俺の好物は。

文字数 3,660文字

 朝。
 昨日と変わらない街の中で、昨日と変わらず同じ部屋の中で目を覚ます。ぼんやりとしたまま、下の階まで体を引きずって歩き、俺は洗面台の鏡を覗き込んだ。そこに写っていたのは、昨日と変わらない『俺』の顔……整った白咲雪花の、眠そうな顔が写っていた。
 試しに右手を上げてみる。鏡の中の白咲が、俺に右手を上げた。おもむろに首を傾け目をこすると、同じように白咲も『真似っこ』してきた。俺はホッとため息をついた。

「良かった……。俺まだ、俺だった……」



 この世界のほぼ全員が『白咲雪化』してから、ほぼ一ヶ月が経とうとしていた。
 最初は大混乱が起こったこの街も、今では都市機能の殆どを白咲雪花に掌握され平穏を取り戻しつつある。たとえば行政を担当する『元知事』の白咲雪花や、電車を運転する『元車掌』の白咲雪花……彼らはみんな、『前世』の自分の行いを無意識に記憶しているのか、『雪化』した後でも自分の仕事を同じようにこなしている。この怪奇現象に、最初はこぞって取材に来ていたマスメディアや各界の有識者達も、今ではみんな仲良く白咲になっていた。街はすっかり、白咲一色だった。


「……行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、白咲さん」

 俺は用意されていた朝食を取り終えると、向こうで洗い物をしていた白咲に声をかけた。のれんの向こうから、白咲の華やかな声が聞こえる。彼女は一ヶ月前、白咲家のお母さんだった。今ではすっかり自分のアイデンティティを無くし、娘になりきってしまっている。
 お母さん白咲は一ヶ月前と同じように俺達に美味しいご飯を作ってくれるし、お父さん白咲は同じように朝早くから会社に出勤して働いている。『白咲達』が以前と変わらない生活を繰り返してくれているおかげで、この世界は今の所これといった問題も起きず、何とか崩壊せずに済んでいた。問題があるとすれば、全員が全員白咲だということくらいだ。


 玄関先に向かうと、すでに準備を済ませていた白咲が俺のことを待っていた。セーラー服姿の白咲が、扉の前に立ったまま凛とした目で俺をじっと観察し始めた。

「……おはよう」
「おはよ……貴女、誰?」
「俺は……黒田誠一郎だ」
「そう……」
「……お前は?」
「私は……私が、もちろん白咲雪花よ」

 毎朝顔を突き合わせる度に、俺達はお互いの名前を呼び合い『生存確認』することにしていた。何せ見た目は誰も彼も同じなのだから、当の本人に何者かを聞いてみるしかない。俺がまだ俺で、白咲がまだ白咲だったことにホッとしながら、俺達は無言で学校へと向かった。




 ほんのりと冷たい南風が秋を運んでくるようになった通学路も、色を変えていく木々と共にすっかり様変わりしてしまった。すれ違う人の顔は、みんな同じでにこやかな笑顔を振りまいている。バス停に並ぶ大勢のサラリーマン白咲達の間をすり抜け、落ち葉をかき集める清掃の白咲ちゃんにあいさつをする。

「あら。行ってらっしゃい、白咲さん」
「おはようございます……白咲さん」
「ウフフ。おはよう」
「…………」

 ここのおばちゃんは、白咲に変わる前から俺なんかにもニコニコとあいさつをしてくれて好きだった。だからこそ、仕草や言葉遣いが白咲になってしまったのを見る度に、俺の胸は傷んだ。俺と清掃の白咲ちゃんが朝のあいさつをしている間、当の白咲は無表情のままだった。俺を待たずして歩き始める白咲の背中を、俺は慌てて追った。

「……どうしたんだよ?」
「別に……」
「…………」

 最近の白咲は、ずっとこんな感じだ。気がつくと何か思いつめたように、じっと押し黙ったまま遠くを見つめている。きっと彼女にも何か思うことがあるのだろうが、決してそれを話してはくれない。まあ、全世界の人間が自分自身になってしまった心境なんて、全く想像もつかないが……。それでも、何も語ってくれないのは少し寂しかった。

