第48話丹沢温泉①

文字数 1,073文字

圭太は、週末までは、何事もなく過ごした。
仕事はチーフの久保田と組み、教わることが多かった。
圭太の覚えも早く、監査の一定の流れや事例を学んだ。
昼食も、男性監査士と食べるようになり、(気持ちが楽になったのか)丼物
や定食は、完食するようになった。

土曜日になった。
圭太は、朝早く、午前8時に月島のマンションを出て、かねて予約してあった丹沢温泉に向かう。
新宿経由で、最寄りの駅には午前10時には着いてしまった。
「早過ぎた」とは思わない。
下手にのんびりして、佐藤由紀に押し掛けられても困ると思った。
「あいつの文句を聞いていると、まったく気が休まらない」
「そもそも、何で酒に酔って絡まれたり、文句を言われるのか、それもわからない」

しかし、いつまでも嫌なことを思っても仕方がない。
タクシーを拾い、そのまま宿泊の旅館に直行した。

予想通りの古びた旅館だった。
「いらっしゃいませ」
中年の冴えない和服の女将に迎えられた。

圭太は、時間を気にして確認を取る。
「少し早過ぎますか?」
女将は、冴えない顔を、少し笑顔にした。
「いえいえ、お部屋にご案内します」

古びた旅館ではあったけれど、掃除は行き届いていた。
廊下はしっかり磨かれ、塵一つ落ちていない。

部屋の畳は、新しかった。
大きな一枚板のテーブルが部屋の中央に。
圭太は、座布団に座った。

女将に話しかけられた。
「こんな若い人が来られるのが、珍しくて、ドキドキしますよ」

圭太は、答えに困った。
「ああ・・・はい・・・」
「少々、気休めに」
「座布団に座るのも、久しぶりです」
圭太自身、間の抜けたリアクションと思うが、女将は柔らかく笑っている。

「そうですか、温泉はいつでも入れます」
「お昼と夜はいかがなされます?」

圭太は、実は何も考えていなかった。
「ああ・・・お昼は・・・軽食で・・・」
「夜は、外食に」
とにかく重いものは無理と思った。

女将は、柔らかく微笑む。
「ロビーの横で、お食事なさいます?」
「軽食なら出せますので」

圭太は、この女将の柔らかい受け答えが、ホッとする感覚。
「はい、助かります」
少なくとも、佐藤由紀の強い調子、山本美紀の感情に走った言葉、佐藤絵里の重い雰囲気より、よほど気が休まる。
(そうかと言って、中年趣味はない)

女将は、また話しかけて来た。
「もし、夜お出かけなら、お店も紹介します」
「差し支えなかったらですが」
「私の妹が店を出しておりまして」

圭太は、迷わなかった。
「ありがとうございます」
「楽しみにします」

女将は丁寧に、お辞儀をして、部屋を出て行った。
圭太は、そのまま横になった。
手をのばすと、畳、これも子供の時以来である。
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