第3話  理念③

文字数 1,158文字

 夜。
 倉井石(くらいせき)はどうにも寝付けなかった。久々に行った他流試合の熱が収まらぬからであろう。
 気を静めるため、外の風に当たりにいく。
 空には真円に近い十三夜の月が輝いており、灯りがなくとも視界に不自由しない。
 蒼葉を起こさぬよう、そっと戸の開け閉めをした。
 春も間近とはいえ、まだまだ夜は寒い。だが、身体の熱は冷めようとも、気の昂りはなかなか収まらなかった。
 白光を放つ月を見ながら今一度、試合のことを思い出す。
 力任せな部分はあるものの、迷いがなく思い切りの良い連撃。一本取られた後も、すぐに冷静さを取り戻す胆力。沼田は明らかに他流試合に慣れていた。
 わざと打たせてやった小手も、竹刀で叩くだけの魅せ技ではなく、骨まで響く威力だった。今もまだ痺れが残っている。
 腐っても名門・一刃流の免許皆伝を許されただけのことはあって、決して弱い相手ではなかった。少なくとも、雲月流の門下生にあれほどの遣い手はいない。
 そんな剣客に余裕を持って勝つことができたのだ。しかも、遺恨を生まぬための配慮までできた。
 自分は確実に強くなっている。
 尊敬するかつての師・雲月蒼助に、確実に近付いている。
 あるいはもう越えているのかもしれぬ。亡き人と力比べはできぬ故、もはや確かめようもない。
 ただ一つ方法があるとすれば、あの男に勝つことだ。まだ元服も迎えていないような歳で我が師を斬り伏せたという、あの男に。
 あれから六年。あの男はさらに強くなっているはずだ。
 その音は、都から遠く離れたこの地にも聞こえていた。
 悪斬り偽善。
 奴に勝つことができたなら――
「ムッ!」
 不意に、石は飛び退いた。
 右手に人の気配を感じたからだ。
「何奴?」
 現れた人影に誰何(すいか)しながら、太刀に手をかける。風呂と(かわや)に行く時を除き、太刀は肌身離さず持っている。
「夜分に失礼。驚かせるつもりはございませんでした」
 返ってきたのは聞き覚えのない男の声だった。
 暗闇に溶け込むような黒の装束を纏っているので、姿はよく見えない。
「何者だ?」
「私は、領主・樒原孝水(しきみがはらたかみず)様の遣いにございます」
「なに、孝水様の……!」
 武士としてそれほど身分の高くない石に領主との接点などない。お顔を拝見したことすらない。知っているのは、一昨年に前領主が病死したため、十六歳の若さで後継者となった青年だということだけだ。
 石は柄から手を離す。
 暗殺が目的なら背後あるいは頭上から仕掛けてくるはずなので、この者に敵意はない。
 領主の遣いというのが本当かどうかはさておき、話くらいは聞く価値がある。
 ただ、このような形で訪ねてくるなど普通の遣いではない。
 おそらく、この者は密偵だ。
「して、何用か?」
「単刀直入に申します。実は、孝水様が倉井殿の腕前を見込んで、ある重大な任を与えたいと仰せにございまして……」
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