俺のおやつは。

文字数 4,722文字

「むぅぅ……お姉様ったら、二人で楽しそうに遅めのおやつと洒落込んでるわね……」
「本当だ……くそぅ、俺め……羨ましいやつだ」

 窓ガラスの表面に頬をへばり付け、俺達は件のカフェの中を覗き込んでいた。二十時を過ぎ客もまばらな店内に、学生服姿のよく知った顔が二つ……壁際の奥の席で、白咲オリジナルと正体不明の男の俺が、少々緊張気味に向かい合っていた。端から見れば、初々しい感じが何とも微笑ましい高校生カップルだ。

 俺は拳を握りしめ白く柔らかい皮膚に爪を突き立てた。こうしてまざまざと見せつけられると、腹の底から嫉妬のマグマが湧き上がってくる。いつか彼女の横に座るのは俺だと夢見ていたのに……現実はまさか、俺だったなんて! 俺は二人から視線を外すことなく、雅樹に尋ねた。

「……どうする?」
「そうね……お姉様がお花を摘みに行った瞬間を狙いましょう。私がお姉様を個室で拘束、Xにしている間、アンタは何とかあの男を外に連れだしてちょうだい」
「えっ……俺が?」

 雅樹の提案に、俺は思わず彼を見上げた。雅樹は至って真剣な表情で頷いた。

「そうよ。あの男とお姉様さえ引き離してしまえば、第一関門はクリアー……」
「ちょっと待てよ。何で俺が、自分自身とデートの真似事しなきゃいけないんだよ」
「当然でしょ。私は嫌よ。あんな男とおしゃべりするくらいなら、死ぬまでキリギリス噛んでた方がマシだわ」
「何もそこまで言わなくても……」

 結局その後じゃんけんして、俺が俺を連れ出すことになった。観葉植物の陰に隠れながら、俺は呆然と血の滲む自分の掌を見つめた。雅樹が俺の背中を勢いよく叩いた。まるで男子のような怪力だったので、俺はそのまま前につんのめった。

「決まり! 頑張りなさい。アンタの偽者の鼻を明かして、自分の正体を知るチャンスじゃない。しっかり上目遣いで、懐に潜り込んで……女子力であの男のハートをがっちり掴むのよ!」
「てめえ……他人事だと思って好き勝手言いやがって……!」

 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる雅樹を睨み返し、俺は恨み辛みを吐き散らしながら起き上がった。イヤだ。こんな役目、絶対にイヤだ。

「まさか俺の人生初デートが、男……しかも俺自身、だと……!?」
「あ! お姉様が動いた!」

 俺の中の葛藤を知ってか知らずか、雅樹は俺を無視して素っ頓狂な声を上げた。見ると、窓ガラスの向こうで、白咲オリジナルが笑顔で椅子から立ち上がっていた。雅樹が向かいの道路にいる小学生にも聞こえるくらい、大きな鬨の声を轟かせた。

「行くわよ!!」
「ちょ……おい! 俺、まだ心の準備が……!」

 白咲オリジナルが壁の向こうに消えたのを確認すると、止める間もなく雅樹がカフェのドアに突っ込んで行った。その勢いに、店内にいた全員が俺達に注目した。中にいた俺が俺を見て叫んだ。

「……あれ!? 白咲さん……さっきあっちに行かなかった!?」
「話は後よ! わたしゃ忙しいの! アンタは、こっちの私と話してて!」
「えっ!?」
「…………」

 ぽかんと口を開ける男子高校生の前を、雅樹は憎しみを込めた目で睨みながら平然と通り過ぎていった。姿を隠す気もさらさらない、あまりに堂々とした作戦に呆然としたのは俺も同じだった。座っていた俺と、立ち尽くしていた俺は目が合った。

「あの……これ一体どういうこと……?」
「あー……いや、『あれ』は気にしないで。ちょっと自分の嫌なとこ出ちゃった? みたいな感じ?」
「で、出ちゃったって……物理的に!?」
「お、女の子には色々あるん……よ! 気にしないで!!」

