俺のデートは。
文字数 3,402文字
「白咲先輩〜! お疲れ様でした!」
「お疲れ様です! 今日も流石のスピーチでしたね、先輩!」
「また明日もよろしくお願いします、雪花先輩!」
放課後、元気よく生徒会室を去っていく女子学生達に、生徒会長である姉の『フリ』をした雅樹がにこやかに手を振っている。
「皆さん、どうか気をつけてお帰りなさいませ」
「はいっ」
憧れの生徒会長に声をかけられると、皆まるで恋人に愛の言葉でも囁かれたかのように顔を綻ばせた。その様子を、副会長である【『妹』のフリをした『弟』】のフリをした俺……ええい、ややこしい。とにかく雅樹になりきった俺は少し冷めた目でそれを眺めていた。
学園では俺が【雅樹役】をやり、雅樹が姉である【生徒会長役】をやる……というアイデアは、他ならぬ白咲によるものだ。
「雅樹は副会長だし、ここだけの話、何回か私になりきって生徒会長を代行してるから。『雪花』はまだ学園での私の振る舞い方とか知らないでしょ?」
「……『雪花』って、俺のこと?」
「ええそうよ。覚悟決めなさい。貴女は今日から『私の代わり』として女子校に通ってもらいます」
「…………!」
数日前。彼女の自室で弟に足つぼマッサージをさせていた白咲が、眉をひそめる俺にそう告げた。白咲は俺の見ている前でベッドに寝っ転がりながら、チョコチップクッキーを次々と口の中に放り込んでいく。目の前に男の俺がいるというのに、Tシャツに短パンだけという、何とも曲線美豊かなあられもない姿だ。いくら自分の家だとはいえ、くつろぎすぎ、油断しすぎだろう。もしかして俺は男として見られてないんじゃないかと思って、少し胸の奥が痛んだ。まあ見た目は確かに、男としては見られないんだろうけど。
俺は正座しすぎて痛くなった足を崩し、女の子みたいにペタンと床にお尻をつけた。
この体になって約一週間ほど経つが、未だに心が慣れることはなかった。白咲からもらった女物のジーンズの上からでも分かる、妙に魅惑的な『自分の』太ももにドキドキしながら、俺はモジモジと体を小刻みに揺らした。チョコチップがもう一枚、白咲のぷるんとした唇の奥に吸い込まれた。
「……貴女は雅樹役として、弟のそばにいて『私』について学びなさい」
「……つーか、何でそいつは男なのに女子校通ってんだよ!」
俺は姉の足をせっせとマッサージするあわ……健気な弟を見つめた。雅樹が冷たい目で俺を睨み返した。
「……私はそう甘くはないですわよ。学園では必要があったらその都度メモを取ること。どうしても聞きたいことがあったら、一度しか教えないからしっかりとその体に刻みつけなさい」
「俺は新人バイトか何かかよ……」
まるで鬼教官のような口ぶりに、女子校に通うと聞いて胸が高鳴ったのもつかの間、俺はこれからの学園生活にいささかの不安を覚えるのだった……。
「『白咲は学校では猫を被ってる』……っと」
「何を誤った情報をメモしているのかしら?」
皆がいなくなった生徒会室で、これ見よがしにメモ帳に文字を書き殴る俺を、雅樹がジロリと覗き込んできた。俺は疲れた顔で弟を睨み返した。
「だってそうだろ。家ではあーんなに『女王様』みたいな感じなのによ……。学校じゃこんなにお上品ぶってよぉ……」
「でもアンタ、そんなお姉様のことが好きなんでしょ?」
「う……」
身も蓋もない言い方に、俺は思わず目を逸らした。雅樹が心底嬉しそうに、意地悪い笑みを浮かべた。
「ははあ……今日はやけに突っかかってくるなと思ったら、アンタもしかして……『女の子』になるのが恥ずかしいの?」
「当たり前だろ! 俺は男だぞ!」
雅樹の挑発に開き直った俺は、ヒラヒラのミニスカートを靡かせて勢いよく立ち上がった。雅樹が呆れたように肩をすくめた。
「もう数日経つんだし、いい加減慣れなさいよ。その格好と、この学園生活に」
「慣れねえよ! 何でこんな……スースーするんだ!」
「スカートなんだから当たり前でしょう」
「お前は何でそんな慣れてんだよ!!」
