第7話  捜索①

文字数 1,845文字


 大きな握り飯の包みを持たせてくれた宿屋の主人に、偽善は礼を言った。
「ありがとよ。ついでにもう一つだけ頼みたいんだが、お役人に俺のことを聞かれたら、知らない間に出て行ったと伝えておいてくれないか?」
「わかりやした」
 理由も聞かず、主人は頷いた。事情を察してくれたようだ。
「またこの宿場に来ることがあれば、ぜひうちへ寄ってくだせえ。お侍様でしたら、何日逗留していただいても構いませんので」
「縁があったらそうさせてもらうよ」
「では、お気をつけて」
 深く丁寧なお辞儀に見送られ、偽善は宿屋をあとにする。
 感謝されるためにやっているわけではないが、感謝されるのは嬉しいものだ。
 自分の行いに少なからず意味があることを実感させてくれる。
 天は自分に類い稀なる剣の才を与えた。
 その才を存分に生かす今の生き方に悔いも迷いもない。
 世の中には、明らかに斬って捨てるべき悪が存在する。だが、そうした悪が力を持っていたり、法に守られていたりして、裁きが下せないことがある。長きに渡って悪がのさばってしまうことがある。
 そんな厄介な悪を裁くのが悪斬り偽善だ。
 ――そう偽善。
 この行いが偽善だということは承知している。
 悪に明確な基準などない。世に絶対的な善悪は存在しない。
 誰かにとっての悪が、別の誰かにとっては善ということもある。その逆もしかり。
 極論を言ってしまえば、動物や魚を食う人間は、動物や魚にとっては全員が悪なのだ。
 自分の行いが善か悪かなど、すべて自分の都合でしかない。
 だから、偽善と名乗ることにした。
 自らの正義に酔わぬために。
 
 
 山賊との戦いで汚れた小屋を、偽善は綺麗に掃除した。
 少しばかりの食料を除き、明らかに盗品と思われる物は返しておいたが、小屋にあった生活道具は遠慮なく頂戴した。
 あとは街で足りない物を少々買い足せば、当面はやっていけそうだ。
 山賊を斬った次の日の昼過ぎ。
 偽善は六年振りの故郷、樒原(しきみがはら)領へと向かう。
 樒原領は面積が小さいながらも豊かな土地である。
 西の端から東の端まで十里(約四十キロメートル)ほど。
 北の端から南の端まで七里(約二十八キロメートル)ほど。
 やや横長の四角形に近い領土は内陸部に位置し、平地が多い。また、領のほぼ中央に位置する城下町が交通の要所となっているため、農業・商業が共に盛んである。
 偽善は山中の抜け道を通って領内に入る。山賊が残らず斬られたことが早くも知れ渡っているのか、街道には多くの人々が行き交っていた。
 そんな中に何食わぬ顔で混じる。
 もっとも、深編笠を被っているので周囲に顔は見えないが。故郷であるこの土地には顔見知りがいるので念のためだ。
 街道をしばらく歩くと、そこはよく知った農村だ。川と田畑と茅葺(かやぶき)屋根の民家が視界いっぱいに広がるのどかな光景は、六年前からちっとも変わっていない。
(俺はこんなに変わったのにな)
 ここを飛び出した時は、まだ十三の少年だった。それが今や天下のお尋ね者だ。
 かつての友人や知人と関わっては危険に巻き込んでしまう恐れがある。変わらない風景を見られただけで満足しておかなければならない。
 ところが、しばらく歩いているうちに農村の異変に気付いた。
 妙にやつれている人が多い。遠目からでも表情に精気がないのがわかる。
 みな歩くのも億劫そうだ、
(昨年は不作だったのか)
 だとしても、どの村にも蓄えはある。それで賄えないほどの大飢饉であれば、周辺地域にも影響があるはずだ。山を挟んですぐ隣の宿場町でさえ、あからさまに食糧が不足している様子はなかった。
 不審に思った偽善は、石段に座って休んでいた年配の行商人に尋ねてみる。
「なあ、じいさん。村の様子がおかしいみてえだが、どうなってんだい?」
「ああ、年貢が収められなくて、蓄えまで持っていかれたんだね」
「なんだって……?」
 偽善は眉を寄せる。
「もしかして、不作だってのに年貢が減らされなかったのか?」
「そうみたいだね。詳しくはわからねえが、ご家老様がお決めになったらしいよ。ひどいもんだよねぇ。不作は天候のせいだってのに、農民にばかり負担を押し付けて」
「そうだったのか……」
 偽善は行商人に礼を言い、街道を再び歩き出した。
(どうやら噂どおり、悪徳家老とやらがこの地でのさばってるようだな)
 ならば斬る。
 そのためにも、まずは情報集めだ。
(買い物ついでに城下の様子でも見てくるか)
 偽善は早足で農村を抜けた。
 
             


 
            
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