阪を離れる高速は意外にすいていた。渋滞を覚悟していたのにすっかり拍子抜けだ。
 阪神高速神戸線の若宮ランプで降り、そのまま国道二号線を走ることにする。店は神戸市の西の外れ、舞子と言うところにある。神戸というより明石の手前と言った方がわかりやすい。
石田からは、午後三時に店に来るように言われていたので、余裕を見て午後一時に家を出た。今二時だからまだ一時間もある。早く来すぎてしまった。
 本来ならば第二神明道路をそのまま乗り継げば早いのだろうが、あえて高速には乗らなかった。思い通りに走ってくれない俺に対し、カーナビの彼女が何度か拗ねて元の道に戻るように不満を言ったが、俺は無視し続けた。やがて彼女は根負けして黙りこんだ。それでいい。時間も早すぎるし、何より俺は海沿いの景色を楽しみたかったのだ。
 国道二号線。通称2コク。2コクはスムーズに流れていた。とても快適だ。爽やかに晴れ渡る空。右手には道路と並行してJRの高架、左手の青い海は大阪湾の西端で明石海峡を越えると瀬戸内海へと名称が変わる。そして左前方には大きな明石海峡大橋が見える。橋脚の白が美しい。
 海水浴シーズンになれば、この辺り須磨浦周辺は大渋滞するのだろうが、今はまだ五月下旬、海開きには少し早い。高速を降りて正解だ。
 のんびり走ったにもかかわらず二十分程で目的地に到着した。石田から聞いていた店の名前はStarry night。よく北海道辺りの牧場の入り口にあるような木製の立て看板に横文字で書かれていた。
 専用駐車場に車を入れようとしたが満車で停められない。少し待つか、いや休日の午後だ、客は早々動かないだろう。仕方なく少し離れた有料駐車場に停めて歩くことにした。店は盛況だ。
 車から降りた俺は空を見上げた。まったく迷いのない青だ。厚かましいぐらいに晴れ上がっている。こういう空を暴力的な青と言うのだろう。自然に向かって言うのもおかしな話だが、天候を司る者がいるなら少しは遠慮してほしいものだ。日陰の住人にはやけに眩し過ぎる。
 海沿いの道を少し歩くと、護岸の向こうから立ち昇る磯の生臭い匂いが鼻を突く。その昔、海での仕事を生業にしていたのだが、溺れて生死の境をさまよって以来、俺は海が嫌いになった。
 そして店の前まで歩いて戻ると、案の定駐車場に空きの表示。やはり少し待てばよかった。ま、それでこそ俺らしい。人生そんなものだろう。
 レストランの入り口は重厚な木製の扉で今は開け放たれていた。冷房を入れるには少し早い。かといって締め切ると暑い。爽やかな天気も相まって今日は開放がちょうど良いのだろう。 
 入り口の左右にはテラスがあり、その上には一際目を引く派手なテント。イタリア国旗のトリコローレだ。その下にも幾つかテーブルが設けられていたがけっこう客がいた。板張りの床、木の丸テーブル、木の椅子。これも石田のナチュラル趣向なのか、それとも改装前の名残なのかわからないが、落ち着いた雰囲気でなかなか良い趣味だ。トリコローレのテントだけは取って付けたようで何だかミスマッチだ。
 テラス席の客たちを横目に、俺は店内に足を踏み入れた。一人ぼっちで来るところではないと思った。
「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」
 ウェイティングボードの前で立ち止まる俺の下へ一人のウェイトレスがやって来た。
(ん? どこかで会ったか?)
 俺を見る彼女から、ほんの微かに古い本の匂いがした。いや勘違いだろうか。何だろ
うこの違和感は。
「お一人様ですか?」
「ええ」
 記憶の糸をたどる俺の様子を気にするでもなく、彼女は溌剌としている。よく見る
とかなりの美人。そしてかわいい花柄のエプロンから溢れんばかりの大きな胸。見て
はいけないと思うが気になって仕方がない。はてこの子は誰だったか。こんな美人を忘れるなんて俺らしくもない。
「当店、午後は四時までの営業となりますがよろしいでしょうか?」 
 銀のトレーを左手で抱えて、この初夏の陽気に負けないぐらい明るく大きな声だ。
「いや、あの、石田オーナーさんはいらっしゃいますか?」
「はい。どちらさまでしょうか?」
 急に声色が変わった。
「天宮とお伝え下さい」
「あ! かしこまりました」
 彼女は何かを思い出したように、慌てて踵を返して奥の方へと急ぎ足で去った。その後姿、ウエストがきゅっと締まった良いスタイルだ。白い七部袖のナチュラルシャツに黒のパンツ。淡い花柄のビブエプロン。腰で結んだピンク色のリボンが揺れていた。これも石田の趣味なのか? ううむ、かなりのやり手だ。駐車場が満車で停められなかったことも頷ける。
 健康的な色気を振り撒く彼女を見送り、俺はぐるっと周りを見回した。店内は明るいせいか、あの写真よりもずっと広く感じられた。見たところ女性客の割合が多いが、若いカップルの姿もがちらほら見える。ドライブデートには最適なロケーションなのだろう。
                                   続く
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