真奈美の朝

文字数 2,448文字

午前6時に一人暮らしのマンションの寝室で目覚めた宮下真奈美は、パジャマ姿のまま電熱式のポットに水を注ぎスイッチを入れた。
そして冷蔵庫からミルクを取り出すと、リビングのテーブルでシリアルフードの朝食を手早く取った。
マグカップにインスタントコーヒーの粉を入れて湯を注ぐ。
ちびちびと熱いコーヒーを啜るうちに、頭がすっきりと冴え始めてきた。

真奈美は昨日の御影純一と東心悟の息が詰まりそうな会談を思い出していた。
はたして御影純一は東心悟を止めることが出来るのだろうか?

・・・いや他人事では無い。私も御影さんと一緒に戦わなければならないんだ。。

東心悟は御影と同等か、もしかするとそれ以上のサイキック能力を持っている。
その上、他人の思考と行動を操ることもできるらしい。

・・・勝てるのだろうか?でも勝たなければならない。。

真奈美はキッチンのシンクに食器とマグカップを放り込むと、歯ブラシを咥えてそのまま浴室に向かう。
パジャマを脱いで浴室に入り、熱いシャワーを浴びた。

シャワーで寝汗を洗い流し、体を拭く。
乾いたバスタオルの感触が心地よい。

真奈美は浴室の外に置かれている姿見で自らの裸体を眺めた。

そこには若い娘の瑞々しい肢体が映っている。
なかなに均整のとれた体形、滑らかな白い肌。
形の良いふたつの乳房の先端に見える桜色の乳首はつんと上を向いている。
引き締まった腹部と細くて長い両足の付け根の間には、控えめだが黒い茂みがある。

・・・たぶん、今が私の人生でいちばん女性として美しい時なんだろうな。。

黒目勝ちな大きな目、高くはないが鼻筋が通り、薄くて小さめの唇を持つ顔は常に男たちの関心を引いた。
中学生のころから、真奈美の顔を見た男たちの第一印象は『かわいい』だった。
口頭で言われるのではなく、心の声が聞こえるのだ。
本来ならこれは喜ぶべきことなのかもしれないが、ほぼ例外なくその後にはいやらしい想像が始まるのが真奈美には苦痛だった。

真奈美は自らの女性としての美しさを認めながらも、気持ちは深く沈んでいた。
真奈美は24歳にして、まだ処女であった。
もちろん、健康な若い女性である真奈美は異性に興味が無いわけではないし、年齢相応の性欲だってある。
(女には性欲が無いと思い込んでいる男が多いことにも、真奈美はあきれていた)

しかしどんなに素敵に見える男性と出会っても、彼の心の奥底の薄汚い感情が見えてしまう。
だから真奈美は男性に対して恋愛感情というものが芽生えたことが無かった。

・・・私はこのまま、誰の目に触れることもなく、処女のまま年老いてしまうのかな。。

自らの若く美しい裸体を見ても、それを想うと絶望的な気持ちになる。

ふと御影純一のことを想った。
心の見えない男性なら、『同類』となら恋愛ができるのだろうか?

・・・でも御影さんて若く見えても父親ほどの年齢だわ。

真奈美は頭を振ってその考えを追い払った。

・・・これから大変な戦いに臨むというのに何を考えてんだろう、この馬鹿娘は。しっかりしろ真奈美!

真奈美は下着を着けると、いつものように地味なスーツを身に纏った。
顔には日焼け防止のためのクリームと、色の薄いリップだけを付けて、軽く髪をとかし黒縁のメガネをかける。

御影の言う変装の出来上がりだ。

午前8時にはS.S.R.I本部に出勤した。

「おはようございます」

所長の田村はすでに出勤していた。

「おはよう、昨日はご苦労様。さて、今日も頑張ってくれたまえ。そうそう、御影君が観たがっていた映像が警察から届いているよ」

「牧野さんの死亡時の映像ですね。先にちょっと見せてもらいます」

田村からフラッシュメモリースティックを受け取ると、真奈美はノートパソコンに差し込んだ。
液晶ディスプレイに映像が映し出される。

デパート店内の映像だ。
婦人洋品売り場で、店内には10数名ほどの人々が映っている。

「これが牧野とその家族だ」

田村が指さしたのは、50代くらいの立派なスーツ姿の男性と、その妻らしい着飾った女性。それと中学生くらいの男の子だ。
3人とも手にはデパートの紙袋を持っている。

画面の中央部を横切るように歩いている牧野が、床に紙袋を置くと胸のあたりを両手で押さえた。
妻が心配そうに背中をさすっている。
間もなく牧野は床に膝を着くと、ゆっくりと横向きに倒れた。

妻が何か叫んでいる。
店員が数名駆け寄ってきた。

「これは決定的瞬間ですね。問題は周辺の人物の中に東心悟が居るかどうか・・」

ガラガラと引き戸の開く音がした。

「おはよう。ああ、みんな早いね」

御影の声だ。

「おはようございます」

「ああ、早速映像を確認しているんだね?どう映っている?」

「画像が荒いのでよくわかりません」

御影も画面をしばらく見つめた。

「女性と子供は除外して、男性全員を調べたいな。一人づつクローズアップして解像度を上げてくれ」

御影の言葉に真奈美は申し訳なさそうに答えた。

「すみません、私のパソコンではそれは出来ないんです」

「なんだって?ここには他にパソコンは無いのか?おいおい田村君、ここは仮にも科捜研なんだろ?」

呆れ声の御影に田村が答えた。

「本格的な画像解析は本物の科捜研に持ち込まなきゃならないんだよね」

まるでここはニセモノであるかのような田村の言い回しである。

「うーん・・そんな悠長な事じゃだめだ。その映像は僕の事務所で解析しよう。そのくらいのソフトならウチにあるから」

「御影君、これは部外秘の捜査資料だぞ」

「固い事を言ってる場合じゃないよ、田村君。これは借りて行く。宮下君、行くぞ」

「はい」

早足で玄関に向かって歩きだす御影の後に真奈美はつづいた。
このとき真奈美は、S.S.R.Iに勤務して初めての充実感を味わっていることに気づいた。
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登場人物紹介

