私の事情

文字数 2,332文字

大崎地所の副社長大崎リエの秘書、山田真司と知り合ったのは、彼の勤めている大崎地所が施工販売を行う高級リゾートマンション「ネニュファールⅠ」の広告をうちの蒼井工芸が請け負ったからだ。パンフレット制作の為、何度か彼と連絡を取っている内に私達は恋に落ちた。その頃、彼は副社長の秘書では無くて、営業部にいたのだ。
 
 夫婦でアメリカ支社に行っていた大崎リエが離婚して東京の本社に帰って来た。そして、私の恋人である彼「山田真司」に目を付けたのである。
 昨年の4月、彼は突然副社長の秘書という辞令を渡された。彼は私に心配を掛けたくなかったのだろう。秘書の仕事について何を言うでも無く、淡々と仕事に行っていた。だが、日々疲労の色が濃くなる彼を見て私は秘かに心配をしていた。何故なら噂はウチの会社まで流れて来たからである。
「ネニュファールⅡ」の仕事が終わったら私と彼は結婚する予定である。私と彼が婚約していると言うのを知っているのは、ウチのボス蒼井信一郎(私の伯父であるが)、だけである。
ボスは現在の仕事が終わるまでは内密にしておいた方がいいと言った。彼も私も仕事の事を考えてそうした方がいいと思った。
 
 下層階には大崎地所の社員とうちの営業部の飯田部長が待っていた。飯田部長は大崎地所のY市支店に寄って打ち合わせをしてからこちらに来たのだった。
「これは、大崎副社長。お世話になっております」
飯田部長は副社長に最敬礼をする。
「ご苦労様」
リエは軽く頭を下げる。
「じゃあ、これから先はうちの担当の者が案内しますから。それで宜しいですね」
バックからスマホを取り出しながらリエはそう言った。

飯田部長は直立不動の姿勢で言った。
「はい。先程、Y支店長の田中様の方からそう伺っております。本日は副社長自らのご案内、誠に有難う御座いました。」
「あら、宜しいのよ。あの部屋は私共でも拘りをもって造らせて頂いておりますの。
まあ、どちらかと言いますと私の好みね。コンセプトは極上の休日よ。だから私が案内するのが一番かと思いましたの。お話はお宅の社員さんにお聞きしてくださいね」
大崎リエは微笑みながら言った。
「はっ。有難う御座います」
部長は答える。

「さて、それでは私は所用がありますので。どうぞ、ごゆっくり。では、蒼井工芸さん、パンフレットとサイトの方、宜しくね。前回のも良かったわよ。今回はあれの上を行く出来にして欲しいわ」
 私は「ご期待にお答えできます様にチーム一丸となって取り組ませて頂きます」と言って頭を下げた。
 リエは私達を一瞥すると「じゃあ、山田。行くわよ」と言って歩き出した。
秘書は「では、宜しくお願い致します」と言って頭を下げ、彼女の後を追う。

「おい、見送り、見送り」
飯田部長が小声で言う。
私達は副社長の後を追う。
大崎建設の社員達も足早に後を追う。

大崎リエと真司さんの会話が聞こえて来る。
「山田。あの大森山の料亭、予約してくれた?」
「はい」
「じゃあ、そこに寄って美味しいご飯を食べてから帰りましょう。それから近くに苺狩りがあったわね。そこも覗いてみましょう。いちご狩りなんて楽しそう」
そして後ろを振り向いて言った。
「ねえ、近辺の施設、ちゃんと調べて載せてね」
「はい。勿論です。全て調べます」
部長が返した。
二人は笑いながら歩いて行く。
リエが真司さんの腕を取り、彼はそれをそっと外す。

その後姿を悲しい思いで眺める私。仕事とは言え、あの腕は何とかならんのかい。
あれ、セクハラじゃないの?
これは帰ったら絶対に言ってやる!
あそこまで言いなりになる事は無いんじゃないんの!って。

部長がこそこそと私に耳打ちをした。
「あの二人、出来てんのか?」
私はむっとしたまま答えた。
「そんな訳無いでしょう」
「大体、副社長の方がかなり年上ですよ」
「そんなの関係無いんじゃないの? でもなあ、あの秘書、いい男だからなあ。仕事も出来るし。ありゃあ出来ているな。賭けてもいい」
「……」
私は無言で歩いた。大金を賭けて部長から金をぶんどってやろうかと思った。
同時にひどく胸が痛んだ。
目の前を楽し気に歩く、あの二人を見ていたら涙が浮かんで来る。やっぱり来なければ良かったと思った。でも、大崎地所の担当チーム、WEB版担当は私と飯田部長と小田がメインである。その中でも飯田部長はかなり使えない。だから来ない訳には行かない。
真司さんは毎日会社に行って、あんな風にあの女と過ごしているのだろうか……。

彼を信用しない訳じゃ無いけれど、ちょっとショックだった。
いや、かなりショックだ。
やっぱりどこかの支社へ転勤願いを出した方がいいかも知れない。いっそ海外にでも。
そんな事を考えながら歩く。

黒塗りのベンツがやって来た。
Y支社はわざわざレンタカーを借りたらしい。
秘書がドアを開け、後部座席にリエが乗り込む。
真司さんは私達を見渡して「宜しくお願い致します」と言って頭を下げた。私は視線を下げたままで彼の顔を見なかった。
部長が「こちらこそ宜しくお願い致します。またご連絡を差し上げます」と言った。
ちょっと間が開いた。
「では失礼致します」
そう言ってドアがばたんと閉まった。私は顔を上げた。スモークガラスに遮られ彼の顔は見えなかった。
車が去って行った。

 二人が行ってしまって、みんなが建物の中に戻って行く。
「あー、ようやく帰ったよ」
「大変だよな。山田秘書。我儘お嬢の御守りで」
「大のお気に入りだからな」
「副社長、結婚するとか言い出すんじゃないか?」
「逆玉だな」
そんな社員の話が聞こえて来る。
「俺、ちょっと小耳に挟んだけれど、山田さん、恋人がいるって」
「マジで?」
「うわっ、可哀想」
「えっ? 嘘! マジショック!」
そう言ったのは大崎地所の女性担当者だった。
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