 俺が怪訝な顔をするのを見て、俺は何とか取り繕おうと必死になった。
 疑うのは当然だ、そりゃそうだ。片思い中の女の子が、『自分の嫌なとこ』を三次元でリアルに二体も召喚しちゃったんだから、目が点になるのも無理はない。こればっかりはもう、説明のしようがない。とにかく、作戦は決行中だ。何とか俺は俺を外に連れ出さなくては。俺は思い切って、座っている自分の手を握った。

「きゃっ……!?」
「え?」
「あれ……?」
「あ……」

 俺に手を握られ、怯える俺の『細い腕』に、何となく俺は覚えがあった。

「お前……まさか琴音!?」
「!」

 男子高校生の目が見開かれた。
 そう、目の前で男の制服をまとった『少女』は……何を隠そう、俺の妹、黒田琴音だった。






「ほんっとうにごめんなさい!」

 もうすっかりと暗くなった空の下、俺達はカフェから少し離れた公園の噴水の前にいた。十時を過ぎ断水され本来の機能を失った石の塊の前で、女の体になった俺に頭を下げているのはほかならぬ男装した俺の妹だった。

「騙す気は無かったんです! 私は絶対、こんなこと嫌だって言ったんですけど!」
「あー……掃除当番の肩代わりかなんかで、強制された訳ね」
「そうなんですよ! お兄ちゃんったら、『デートに着て行く服がない』とか、『初回は絶対に失敗できない』とか言って私に無理矢理やらせて……それにしても先輩、どうして私が女だってわかったんですか?」
「そりゃ普段……あーいや! そ、それより、その格好良く似合ってるわね!」
「?」

 きょとんと首をかしげる妹に、俺は慌てて話をそらした。ここで琴音に正体をバラしても信じてもらえないだろうし、話が余計ややこしいことになってしまう。俺に、男の俺に、白咲に、雅樹に、今度は男の俺に変装した琴音と来たもんだ。最早誰に何が付いてて何がないのか、分からなくなってきた。

「あ……これ。ありがとうございます……ここだけの話、実は私アニメのコスプレとかやってて。それで男装とかもやってるんですけど……はあ……まさかこんなことになるなんて……」

 妹は呆れたようにため息をついた。生まれつき一卵性双生児だった俺と琴音は、兄妹とは言え顔はそっくりだ。窓ガラス越しにはよく分からなかったが、こうして近くでマジマジとその顔を見れば、流石に俺だって分別はつく。よく見れば髪の毛だって俺のより長いしツヤツヤだし、お肌の清潔感も違う……。
「ちょ……顔近いです! どうしたんですか? 白咲先輩……」
「あ、いや、似てるなーと思って……ハハ」
 顔を覗き込む俺に、妹は少し顔を赤らめながら目を逸らした。

「お兄ちゃんには、私からきつく叱っときますから! そもそも私が言うのも何ですが、あんな情けない奴、天下の白咲先輩には似合いませんよ!」
「そ、そうね……そうかしら?」
「そうですよ! お兄ちゃんたら、ほんと家ではだらしないの! あんなのと付き合うくらいなら、死ぬまでアリの巣覗き込んでた方がマシですよ!」
「おぉう……琴音……お前まで……!」
「え?」
「い、いや……私のこと、よく知ってるのね?」

 心で涙を流しながら、俺は笑顔で首をかしげる妹に尋ねた。
「そりゃあ、だってあの白咲生徒会長ですから! この街じゃ知らない人はいないんじゃないですか? お兄ちゃんも私も、男子も女子も、みんな噂してますよ。白咲先輩の心を射留めるのは誰だろうって」
「そうだよなあ。ほんと、高嶺の花とはまさにこのこと……」
「え?」
「い、いや……そんなんじゃないのよ、高嶺の花ってよく言われるけど、そんなんじゃ。家では結構暴力的なんだから」
「そうなんですか!?」

