第4話  噂①

文字数 4,246文字


 偽善は二十と四日をかけて、故郷である樒原(しきみがはら)領の手前にある宿場まで来た。
 前に滞在していた街からここまで、お咎めなく関所を通過できるのであれば二十日とかからない道程だが、お尋ね者故それは仕方がない。
 関所破りなどして無用な騒ぎを起こしたくはないので、その都度、抜け道を探す。時には親切な地元民にこっそり教えてもらうなどして、なんとかここまでたどり着いた。
 あと一つ、領に入るための関所を回避すれば懐かしの故郷に到着だ。ここなら六年前、飛び出してきた時に使った山中の抜け道を使えばよい。
 そう思い、宿でくつろいでいた偽善の耳に、不穏な報せが入った。
 最近、ここいらで山賊が出没するというのだ。
 山賊は山道で旅人を襲い、略奪を行う。時折、山を下りてきては女をさらう。
 お役人による山狩りが行われたが、無様にも返り討ちにされてしまったらしい。
「で、おやじ、その山賊ってのは何人いるんだ?」
 偽善が宿屋の主人に聞いた。
「七、八人ってとこらしいですが……。もしや、お侍様!」
「おう。俺がちょっくら斬ってきてやるよ」
 主人は血相を変えた。
「おやめなせえ! いくらお侍様が強くたって、山ん中じゃ満足に剣も振れねえ。あいつら猿みたいにすばしっこい上、山を知り尽くしてやがんだ。敵いっこねえ」
「なるほどな、それは厄介だ。だが、放っておくわけにはいかねえ」
 偽善の決意は変わらない。それにどうせ抜け道を使う際に邪魔になる。後手に回るより先手を打った方がよい。
「安心しな。あの山のことなら俺もよく知ってる。ガキの頃よく遊んだ山だからな」
 偽善は得意気に白い歯を見せた。


 朝餉をいただいてしばらく休んだ後、偽善は山に入った。旅荷は邪魔になるので宿屋に預けてきた。
 標高が六町(およそ六五〇メートル)足らずの小さな山だ。山道は傾斜が緩やかなところが多く、複雑に入り組んでもいないので、比較的容易に山越えできる。
 それ故、通行が多く旅人を狙いやすくもある。
(まずは見張りを仕留めないとな)
 どこか見晴らしのよい場所に見張り番がいるはずだ。場所はおおよそ見当がつく。
(よくかくれんぼとかして遊んだからな。みんな、元気にしてるかな)
 偽善は昔一緒に遊んだ友達のことを思い出した。
 あの頃は武士の子も町人の子も農民の子も関係なく、みんな仲良く遊んでいた。
 同じ寺子屋に通って、剣術の稽古をして……。
(おっと、今は思い出に浸ってる場合じゃないな)
 山道を逸れ、獣道に入る。
 人が踏み固めた山道と違い、動物が草を踏み分けただけの通り道だ。よく見ていなければそれとわからないほど細く心許ない。
 それからしばらく進み、小高い崖の上から山道を見張る男を見つけた。
(やっぱりそこか)
 腰に白木拵えの長ドスを差した、いかにも博徒崩れといった風体の男だ。通行人が減って暇だからか、岩場に腰を下ろして欠伸をかいている。
 偽善は太刀ではなく脇差を抜いた。木々などの障害物が多く、地面が平らでない山中で長物は扱いにくい。この場合は片手で扱える脇差の方がよい。
 草木が生い茂るこの場所で完全に音を殺して近付くことはできないが、どうせ一瞬のことだ。長ドスを抜く間も与えない。
 草むらから岩場まで一直線に駆け、男が「あっ」と言う間に口を塞ぎ、喉元に刃を突き付けた。
 そして、問う。
「ちょいと尋ねる。俺は悪斬り偽善ってもんだが、お前さんは最近出没するっていう山賊の一味かい?」
 万が一にも無関係な人間を殺してしまわないための確認だ。
 男は大きく目を開くだけで頷かない。が、否定もしない。
 念のため、もう一度だけ問う。
「お前さんは、この辺りで盗みをしたり、女をさらったりする山賊の一味かって聞いてんだ。違うんだったら首を横に振りな」
 男の首は動かなかった。代わりに、こっそり偽善の腰の刀を奪おうとしていた。
「決まりだな」
 偽善は男の頸動脈を掻き斬った。