夕日が差し込みオレンジ色に染まる生徒会室で、俺は思わずスカートの裾を押さえた。すると、唐突に雅樹が近づいてきて、頬をピンク色に染める俺の顎を細い指でくいっと持ち上げた。俺は思わず心臓を跳ねさせ、ギクリと体を強張らせた。何せこいつは男とは言え、顔は姉である白咲と瓜二つだ。鼻と鼻がくっつきそうになるほどの距離で、神秘的な顔立ちにじっと射竦められる。俺は思わず生唾をゴクリと飲み込んだ。
「……色々ややこしいのよ。私もお姉様も、ね」
「……近いっ……!」
男の吐息を吹きかけられ、俺は心臓の音を聞かれるんじゃないかと思い慌てて顔を背けた。
……全く、俺は一体どうしてしまったんだろう。まあ……俺も今は体が女だしこいつは体は男でも心は女らしいし俺の方は心が男だから、ドキドキしたってきっと間違ったことじゃない……ないのか? ええい、もう本当にややこしい。
「アンタだって、違うでしょう? 学校で見せる顔、友達の前で見せる顔、家の中で見せる顔……」
「……ん、ああ」
……なんとなく言いたいことは分かるような気がして、俺は頷いた。まぁ、俺の男だった時の記憶が『正しかったら』の話だが。
「正直私は、お姉様はお外で立派な自分を自分に求めすぎてるような気もするけれど……」
「…………」
「そんなことより、よ!」
「ん?」
突然、雅樹が苛立ちを隠せないかのように机をバーンと叩いた。
「こんなとこで駄弁ってる場合じゃないわ! お姉様は今日、あの男の元に出かけてるんでしょう!?」
「あの男って……誠一郎おれのこと?」
俺は白咲家での今朝の会話を思い返した。確か『オリジナル』は、俺の正体を探るべく俺の家……黒田家にいる『男の俺』に接触を試みる予定だった。放課後、俺が通ってた高校の近くのカフェで落ち合うらしい。
「ええそうよ。偵察なんて言ってるけど、これってつまり……『デート』よね!?」
「で……デートぉ!?」
思わず耳がくすぐったくなるような使い慣れない単語に、俺は間抜けにも口をポカンとあけて雅樹を見つめた。雅樹は怒りでワナワナと肩を震わせていた。
「許せないわ! お姉様と一秒でも同じ空間で幸せな時を過ごす男子がいるなんて!」
「じゃあお前は何なんだ……」
「私以外の男が、ってことよ! 当たり前でしょ!? アンタは悔しくないの!?」
「いや……まあ、確かに」
雅樹がキッと俺を睨みつけた。夕日の残り火に袖の辺りを暖められながら、俺は少し想像してみた。白咲が……片思いしている女の子が、他の男とデート……。確かに俺以外の男とデートだなんて、彼女に惚れてる男としては許しがたい。
「ん? でも、いや待てよ……?」
「そうでしょ!? あんな得体の知れない、不気味で、家で爆弾作ってそうな感じのネクラ男に!」
「お、おう……」
「あんな奴とデートするくらいだったら、死ぬまでナメクジ飲んでた方がマシよ! ねえ!?」
「そ、そうだな……そうか?」
「あんな××××い男に、お姉様を近づけてなるものですか! こうしちゃいられないわ!」
「そ、そこまでひどいこと言わなくても……」
「行くわよ、『雅樹』!」
「あ……ま、待って!」
何だか胸に違和感を覚えながらも、俺は生徒会室を勢いよく飛び出して行った弟を慌てて追いかけた。開きっぱなしになったカバンのファスナーから、ノートやら筆箱やらが飛び出しそうになるのを必死で抑える。それでも二人して靴箱に辿り着く頃には、雅樹の怒気に当てられたのか、だんだんと俺も向っ腹が立ってきた。
あわよくば白咲とデートできたら……なんて妄想、男だった頃はよくやっていた。そして今それが、曲がりなりにも叶おうとしている。だけどそれは、『俺』じゃないと意味がない。白咲の隣にいるのが男の俺だったとしても、この『俺』じゃなかったら何の意味もないじゃないか。
「……急ぎましょう、『雪花お姉様』」
「! ……ええ、『雅樹』」
俺と雅樹は夕日に照らされながら、静かに決意を共にして頷き合った。
……何としても『俺』は、俺が好きな子とデートするのを阻止しなくては!
