俺の物語は。

文字数 3,802文字

「そうかあ……振られちゃったかあ」
「!」

 歯に衣着せぬ物言いに、俺の心は裂けるチーズみたいに真っ二つに引き裂かれた。自然と深いため息が漏れ、がっくりと床に頭を垂れる。そんな俺の傷心を気にも留めず、俺……男・黒田誠一郎はベッドに寝そべりながらヘラヘラと楽しそうに笑った。

「てめえ……他人事だと思いやがって……。いや、よく考えたら他人事じゃないからな。俺はお前であるからして、これはお前自身のことでもあるんだからな?」
「だって俺、女じゃねえもん」

 俺が噛み付いても、俺オリジナルはまともに取り合わなかった。この野郎、漫画雑誌なんか読みながら、自分の分身の失恋話をコマーシャル感覚で聞き流している。わざわざオリジナルの俺の家にまで相談にやって来たと言うのに……男ってホント身勝手だ。俺は憤った。

「お前だって白咲のこと好きだったんじゃないのかよ」
「っつってもよ……あんだけ高嶺の花だったら、本当に手が届くなんて思っちゃいねーよ。それはお前だってよく分かってるだろ?」
「そ……そりゃあ……」

 ……その気持ちは、よく分かる。だって俺も以前、そうだったから。端から見てても頭脳明晰で容姿端麗、一部始終が純情可憐なお嬢様など、平民代表の俺なんかに釣り合わないことはよく分かってる。俺だって、白咲の体を手に入れて同じ家に住むことがなかったら、正直気が引けて近づこうとすら思わなかったかもしれない。

「はああ……」
「だったらさ……」

 床に溶けたアイスみたいに寝そべっていた俺に、突如俺オリジナルが起き上がり身を寄せて来た。

「……俺と付き合うか?」
「……は?」

 目を開けると、見慣れた男の顔が目の前にあった。
 ……何故そうなるのだろう。意味が分からない。俺オリジナルはそのまま俺の顔のすぐ横に手を着くと、俺の体に覆いかぶさるように顔を近づけて来た。天井の蛍光灯が彼の体に重なり、俺の視界を黒い影が覆う。逆光でその表情はよく見えないが、その目の奥には何とも妖しげな光を宿していた。何だか嫌な予感がして、背筋に寒気が走った。体中が俺に警戒せよ、と非常信号を発している。

「お……!?」
「……確かにお前は見た目は白咲かもしれんが、心は俺と同じなんだよな? だったら、俺の気持ちも分かるだろ?」
「お……お前……!」
「なあ……」

 大きな男の体がゆっくりと迫ってくる。こうして比べてみると、今の自分の、白咲の体が如何に小さくて頼りないことか。逃げ場を失った俺は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。すると、何かを期待するかのように彼の目が閉じられ、やがて俺達の唇と唇が触れ合

「お前は俺か!!」
「ぐあ!」
 俺達の唇と唇が触れ合う前に、俺は思いっきり白咲直伝の頭突きをカマした。俺オリジナルが痛みに仰け反り、床をのたうち回った。
「……何メルヘンなこと期待してんだテメー!! この状況で俺が抱きついてキスするとでも思ったか!?」
「ぬおおおお……!!」
「初めての彼女が自分自身って、虚しくならないのかテメー!」
「……! たとえお前の心が男だったとしても……体だけでも、俺は構わない……!」
「…………」

 ……男ってホント最低だ。だけどその気持ちもよおく分かる。俺は立ち上がり、足元で痛みに悶える体目当ての俺を冷たく見下ろした。哀れな奴だ。……これが客観視と言うやつだろうか。まるで幽体離脱でもしたような気分だった。

「……はあ。何やってんだろ、俺。何か自分で自分が哀しくなって来ちゃった……」
「そりゃ俺のセリフだ!」

 床に寝っ転がり、涙交じりにぽつりと呟く俺を放ったらかしにして、俺はさっさと黒田家を後にした。






 「ただいまぁ……」
「おかえり。雪ちゃん? 誠ちゃん?」
「あ……俺は黒田です」
「そう、おかえりなさい。ごめんなさいね、顔が同じだから見分けがつかなくって……」

 白咲家に戻ると、お母さんがおたま片手に出迎えてくれた。白咲は、まだ帰っていないようだった。ここのところ彼女は、こっちの家に顔を見せていない。あれ以来、ずっと本家に寝泊まりしている。それは雅樹も同じだった。
 がらんとした部屋に戻ると、俺は再びため息を漏らした。空っぽの机やベッドを見るたびに、何だか二人に見放されたような気がして、俺の心は胃の辺りまで沈み込むのだった。



 「そうかあ……振られちゃったかあ」
「!」

 夕食の席で、お父さんが何故か嬉しそうに笑った。情緒の欠けらもない直接的表現に、俺の心は焼き鳥の具のように貫かれた。自然と箸も手が止まり、視線も下に落ちる。そんな俺を面白がるように、お父さんは破顔でジョッキを飲み干した。