 連中が根城にしている場所もだいたい見当がついているので、偽善はそこへ向かった。
 途中、見張りの交代に行くと思われる男を見かけたので、先ほどと同じような問いかけをした後、容赦なく斬った。
 これで残りは五人か六人。
 しばらく進むうちに獣道が少し開け、人が不自由なく通れるほどの小道になった。山賊が使っている道だろう。
 となると――
(お、あった)
 どうせ仕掛けてあるだろうと目を凝らして歩いているうちに、小道を横切るように張った細い紐を見つけた。鳴子(なるこ)だ。これに引っ掛かると木の板や竹筒などがカラカラと音を出し、近付く者の存在を知らせる。
 他にも罠がないか気を張って進むも、仕掛けてあったのは獲物を捕まえるための落とし穴や虎挟みだけで、それほど厳重ではなかった。あまり多くの罠を仕掛けては、自分たちが引っ掛かってしまうと思ったのだろう。
 それから少し歩き、目的地に着く。そこは木こりが使う山小屋だった。
(当たりだな)
 小屋の中から笑い声が聞こえてくる。昼間から酒盛りでもしているのだろうか。
(そんじゃ、ちょっくらお邪魔しますかね)
 偽善は無遠慮に小屋の戸を開けた。
「よう、楽しんでるかい?」
 軽口を叩きながら人数を確認する。先ほどの見張りと同じような風体の男が六人。
 小屋の中には、旅人から奪ったと思われる金品や食料があった。
 もはや改めて問うまでもない。
「なんだてめえは!?
 男の一人が叫ぶ。
 それを合図に、全員が手元に置いてある長ドスを手にする。
「俺は、悪斬り偽善」
 名乗った直後、偽善は脇差で手前の男の首をはねた。居合い斬りだ。
「な……!」
 斬られた男の隣にいた男が驚愕する。
 その一瞬の隙を逃さず、返す刀で二人目の喉を斬り裂いた。
 首を切断するには至らなかったが、その出血量からして絶命は確実だ。
 これであと四人。
 今まで何人も殺してきて肝が据わっているのか、男たちは早くも立ち上がり、長ドスを抜いていた。目の前で仲間二人がやられたというのに戦意を失っていない。その相貌は憎しみと殺気で満ちている。剣術の心得はなくとも、ある意味で用心棒より手強いかもしれない。
(さて……)
 迂闊に踏み込んでいっては、一人を仕留めている間に他の者にやられる。
 いかに偽善であっても、狭い小屋の中で次々と襲いかかられては致命傷を免れない。
 しかし、その狭さ故に全員が一斉に襲いかかってくることもない。
 よって相手が動くのを待つ。
「この野郎!」
 一番近くにいた男が、こちらの胴を狙って突きかかってきた。
 偽善にはこの攻撃が読めていた。この小屋の中では、天井や壁、仲間の身体など空間に制限があり、尺のある長ドスでは上段からの振り下ろしや横薙ぎができない。攻撃はほぼ突きに限定される。それも素人なら的の大きな胴を狙ってくる。
 偽善は、わずかに身を逸らすことでこれを避け、体勢を崩した男の首を脇差で裂いた。
 男は顔面から壁に突っ込み、崩れ落ちる。
 これであと三人。
 だが、怖いもの知らずの山賊たちは怯まない。血だまりに沈む亡骸を踏み越え、果敢に立ち向かってくる。今度は二人同時だ。
 偽善は無理をせず後退し、小屋から一歩だけ外に出た。
 そして、出入り口のところで敵を迎え撃つ。
 この位置であれば一人ずつしか攻撃ができない。
 先に向かってきた男の胴突きを避け、同じく首を薙いだ。
 また一つ、山賊の亡骸が増える。
「こ、こいつ、強えぞ!」
 さすがに斬り合いは不利と悟ったのか、残る二人は後退した。
 が、未だ戦意は衰えない。長ドスを畳に突き立てた後、
「これでもくらえ!」
 と、物を投げつけてくる。
「おっと!」
 偽善が難なく避けると、地面に落ちた徳利(とっくり)が割れ、中の酒が飛び散った。
「おいおい、もったいねえな」
 などという偽善の言葉に構わず、二人は手当たり次第に物を投げつけてくる。
 何も律儀に避け続けることはないので、偽善は戸口から身を引いた。
 すると、飛来が止む。
 そぉーと中を覗いてみると、また物が飛んできた。
(やれやれ、面倒なことになったな)
 頭さえ守れば致命傷を負うことはないから一気に突っ込む手もあるが、できれば傷は負いたくない。火をつけて炙り出すのもダメだ。この小屋は後々隠れ家として使いたい。
(何か盾になるものがあれば……おっ!)
 妙案を思い付き、偽善は血を拭ってから脇差を鞘に収めた。
 それから、小屋の戸板を外す。これを盾にすれば大抵の物は防げる。
 連中の腕とあのなまくらで、とっさに戸板を突き通すことはできまい。
 一瞬だけ中を覗いて男たちの立ち位置を確認した後、突撃。
 男の一人に戸板ごと体当たりをして、壁に叩きつけた。
 すぐさま、もう一人の男を見る。
 ――太刀の間合い。
 偽善は居合い斬りで男の胸を深く斬り裂いた。男は血を吹きながら力なく崩れた。
 直後、戸板の下敷きになっていた残り一人が跳ね起きる。
「おああ!」
 ほぼ同時に、男の右手にある長ドスが下方から襲い来る。
 剣術の型もへったくれもない、力任せの斬撃だ。
 だが、偽善はその手の攻撃には慣れていた。
「遅い」
 長ドスが振り上がることはなかった。
 その前に、逆手で瞬時に抜いた偽善の脇差が男の心臓を捉えていた。
 

 山賊を仕留めた証として、偽善は八本の長ドスを持ち帰った。
「こ、これは! まさか、本当に……」
 宿屋の主人は驚愕の声を上げた。
「山賊の亡骸と盗品は川の近くに並べといたから、お役人に検分するよう言っといてくれ。そんじゃ、あとのことはよろしく頼む」
 預けておいた旅荷を返してもらった偽善は、さっさと宿を出ていく。
「ちょっと、お待ちくだせえ!」
 主人が追いかけてきた。
「ん? まだ何か用か?」
「まだって、お侍様。大手柄だってのに、報償も受け取らずに行くんですかい?」
「いや、そういうのはいいんだ」
 まさか、お尋ね者が奉行所に顔を出すわけにもいくまい。
 それに戦利品なら手に入った。あの小屋と食料、それから、運良く新しい布団があったので、それも頂戴しておいた。元の持ち主には悪いが、外に置いたら汚れてしまうので、そのくらいはやむなしと割り切った。
 そんな事情を知るはずもない主人が食い下がる。
「ですが、こんだけのことをしてもらって何もってわけには……。せめてあっしから、お礼をさせてもらえやせんか?」
 義理堅い主人だ。
 それなら――と偽善は言う。
「握り飯を作ってくれねえか。できたら、たくあんも付けて」
「え、それだけですかい?」
「それで充分だ」
 
           

 
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