「私も……」
「?」
「私も彼女達みたいになってしまった方が、楽なのかしらね……」
「おい……」
「……冗談よ」

 冗談とは思えないほど透き通った目で、白咲は俺を振り返り見つめた。それから彼女は、ふっと息を吐き出すと、おもむろに学校とは逆の、今来た道を戻り始めた。

「お……おい! どこ行くんだよ……」
「ちょっと寄って行くとこあるから。先行ってて」

 そう言い残すと、白咲はバス停を待つ集団の中に紛れ込んでしまった。一体どこに行くのだろう? 俺は少し迷い、やはり追いかけようとして……すぐに諦めた。この街に住む全ての人々は、今やみんな白咲なのだ。この中で人探しだなんて、登場人物全員がウォーリーの『ウォーリーを探せ』をやるようなものだった。一度見失ってしまえば、向こうから手を上げてくれない限り俺には見分けが付かないだろう。到着したバスに乗り込む乗客達が、一人立ち尽くす俺に気づいて、目の前で同じ顔で同じように微笑んだ。





 「起立。礼……着席」

 白咲の美しい声で、クラスメイトの白咲達が一斉に立ち上がり、そして姿勢良くお辞儀をして優雅に腰を下ろす。その動きは統率されたみたいにぴったり同じで、表情には笑顔が張り付いたまま、絶えることはない。俺は背中に薄ら寒いものを感じた。

「じゃあ十九頁から朗読を……白咲さん」
「「「「「「「はい」」」」」」

 担任の白咲先生のご指名に、白咲の大合唱が始まる。俺は一人椅子に座ったまま、騒音に耳を塞ぎ机に突っ伏した。流石に毎日こんな感じでは、気が滅入ってしまう。そういえば昔、『クラスメイトが白咲みたいな美人ばっかりだったら、学校も楽しいだろうなあ』などと妄想していたが、実際はそうでもなかった。いくら美人でも、みんながみんな同じことを考え、同じことを言い、同じように動いていては、なんとも面白みがなかった。『ばっかり』だけではダメなのだ、と俺は痛感した。

「どうしたの? 白咲さん……朗読しなきゃ」
「あ……すいません」

 塞ぎ込む俺に気がついて、白咲先生がそばにやってきた。気がつくと、クラスメイト達が全員静まり返り、俺をじっと見ている。沈黙の中、俺は渋々立ち上がり、出来るだけ男のような低い声で……周りのみんなとは違う声で……のろのろと国語の教科書を朗読し始めた。






「どうしたの白咲さん……白咲さんは、海老が好きだったはずでしょう?」
「白咲さんは、炭酸ジュースなんか飲みませんわ」
「白咲さん。女の子があぐらをかくなんて、恥ずかしいと思いませんこと?」
「白咲さんが、そんな不機嫌そうな顔をしてはダメよ、ほら」
「白咲さんは」
「そんなこと」
「しない」


「あーもう!」
 放課後のチャイムが鳴り、同じ時間に一斉に立ち上がり、嵐のように去っていった白咲集団を見送ると、一人取り残された俺は教室で頭を掻きむしった。
 ここのところ、学校ではずっとこんな感じだ。外面の良い白咲が、『白咲らしさ』を俺に押し付けてくる。少しでも白咲っぽくない行動を取れば、全方位から矢のように注意が飛んできた。これでは、心休まる時がない。

「はあ……」
 もしかしたら……『財閥の令嬢』として、品行方正を求められる白咲も、こんな気分だったのかもしれない。監視の目から解放された俺は思う存分スカートのまま机の上に足を乗っけて、後ろ手を組んで深いため息をついた。

「…………」
 誰もいない教室を、窓の向こうから他人事のように夕日が覗いている。ふと、今朝の白咲との会話を思い出して、俺の頭に一抹の不安が過ぎった。

 ……もしこのまま白咲まで、みんなみたいになってしまったらどうしよう?

 ……白咲には黙っていたが、本音を言えば俺も『みんなと同じようになってしまった方が楽なんじゃないか?』と考えることはあった。世界中みんなが白咲になってしまった今、そうじゃない自分の方がむしろ異質な存在に感じてしまったりもする。自分だけが周りと違うと突きつけられるのは、何だかすごく……悪いことをしているような……言いようのない不安で胸を掻き毟られてしまう。
 雅樹も、仲の良かったクラスメイト達も、今ではみんな海老が大好物になってしまった。男の俺も、妹も、食後にハーブティを飲むようになった。周りの全員がそうやってるから、俺もそうした方がいいんじゃないか、という妙な不安……。
 それでも俺がそうなりたくないと思っていられるのは、やはり白咲の存在が大きかった。俺は神様にでもすがる思いで、天を仰いだ。

 ……一体どうやったら、この悪夢を終わらせることができるのだろう?

 何だか無性に彼女に会いたくなって、俺は弾かれるように席を立ち上がった。きっとこんな立ち上がり方は、白咲なら決してしないだろう。

 昨日と変わらない教室を飛び出して、昨日と変わらない街を駆け抜け、俺は昨日と変わらないでいてくれる白咲を探し始めた。
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