宮下真奈美(みやしたまなみ)

超科学捜査研究所=S.S.R.I所員。他人の思考が読める「サトリ」の能力を持つサイキック。

ドラマ「科捜研の女」の沢口靖子に憧れて科学捜査研究所の求人に応募するも、この能力ゆえに不本意にもS.S.R.Iなる秘密部署に配属されてしまった。

男性の下心まで見えてしまうため恋愛が出来ないのが密かな悩み。

田村貴仁(たむらたかひと)

超科学捜査研究所=S.S.R.I所長。現在は閑職に甘んじているが、かつて某宗教団体による毒ガステロ事件の際、サイキックチームを率いて事件を解決に導いた実績を持つ。S.S.R.Iは警察の通常捜査や科捜研の科学捜査技術では手に負えない特殊な事件を秘密裡に捜査・解決する表向きは存在しない組織である。

山科一郎(やましないちろう)

捜査一課の中年警部補。昔気質の地道な捜査で多くの事件を解決してきたベテラン刑事。怪力乱神を語らずが信条だが「コスモエナジー救世会事件」が通常捜査では手に負えない不可能犯罪であると判断すると、S.S.R.Iに捜査協力を依頼するあたり、けっして石頭ではない。

御影純一(みかげじゅんいち)

かつて驚異の超能力少年としてマスコミの寵児となった稀代のサイキック。その能力は底が知れない。表の職業は私立探偵であるがそちらの実入りが少ないためパチンコとマージャンで稼いでいる。

異常に若く見えるが田村と同年齢。

牧野聡(まきのさとし)

「コスモエナジー救世会事件」最初の被害者。マキエス商事株式会社の代表者。


家山実(いえやまみのる)

「コスモエナジー救世会事件」二人目の被害者。ビエブロホールディングスカンパニーの代表者。

福成欣也(ふくなりきんや)

「コスモエナジー救世会事件」において、死を予告されながらも生き延びた初めての人物。IT産業の寵児として若くして日本屈指の資産家に登り詰めた、ハッピーヘブン株式会社の社長。

安田平八(やすだへいはち)

内閣総理大臣。コスモエナジー救世会より死の予言を受けている。彼の命を守ることがS.S.R.Iの目下の任務である。

東心悟(とうしんさとる)

コスモエナジー救世会・教主。元証券会社の社員だが、40歳を過ぎて突然「宇宙の声」が聞こえるようになり、投資で巨額の資産を築き上げる。その資産を元にコスモエナジー救世会を立ち上げた。真奈美の能力をもってしても思考を読むことができない底知れぬ人物であるが、息子の学に対しては非常に子煩悩な一面を見せる。

東心学(とうしんまなぶ)

東心悟と別れた妻である植山千里の間に生まれた8歳の長男。親権は悟が取得した。ゲームとアニメに夢中なごく普通の小学生だが、いつも一人で遊んでいるあたり孤独な影がうかがえる。

植山千里(うえやまちさと)

東心悟の元妻で学の母親。40歳を過ぎて「怪物」と化した悟を恐れ離婚したが、親権を奪われた学が悟とともにいるのは危険であるため、悟が逮捕されることを望んでいると真奈美たちに訴える。

穂積恵子(ほづみけいこ)

御影純一の探偵秘書。5年前のある事件で御影純一に命を救われたことがきっかけで秘書になった。純一に密かに思いを寄せている。


鮫島亮(さめじまりょう)

内閣調査室の調査員。上司に命じられS.S.R.Iと御影純一にある依頼をするが、本人はサイキックの存在に懐疑的である。

真壁俊太郎(まかべしゅんたろう)

T大学の研究者で医学と物理学と心理学の博士号を持つ。1970年代には「超心理学研究室」に所属し、御影や田村たち超能力少年を研究していた。現在はかなりの高齢者だが「脳量子力学研究所」という名称で研究を継続している。日本における超能力研究の第一人者。

冨井春義(とみいはるよし)

作者。幕間に度々登場する。この小説を執筆したのは身の程知らずにもエラリー・クイーンを真似て「読者への挑戦」付きのミステリイを書きたい!と思い立ったからなのだが、案の定緻密で論理的なトリックなどまったく思いつかず、メイントリックが超能力という身も蓋もなくアンフェアな物語を書いてしまった。それを作者得意のハッタリと卑怯と詭弁でいかに本格推理風に仕上げるかが本作品のすべてであると言って過言ではない。

雨宮信一郎(あまみやしんいちろう)

コスモエナジー救世会事務長。元プロボクサーであり、鋭いパンチを持つ。

谷本伸二(たにもとしんじ)

刑事。山科警部補の部下として登場する刑事は他にも居るが、入院中の御影純一の警護役を言いつけられたおかげでザコキャラ刑事の中では唯一名前とアイコンが貰えた。

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