３２

　
僕の腕の中の彼女は、幸せの余(よ)韻(いん)の中で、
ふと深海の夜空を見上げつぶやいた。


『あれ！』


そうして起き上がり、
キョロキョロと辺(あた)りを見(み)渡(わた)し始めた。


その仕(し)草(ぐさ)が可愛(かわい)くて、
思わず僕は彼女を引き寄(よ)せ抱(だ)きしめる。

そんな僕を彼女は押し退(の)ける様(よう)にして言った。


『ピーピーとキーキーがいない！？』


僕は慌てて窓の外を見ると、
そこにはピーピーとキーキーの姿がなかった。


彼女は慌(あわ)てて船体のライトをつける。


全方位に広がった明かりが、
深海の闇を照(て)らし出した。


そこに二匹の兄弟の姿は無く、
ただ千切(ちぎ)れたケーブルだけが漂(ただよ)っていた。

彼女はこれ以上ないほど取り乱(みだ)し、
僕にしがみついた。


『どうしよう？どうしよう？どうしよう？』


それは津波が来た時でもまったく応(おう)じなかった彼女の、始めてみる姿だった。


明らかに彼女の弱点(アキレス腱)をさらけ出していた。


「サメにでも襲われたんじゃ」


僕がそう呟(つぶや)くと彼女はすぐに反論(はんろん)した。


『それはない』


自(じ)信満々(しんまんまん)に断言(だんげん)する彼女に僕はたずねる。


「どうして？」


『訓練(くんれん)されたイルカは例(たと)えば軍用イルカ達は、
　大型のサメでも殺す事無く撃退出来るの。

　殺すよりずっと難しい事よ。

　それは群(む)れで狩りをする彼らが、
　お互いに会話しながら連携(れんけい)をとれるから。

　常(つね)に単独行動のサメは彼らにかなわないの。

　だからサメは決(けっ)してイルカを襲わない。

ピーピー達はまだ子供で二人しかいないけど、
　それでも普通のサメには負けないわ。

　それは彼らが二人で一人だから。

　決(けっ)して互(たが)いを見捨(みす)てないとわかってるから。

　だからどちらかが囮(おと)りになって、
　背(はい)後(ご)から攻撃出来るの。

　それは軍用イルカでも、
　互(たが)いの信頼がなければ出来ない事なの。

　でも二人にはそれが出来る。

　二人は愛で繋(つな)がってるから。

　どんな事があっても互(たが)いを見捨(みす)てないと
　わかっているから 』


それは人間が見(み)習(なら)うべき彼らの絆(きずな)だった。

そんなサメより強い彼らが、
人間を襲った事例はほとんど聞かない。


逆にサメに襲われてる所を助けられたり、
溺(おぼ)れている所をイルカに助けられた事例は、
昔から世界中で残っている。

それでも全ての個体が、
人間に友好的なわけではない。

例(たと)えば、
イルカ漁(りょう)で人間に仲間を殺されたイルカは、
人間を憎んでいるだろう。


人間を見かければ逃げるか、
襲って来るかも知れない。