俺の体は。

文字数 2,681文字

「うおぉっ!?」

 朝起きて鏡を見た瞬間、俺は柄にもなく甲高い叫び声を上げてしまった。目の前に写っていたのは、普段見慣れた冴えない男子高校生・黒田誠一郎自身……ではなかった。鏡の中にいた人物が、俺は一目で分かった。何たって『彼女』は俺が密かに想い焦がれていた隣の街の女子校の生徒会長……白咲雪花だったのだ。昨日までバリバリの男子だった俺は、洗面台の前で歯ブラシを取り落とした。

「んな、何じゃこりゃ……!?」

 鏡の中で白咲が眉を吊り上げた。昨日の俺よりも白い素肌。昨日の俺よりも華奢な細長い手足。昨日までの死んだ魚の目が、今日は潤いたっぷりの子猫かリスと言った感じの瞳だ。少しばかり俯くと、手入れの行き届いた長い黒髪が、俺の顔をくすぐったく撫でて行った。彼女の豊満な胸を、一生見ることのない角度から、今俺は眺めている。しばらく鏡の中の美少女に見とれた後、俺はようやく事態を説明するもっともらしい理由を捻り出した。

「これってもしかして、流行りの『入れ替わり』ってヤツなのか……!?」

 目の前の出来事が信じられないまま、俺は試しに頬を抓ってみた。痛い。でも、痛がってる白咲の顔も可愛い……などと見とれてる場合ではない。とにかく『これ』は、紛れもない現実だった。昨日夜更かしして読んだライトノベルのせいか、あるいは去年三回くらい観た大ヒットアニメ映画の影響か……俺は今、どういう訳か憧れだったあの子の体を手に入れている。

「…………!」

 目の前に掲げた両手が、小刻みに震えた。何度かベッドの中で妄想していたシチュエーションも、いざ当事者になって見ると頭が真っ白になって何も浮かんでこない。あんなことや、こんなことをしようと思っていたのに……!

「落ち着け……! 落ち着け……!」

 とにかく事態を把握しなければ。急速回転で日和った俺は急いで学生服に着替えると、マスクと帽子と伊達眼鏡で変装して自転車に飛び乗った。白咲雪花の家は、ここから数キロ先の住宅街だ。何故俺が知っているかって? おっと……そんなことよりもまず、大騒ぎになる前に彼女に接触しなくては!

 これは、チャンスだ。

 俺は自転車を立ち漕ぎし、荒い息を吐き出しながら思わずニヤケが止まらなくなった。一度落ち着きを取り戻してくると、今度は滾った興奮が腹の底から湧き上がってきた。
 だってそうだろう? 『入れ替わり』なんてギャグみたいな珍現象、これはもう、俺が彼女と『お近づきになる』大チャンスじゃないか。この世界に神様がいるとして、俺はソイツに心から感謝したい気分だった。たとえこの世界がアニメ映画の中だったとしても、俺がギャグ漫画の登場人物だったとしても、このシチュエーションはすごく美味しい。入れ替わった彼女と二人で、あんなことや、こんなことができてしまう……! 見えない俺の頭上付近にお花畑が広がっているような気分になって、俺はすれ違う人達に怪訝な顔で見られながら精一杯自転車を漕いで行った。

「きゃあっ!!」
「えっ!?」

 ぼんやりと妄想に耽りながら自転車を漕いでいたからだろう。あと少しで白咲の家に着くという手前で、俺は思いっきり角を曲がってきた少女とぶつかった。

「ご……ごめんなさい!!」
 そのまま急ブレーキをかけ、後輪が直角くらいに浮き上がった後、俺は自転車とともにアスファルトに倒れこんだ。擦り切れた皮膚の痛みよりもまず、ぶつかってしまった相手のことで頭がいっぱいになり、俺は彼女に駆け寄った。

「イタタ……!」
「だ……大丈夫!?」

 少女は地面に尻餅を着いたままゆっくりその顔を上げ俺を見上げた。

 その時、俺の頭に電撃が走った。

「貴女……」
「き……君は……白咲!?」

 俺の目の前にいたのは……憧れの美少女・白咲雪花だった。声をかけたくてもかけれない日々が一年以上続いていたというのに、今日は本当になんて幸運な日なのだろう。超至近距離で小動物のような目に見つめられ、俺の心臓は跳ね上がった。

「……誰?」
「お、俺は……黒田誠一郎……。あの、隣の高校の……!」

 そこまで言って、俺ははたと気がついた。近年稀に見るベッタベタな出会い展開に我を忘れていたが、俺は今朝、白咲雪花と入れ替わったのだった。今の俺の見た目は、目の前の彼女と同じ超美少女だ。いくら入れ替わる前の自分を説明しても、白咲雪花が納得してくれるはずがない。

「ん……?」
「貴女……誰なの?」
「えっと……俺は、白咲雪花……?」
「嘘……白咲は、私なんですけど」
「え?」

 ジロリと冷たい目で睨まれながら、俺は首をひねった。そう、才色兼備を兼ね備え、生徒会長も務める彼女が時折見せるこの眼光こそ、白咲の最大の魅力……などと浸っている場合ではなかった。

「俺の体は……?」
「は?」
「お、俺はてっきり白咲と体が入れ替わったのかと……。漫画とか映画でよくあるみたいな……」
「何言ってんの?」

 今度は俺が、尻餅を着く番だった。人気のない坂道の真ん中で、『二人』の白咲雪花が、お互い驚いたようにそれぞれの顔を見つめた。

「ない……俺の……ない……!?」
「ちょ……貴女何やってんのよ!?」

 目の前の白咲オリジナルが、何故か顔を真っ赤にして俺に怒鳴った。俺はというと、思わず今の自分の体をまさぐっていた。柔らかい。プニプニっとして、とても柔らかい。未だかつて、俺は自分の体をこれほど触りづけたいと思ったことはない。そうじゃなきゃ俺は変態だ。これこそ正しく男子高校生の憧れ、正真正銘・女子の体だ。最高だ。いやそうじゃなくて。

「俺の体……ない……!!」
「ちょっともう! 部屋に来て! 変な目で見られちゃう!」

 呆然と体をまさぐり続ける俺を、白咲が顔から湯気を噴き出しながら引っ張り起こした。本当にもう、照れた顔が最高に可愛い……などと耽っている場合ではない。気がつくと、向かいの道路で、散歩中の犬とおっさんが呆けた顔でじいっと俺達の騒ぎを眺めていた。道路に放り出された自転車もそのままに、俺は白咲に手を握られ彼女の自宅へと連れて行かれた。もうこれ以上ない、最高のシチュエーション、神様には感謝をせずにいられない……そのはずだった。

「俺の体は……?」

 今朝、俺は目を覚ますと憧れの美少女・白咲雪花と体が入れ替わった。だけど彼女の方は、別にそうでもなかったらしい。

 白咲と入れ替わったはずの、肝心の俺の体が、どこにも見当たらなかった。
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