「お疲れ様です! 今日も流石のスピーチでしたね、先輩!」
「また明日もよろしくお願いします、雪花先輩!」
放課後、元気よく生徒会室を去っていく女子学生達に、生徒会長である姉の『フリ』をした雅樹がにこやかに手を振っている。
「皆さん、どうか気をつけてお帰りなさいませ」
「はいっ」
憧れの生徒会長に声をかけられると、皆まるで恋人に愛の言葉でも囁かれたかのように顔を綻ばせた。その様子を、副会長である【『妹』のフリをした『弟』】のフリをした俺……ええい、ややこしい。とにかく雅樹になりきった俺は少し冷めた目でそれを眺めていた。
学園では俺が【雅樹役】をやり、雅樹が姉である【生徒会長役】をやる……というアイデアは、他ならぬ白咲によるものだ。
「雅樹は副会長だし、ここだけの話、何回か私になりきって生徒会長を代行してるから。『雪花』はまだ学園での私の振る舞い方とか知らないでしょ?」
「……『雪花』って、俺のこと?」
「ええそうよ。覚悟決めなさい。貴女は今日から『私の代わり』として女子校に通ってもらいます」
「…………!」
数日前。彼女の自室で弟に足つぼマッサージをさせていた白咲が、眉をひそめる俺にそう告げた。白咲は俺の見ている前でベッドに寝っ転がりながら、チョコチップクッキーを次々と口の中に放り込んでいく。目の前に男の俺がいるというのに、Tシャツに短パンだけという、何とも曲線美豊かなあられもない姿だ。いくら自分の家だとはいえ、くつろぎすぎ、油断しすぎだろう。もしかして俺は男として見られてないんじゃないかと思って、少し胸の奥が痛んだ。まあ見た目は確かに、男としては見られないんだろうけど。
俺は正座しすぎて痛くなった足を崩し、女の子みたいにペタンと床にお尻をつけた。
この体になって約一週間ほど経つが、未だに心が慣れることはなかった。白咲からもらった女物のジーンズの上からでも分かる、妙に魅惑的な『自分の』太ももにドキドキしながら、俺はモジモジと体を小刻みに揺らした。チョコチップがもう一枚、白咲のぷるんとした唇の奥に吸い込まれた。
「……貴女は雅樹役として、弟のそばにいて『私』について学びなさい」
「……つーか、何でそいつは男なのに女子校通ってんだよ!」
俺は姉の足をせっせとマッサージするあわ……健気な弟を見つめた。雅樹が冷たい目で俺を睨み返した。
「……私はそう甘くはないですわよ。学園では必要があったらその都度メモを取ること。どうしても聞きたいことがあったら、一度しか教えないからしっかりとその体に刻みつけなさい」
「俺は新人バイトか何かかよ……」
まるで鬼教官のような口ぶりに、女子校に通うと聞いて胸が高鳴ったのもつかの間、俺はこれからの学園生活にいささかの不安を覚えるのだった……。
「『白咲は学校では猫を被ってる』……っと」
「何を誤った情報をメモしているのかしら?」
皆がいなくなった生徒会室で、これ見よがしにメモ帳に文字を書き殴る俺を、雅樹がジロリと覗き込んできた。俺は疲れた顔で弟を睨み返した。
「だってそうだろ。家ではあーんなに『女王様』みたいな感じなのによ……。学校じゃこんなにお上品ぶってよぉ……」
「でもアンタ、そんなお姉様のことが好きなんでしょ?」
「う……」
身も蓋もない言い方に、俺は思わず目を逸らした。雅樹が心底嬉しそうに、意地悪い笑みを浮かべた。
「ははあ……今日はやけに突っかかってくるなと思ったら、アンタもしかして……『女の子』になるのが恥ずかしいの?」
「当たり前だろ! 俺は男だぞ!」
雅樹の挑発に開き直った俺は、ヒラヒラのミニスカートを靡かせて勢いよく立ち上がった。雅樹が呆れたように肩をすくめた。
「もう数日経つんだし、いい加減慣れなさいよ。その格好と、この学園生活に」
「慣れねえよ! 何でこんな……スースーするんだ!」
「スカートなんだから当たり前でしょう」
「お前は何でそんな慣れてんだよ!!」
