第7話
文字数 2,505文字
しかしその一方で、そういうぼくを見て、むしろ地団太を踏んでいた奴もいた。
それはいま、背後から、ぼくの名を呼んだイサムだ。
ぼくとイサムは幼い頃からいままでずっと、みんなの人気者だったし、二人とも人一倍負けず嫌いでもあった。
それだけに、イサムからすれば、ぼくだけが女子にチヤホヤされているのは、見るに忍びなったのにちがいない。
それもさることながら、ぼくたち二人は、幼稚園の頃から空手のライバルとしてしのぎを削ってきた間柄でもあった。
それもあって、相変わらず、イサムだけは、ぼくのことを「おい、カツユキ」と、ぶっきらぼうな口調で呼んでいる。
「なにか用かな、イサムくん」
そんなふうに、わざとらしく言って、ぼくは、おもむろに振り返った。
「用がなかったら、呼んじゃいけないのかよ」
イサムも、負けていない。
にしても、相も変わらず、可愛げのない奴だ。
「ぼくは今、いそがしいんだよ」
だから、かまうなよな、そういう目つきでにらんでやった。
「ふん、いそがしいったって、どうせ、あれだろう」
鼻で笑って、イサムが切り返す。
「都大会で、勝ってあたりまえと見られてた奴に、あっさり負けてしまった」
ぼくは黙って、聞くしかない。
「でも、その怒りの矛先を自分に向けたら非常に、辛いものがある。ここは、だからプールにでも行って、気を紛らわせることにしよう――いそがしいたって、どうせ、そんなところだろうよ」
「う、うっせいな」
それもたしかに、ある。あるけれど、ぼくにはそれよりもっと切実な理由があるんだ――言いかけて、けれどすぐに、ちょっと待てよ、とぼくは思い直す。
「あれ、そういえば、ちょっと小耳に挟んだんだけど、おまえも、そいつに、見るも無惨に負けたらしいじゃん」
皮肉めいた口調で、ぼくは言ってやる。
「え、ああ……たしかに、オレも、そいつに負けたよ」
心なしか気落ちしたような声で、イサムが言う。
へん、ざまあみろってんだ。
「でもな……」
けれどすぐにイサムは、いたずらっぽい目をして、口元をゆるめて言った。
「ま、今年はオレがベストフォー。そんでもって、おまえが十六どまり。つまり、去年の屈辱はちゃんと果たしたってわけよ、へへへ」
う、ち、ちくしょうめ……なんのことはない、ブーメランだ。
「あれ、イサムくん、キミ、十六どまりらしいね。そこへいくと、ぼくはベストフォー。わるいけど、ぼくの勝ちみたいだね、ふふふ」
そんなふうに、ぼくは昨年、これみよがしに、イサムに言っていた。でも今年は、真逆の結果に――これをブーメランといわずしてなんという……トホホホ。
情けなさそうな息をつきながら、ぼくは、上目づかいでイサムを窺う。
見ると、さも勝ち誇ったような、ふてぶてしい顔をしているのが目に入る。憎たらしいにもほどがある。
八月の明るい光が、アスファルトを照らして、白く反射している。そんな中、ぼくは二の句が継げずに、しゅんと肩をすぼめて、うなだれていた。
一瞬、居心地の悪い沈黙。
その沈黙を破って、イサムが口を開く。
「それはそうと、オレはおまえに用があったんだ。それで、声をかけたんだよ」
ぼくにはないけどね――ということばは飲み込んで、いちおう、訊いてみる。
「へえ、どんな?」
「おまえさあ、あの噂……知ってる?」
あの噂って、どんな噂? とは訊かない。
ほら、だって、イサムのことだ。どうせ、くだらない噂にきまっている。そうきめつけているので、あえてここは深追いせずに、ぼくはだんまりをきめ込む。
「なんだ、おまえ、どうやら、知らないようだな。なら、教えてやるよ」
ぼくが黙っているのを、そんなふうにかんちがいしたみたい。
そうじゃないけどね――とは、やっぱり、言わない。
これ以上、こいつにかかわっているのはとても、めんどくさいし、それよりなにより、早くプールに行って、ぼくは泳ぎたかった。
だが、ぼくの心の事情に寄り添うことなく、イサムはさらに、ことばをつづける。
「あのな、実はな」
イサムはなぜか、声のトーンを落として、低い声でつぶやくように言った。
「うちの学校の理科室にな……夜な夜なな……幽霊がな……出るっていう噂が、あるんだよ」
ほらね、やっぱり、くだらない噂だ――そう思って、ぼくは鼻白む。
夏休みはつらい、とぼくは思っている。
つらいのは、一日中家にいて、何かと母さんにこき使われてしまうからだ。もちろん、それが一番の理由。でもぼくには、それとはちがう理由も、あった。
実はそれ、夏休みの自由研究にほかならない。
これには毎年、だれもが、頭を悩ませているのではないだろうか。それで、楽しいはずの夏休みを、むしろ憂鬱に過ごすのを余儀なくされている人が、少なからずいるようなのだ。
もちろん、ぼくもそのひとり。
ぼくは毎年、頭を悩ませた挙句、ある年などは朝顔の観察日記、またある年などはひまわりの観察日記、それぞれに、いま、はやりの必殺技SDGsをちょこんとつけ加えて、それでお茶を濁してきた。
もっとも、これが誠実な人なら、こうしたインチキぽい手は使わないのだろう。
朝顔が成長する課程と持続可能な目標とは、どう考えたって、結びつかないからだ。
実をいうと、ぼくも、これには内心忸怩たる思いを抱いていた。
そこで、小学生最終年の今年ぐらいは、もう少しましな研究をしよう、とけなげに心に誓ったのだった。
そんな、もういくつ寝ると夏休みという、ある日のことだった。
めずらしく、祖父ちゃんが真面目な顔をして、ぼくに「なあ、カツユキ」と話しかけてきた。
ぼくもつき合って、真面目そうな顔を作り、「何?」と神妙に聞き返した。
すると祖父ちゃんが、何の脈絡もなく、だしぬけに、こんな話題を切り出したではないか。
「幽霊といえば夏というのが通説になっている。だがな、昔は、そうじゃなかったんだよ」
「ふーん、そう」
だから、それが、という感じで、ぼくは一瞬、聞き流そうとした。
けれどそのときぼくの中で「これだ!」と、ある考えがひらめいた。
これを夏休みの自由研究にすればいいんじゃない、そんな考えが――。
つづく