第2話

文字数 2,996文字

「家も近いんですよー。あんまり遠いとこだと交通費出るかわかんないし。移動もめんどいし。近いって大事じゃないですか? 私、ここなら絶対遅刻しません」
 オザワさんはそう宣言して、けたけたと笑った。女子高生とせまいソファに横並びもどうかと思ったので、ぼくは少し離れたところで立ちながら質問をしていった。威圧感を与えないように、気持ち猫背の姿勢を取る。あまり前のめりになりすぎても気持ち悪いだろうし、背筋の角度というのは存外むずかしい。
「えーと、ちなみに週何日くらい入れますか?」
「帰宅部だし。じゃんじゃん稼ぎたいんで、いくらでもー」
「土曜日も大丈夫ですか?」
「基本ひまですし、大丈夫ですよー。あ、でも土曜の朝イチはちょっとキツいかも」
 オザワさんはそう言ってちょっと首を縮こまらせる。薄く開いた口から、舌先だけのぞかせる。そういうポーズも似合ってしまう正当な愛らしさが、彼女には備わっていた。ぼくの心臓も思わず跳ねる。顔に出さないように細心の注意をはらう。
「あとは……そうだなあ。居酒屋みたいに同世代の仲間とわいわいって感じじゃないんだけど大丈夫ですか? 多分、基本は一人で入ってもらうことになるんですけど」
「え、私だけですか? 店に一人?」
「あ、いや、ぼくはいるようにしますけど」
「テンチョーいるなら大丈夫です」
 オザワさんの話し方は間延びしているので、店長もカタカナでテンチョーと表記したほうがしっくりくる。そしてオザワさんのまえのぼくは、確かに店長さんではなくテンチョーなのだろう。
「じゃあ、来週から来てもらいたいんですが大丈夫ですか?」
「え? 採用ってことですか?」
「あ、はい」
「もう決定?」
「そうです」
「なんだー」
 オザワさんは途端に脱力したようにソファの背もたれにもたれかかった。その弛緩した状態が似合うと言っては失礼だろうか。
「あ、すいません。友だちにおどされてたんですよー。アルバイトでも圧迫面接あるかもだし気をつけろよとか。めっちゃプライベートな質問もされるから準備しとけよとか」
 だらしなく、ふにゃりと彼女は笑った。履歴書の完璧な笑顔より、こっちのほうがオザワさんには似合うと言っては失礼だろうか。
「あー、もう緊張して損した。昨日とかいろいろ想像して、いつもより寝つき悪かったし」
「想像?」
「テンチョーがヤクザみたいな強面パターンとか、お姑さんみたいないびりパターンとか。めっちゃイメトレしましたもん」
「想像力たくましいですね」
「私、こう見えてクリエイティブなんですよー」
 オザワさんは完全にリラックスしているようだった。ぼくの店というより、彼女のリビングみたいな空気がすでにできあがっていて、創造力もたくましい子だと思った。
「でも実際、テンチョーみたいに淡々としてるのってめずらしいんじゃないですか? 私はバイト初めてだけど、友だちの話聞いてるとハラスメントすごいもん」
「ハラスメントですか」
 敬語の割合を早く減らせる人は社交的である。オザワさんはすごい。ナチュラルに、相手に不快感を与えない程度に、しかし速やかにくだけた口調を採用している。
「辞めてもらったっていいんだよとか、別に代わりなんていくらでもいるよとか」
 定型文のようなパワハラ文句だが、まだ口に出してしまう人がいるんだなあ。思っている人がいなくなりはしないだろうけれど、それを伝えるかどうかだけで結果は百八十度違う。
 言わなきゃいいだけなのに。沈黙は金だと、ぼくは常々考えている。金をみがきつづけると、つまらないやつだと認定されがちだけれど、社会的に抹殺されるよりはよっぽどマシだろう。もうなにも言えなくなるよりは。
「彼氏いるのとか、何人目なのとか」
「すごいですね」
 なにがすごいのか、自分でもよくわからない。でも、そう返すしかない。そういう質問を思いつくのが、ぼくにとってはまずすごいことなのだ。
 例えば国の文化や風習による違いが原因ならわかる。欧米の人が土足で家に上がったり、挨拶代わりにキスをしたりするように。自分を取りまいてきた環境や歴史の積み重ねは、個人の裁量ではどうにもならないことがあるからだ。
 でもおそらく、オザワさんが言っているような質問をする人は、ぼくと同じ国の人間なはずで、多分年齢だってそう変わらないはずだ。じゃあこの国でその言動をする末路なんて、簡単に想像できそうなものなのに。
 という小難しいことを考えていると、やめろやめろと茶化すように電話が鳴る。ポコポコポコポコという間の抜けたメロディは初期設定されていた着信音で、変更するのも面倒なのでそのままにしている。
「変な音」
 と、オザワさんはつぶやいた。ぼくは「ちょっとすみません」と断って電話に出た。カウンターの隅に置いてある固定電話の受話器を上げる。
 この次に面接に訪れる予定のフカモリさんからだった。「申し訳ありませんが少し遅れます」という早口で硬い声が、そのままフカモリさんを表しているようでもあった。
 了解して電話を切って戻ると、ソファに座ったままのオザワさんがじいっとこちらを見つめて待っていた。
「次の面接の人ですか?」
「あ、そうです」
「どんな人ですか?」
「え、いや、これから会うからまだわからないです」
「あー、そっか。んー、若いんですか?」
「ちょっと個人情報は」
「いいじゃないですかー年齢くらい」
「まだ採用かもわからないですし」
「だからいいんじゃないですかー」
「うーん、まあ、オザワさんよりは年上です」
「ふーん。そうですかー」
 粘ったくせに、ぼくの答えには興味を示さない。同い年や年下ならよかったのだろうか。
 そこからほんの数秒沈黙が下りた。初対面同士での不意の沈黙は緊張する。
 オザワさんはなにも気にしていないようだった。ブレザーの少しふくらんだポケットに手を入れようとしてやめていた。多分、スマホが入っているのだろう。ほとんど反射のように、時折触れたくなるらしい。実は面接している最中も、彼女の手は対象物を求めてたまに宙をさまよっていた。
 この沈黙を終わらせるのは、テンチョーであるぼくだろう。
「じゃあ、今日はありがとうございました。来週の月曜、同じ時間に来てもらえますか? そこで説明しつつ業務に入ってもらいます」
「わかりましたー」
 これからよろしくというより、これでおしまいというような返事だった。オザワさんはバイトの面接というイベント自体をもっと楽しみたかったのかもしれない。
 マンモス校の生徒たちの影がちらほら見えた。当たり前だけれど、オザワさんと同じ制服の子ばかりだ。
 たまたま店の前を横切った女子たちの集団は、オザワさんと比べるとスカート丈が長くはためいていた。靴下も清潔感のある白ソックスで固めている。オザワさんの靴下は真っ赤に燃えていた。ちょうどマンモス校の背後へ沈む夕日のように。
「お疲れさまでした」
 ぼくがそう言って見送ると、オザワさんは目を丸くしてぎこちなく頭を下げた。ほんの少しはにかんだ表情は、やっぱりとてもかわいらしい。
 夕焼けに染まる彼女の背中を見て、ああ、女子高生はお疲れさまでしたと言われる機会がないのかもしれないと気がついた。初・お疲れさまでしただったかもしれない。
 オザワさんにとって有意義なイベントになっただろうか。お疲れさまでした。ぼくが初めて言われたのは、いつだっただろう。
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