夕日が差し込みオレンジ色に染まる生徒会室で、俺は思わずスカートの裾を押さえた。すると、唐突に雅樹が近づいてきて、頬をピンク色に染める俺の顎を細い指でくいっと持ち上げた。俺は思わず心臓を跳ねさせ、ギクリと体を強張らせた。何せこいつは男とは言え、顔は姉である白咲と瓜二つだ。鼻と鼻がくっつきそうになるほどの距離で、神秘的な顔立ちにじっと射竦められる。俺は思わず生唾をゴクリと飲み込んだ。
「……色々ややこしいのよ。私もお姉様も、ね」
「……近いっ……!」
男の吐息を吹きかけられ、俺は心臓の音を聞かれるんじゃないかと思い慌てて顔を背けた。
……全く、俺は一体どうしてしまったんだろう。まあ……俺も今は体が女だしこいつは体は男でも心は女らしいし俺の方は心が男だから、ドキドキしたってきっと間違ったことじゃない……ないのか? ええい、もう本当にややこしい。
「アンタだって、違うでしょう? 学校で見せる顔、友達の前で見せる顔、家の中で見せる顔……」
「……ん、ああ」
……なんとなく言いたいことは分かるような気がして、俺は頷いた。まぁ、俺の男だった時の記憶が『正しかったら』の話だが。
「正直私は、お姉様はお外で立派な自分を自分に求めすぎてるような気もするけれど……」
「…………」
「そんなことより、よ!」
「ん?」
突然、雅樹が苛立ちを隠せないかのように机をバーンと叩いた。
「こんなとこで駄弁ってる場合じゃないわ! お姉様は今日、あの男の元に出かけてるんでしょう!?」
「あの男って……誠一郎おれのこと?」
俺は白咲家での今朝の会話を思い返した。確か『オリジナル』は、俺の正体を探るべく俺の家……黒田家にいる『男の俺』に接触を試みる予定だった。放課後、俺が通ってた高校の近くのカフェで落ち合うらしい。
「ええそうよ。偵察なんて言ってるけど、これってつまり……『デート』よね!?」
「で……デートぉ!?」
思わず耳がくすぐったくなるような使い慣れない単語に、俺は間抜けにも口をポカンとあけて雅樹を見つめた。雅樹は怒りでワナワナと肩を震わせていた。
「許せないわ! お姉様と一秒でも同じ空間で幸せな時を過ごす男子がいるなんて!」
「じゃあお前は何なんだ……」
「私以外の男が、ってことよ! 当たり前でしょ!? アンタは悔しくないの!?」
「いや……まあ、確かに」
雅樹がキッと俺を睨みつけた。夕日の残り火に袖の辺りを暖められながら、俺は少し想像してみた。白咲が……片思いしている女の子が、他の男とデート……。確かに俺以外の男とデートだなんて、彼女に惚れてる男としては許しがたい。
「ん? でも、いや待てよ……?」
「そうでしょ!? あんな得体の知れない、不気味で、家で爆弾作ってそうな感じのネクラ男に!」
「お、おう……」
「あんな奴とデートするくらいだったら、死ぬまでナメクジ飲んでた方がマシよ! ねえ!?」
「そ、そうだな……そうか?」
「あんな××××い男に、お姉様を近づけてなるものですか! こうしちゃいられないわ!」
「そ、そこまでひどいこと言わなくても……」
「行くわよ、『雅樹』!」
「あ……ま、待って!」
何だか胸に違和感を覚えながらも、俺は生徒会室を勢いよく飛び出して行った弟を慌てて追いかけた。開きっぱなしになったカバンのファスナーから、ノートやら筆箱やらが飛び出しそうになるのを必死で抑える。それでも二人して靴箱に辿り着く頃には、雅樹の怒気に当てられたのか、だんだんと俺も向っ腹が立ってきた。
あわよくば白咲とデートできたら……なんて妄想、男だった頃はよくやっていた。そして今それが、曲がりなりにも叶おうとしている。だけどそれは、『俺』じゃないと意味がない。白咲の隣にいるのが男の俺だったとしても、この『俺』じゃなかったら何の意味もないじゃないか。
「……急ぎましょう、『雪花お姉様』」
「! ……ええ、『雅樹』」
俺と雅樹は夕日に照らされながら、静かに決意を共にして頷き合った。
……何としても『俺』は、俺が好きな子とデートするのを阻止しなくては!