 慌てて話をそらした俺に、琴音は素っ頓狂な声を上げた。その驚き方がお母さんそっくりで、俺は思わず笑ってしまいそうになった。
「そうよ。弟や……『妹』に掃除とか洗濯とかやらせて、自分はベッドで寝っ転がって漫画読んでるんだから」
「へええ!? そうなんだ……それってウチのお兄ちゃんそっくりじゃないですか」
「え!? いやそんなことは……あ、いや、これは……!」
「ふふ……!」
「!」

 しどろもどろになった俺に、気がつくと琴音は肩を震わせて笑顔を見せていた。今度は俺がきょとんとする番だった。琴音が申し訳なさそうに笑いながら両手を合わせた。

「あはは……ごめんなさい。白咲先輩って、話してみると結構面白い人なんですね。もっとお堅い人かと思ってた」
「……そ、そうかしら」
「はい。何だかすごく、親近感湧いちゃった……こんな言い方失礼ですけど、ずっと知ってる仲のいい親戚みたいな」
「…………!」
「また今度……今度は私からデートに誘ってもいいですか? お兄ちゃんとしてじゃなくて……私として」
「!」

 気がつくと、いつの間にか琴音は俺の懐に入り込み、上目遣いで俺を覗き込んでいた。巧い。まるで忍者のような身のこなし……その動きを見切ることが、俺には出来なかった。
 そういえば、妹はこの間まで付き合っていた『彼女』と別れたんだっけ。
「う……!」
 太ももと太ももが触れるか触れないかの瀬戸際まで間合いを詰められた俺は、気がつくと為す術もなくこっくりと頷いていた。
「いいわよ。いつでも……喜んで」
「やったぁ!」

 俺の言葉に、妹は顔を真っ赤にして白い歯を見せた。妹は、外ではこんな風に笑うのか……。普段家では絶対に兄に見せることのない屈託のない笑顔が、俺の目にとても新鮮に映った。








「じゃあ先輩! 今日はありがとうございました! また連絡します!」
「気をつけて帰りなさいよ〜!」

 嬉しそうに帰って行く妹の笑顔を裏切ることができなくて、俺は精一杯『お姉さん声』を作りながら手を振った。琴音の姿が見えなくなると、俺は少し自己嫌悪に陥りベンチに座り込んだ。

「はあ……俺、何やってんだろ……」
 結局自分の正体も、何も分からず終いだ。それどころか、新たな火種を抱えてしまった気がする。辛うじて、初デートが自分自身だったなんてお間抜けな事態は避けられたが、このままでは妹と初デートになってしまうかもしれない。それはそれで、お母さんからもらうバレンタインチョコみたいな気分で、何かイヤだ。

「あ! いた!」
 俺がすっかり静まり返った公園でアンニュイな気分に浸っていると、向こうから同じ顔がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。俺はくたびれた顔でそいつに手を掲げた。
「おう雅樹、すまん。こっちはもう終わっ……」
「うっさい!」
「たびゃラッ!?」

 俺がいい終わるか終わらないかのうちに、そいつは一瞬で俺の懐に潜り込み、上目遣いで俺にアッパーカットを決めた。電光石火の攻撃に、俺は思いっきり舌を噛んだ。この痛み……この痛みを俺は知っている。こいつは雅樹じゃない……『オリジナル』だ。ベンチごと地べたにひっくり返った俺は、『オリジナル』に何とも冷たい目で見下ろされた。

「し……白咲! 何でここに!?」
「それはこっちのセリフよ! アンタ達、一体どういうつもり!? 私をXにしようだなんてね、百万年早いのよ!」
「う……!」
 どうやら、雅樹は失敗したようだ。今頃はカフェのトイレで、仕返しに逆さXでも決められているに違いない。俺はもう一人の『姉』に心の中でそっと黙祷を捧げた。

「こ、これには訳が……俺達は、お前を守ろうと……!」
「罰としてアンタ達、これから一週間おやつ抜きですからね!」
「ええっ!? そ、そんな……!!」
 あまりにも酷い宣告に、俺の背中に戦慄が走った。

「待って! 白咲……白咲様ぁー!!」
「知らないっ!」
 許しを乞うて手を伸ばした俺を一人地べたに取り残して、『オリジナル』は肩を怒らせ先に家に帰ってしまった……。
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