「もうお父さんったら……誠ちゃん、大丈夫よ。雪ちゃんきっと照れてるだけだから」
「……ホントっすか」

 お母さんが台所から温めたおかずを運びながら、そんなお父さんを嗜める。いつもだったら姉達と取り合いになる若鶏の唐揚げに、今日ばかりは俺も手を伸ばす気になれなかった。

「明日学校に行ってみたら? 雪ちゃんに会えるかもよ?」
「明日……」

 碌に飯も喉を通さずため息ばかりの俺を見かねて、お母さんがそう言ってくれた。
 明日は水曜日……取り決めた『シフト』では俺が『雅樹役』で、白咲が本人役になるローテだった。振られたからと言って、漫画や小説みたいにそこで物語は終わり! とならないのが現実の残酷なところだ。終わるどころか、今日も明日も明後日も、捲りたくなくても自動的に頁は捲られていく。どんなに悩んだって間違えたって、前の頁に戻ることさえ許してはくれない。

「ごちそうさま……」
「あら? もういいの?」
「うん……」

 俺はリビングを後にすると、電気もつけずふらふらと暗い階段を登った。
 明日学校で会って、一体何を話せばいいのだろう。それを考えただけで憂鬱になった。だけどここでもし俺が休むなんて言いだそうものなら、白咲が鬼神化することは目に見えている。『じゃあ誰が代わりに出るのよ! 出れないなら最初からシフト希望表にそう書いといて!』とか、口から火を吐きながらそんな感じだ。彼女の性格も、一緒に暮らすうちにだんだんと掴めて来た。

「頭脳明晰で容姿端麗……だけじゃねえんだよなあ」

 一緒にいたからこそ、分かったこともたくさんある。布団に包まりながら、明日会った時彼女は『いつもの』白咲でいてくれるだろうか、とふと俺は不安になった。






 「……おはよう」
「お……おはようございます……」

 そして次の日、俺は校門の前でバッタリと白咲と出くわしてしまった。出来るだけ出くわさないように、一時間遅れて家を出たはずなのに!
 久しぶりに会った彼女はその顔に一切の感情がなく、俺達の間に気まずい沈黙が流れた。白咲はそれから何も言わず、無表情で校舎に向かって歩き出した。俺は慌てて彼女の後を追った。

「…………」
「…………」

 早朝の冷んやりとした空気が、夏だというのにやけに肌寒い。すでに各々のクラスでは朝の授業が始まっている。人のいないがらんとした廊下に、俺と白咲の足音だけがやけに響き渡った。俺はおずおずと彼女に話しかけた。

「あの……」
「…………」
「白咲……様?」
「……何よ?」

 自分の教室に入る前、ようやく彼女は俺の方を振り返った。その『何よ?』の言い方が白咲家の時に見せるそれと同じだったので、俺はひとまずホッと胸を撫でおろした。

「……何故遅刻なんか?」
「それは貴女も一緒じゃない」
「何か……怒ってらっしゃる?」
「当たり前でしょ!」

 それから彼女はずいっと俺の前へとやって来た。

「……貴女ねえ。私のことを、『本気で』誰かに嫌なこと押し付けて自分だけ幸せになろうだなんて、そんな安い女だと思ってんなら大間違いよ!」
「う……!?」
 ……どうやらあの時本家で『俺が代わりになる』と言ったことを根に持っているようだ。散々家事や宿題の代行をさせてたくせに……なんて言うことも出来ず、俺は俯いた。

「貴女もね、私のことが好きなら、自分が身代わりになればいいなんて馬鹿なこと考えてないで!」
「す……すみません……」
「……私と一緒にいて幸せになる道を探しなさいよ。男でしょ!?」
「え……」
 思わず顔を上げた時、すでに白咲は教室の扉を開けているところだった。向こうを向いた彼女の耳が、ほんのりと赤くなっていることに俺は気がついた。そして……。


「「「「「「「……おはようございます、ご機嫌麗しゅう」」」」」」」


 俺は絶句した。扉の前で白咲が立ち尽くし、右手からぼとりとカバンを取り落とした。
「んな……!?」
「こ……これって……!?」

 一体何が起こっているのか、さっぱり分からない。あの白咲でさえ、動揺を隠せないようだった。見渡す限り、同じ顔、顔、顔……。

「……遅刻よ。早く席に着きなさいな、白咲雪花さん達」
「!」

 そう言って教壇から声をかけた数学教師も、生徒と同じ顔をしていた。
 途方に暮れるとはこのことだ。遅れて来た俺達を教室で待っていたのは、いつもの見慣れたクラスメイト……ではなく、何と教室にいる全員が白咲雪花だった。
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