第1話

文字数 4,425文字

 マンモス校の目と鼻の先にあるからだろうか。
 チェーン店でもない、個人経営のしがないクリーニング屋のアルバイト募集に応募は殺到したのだ。
「わが社の求人広告がお役に立ててなによりです」
 求人誌【おしごとやさん】の営業マンであるナガノさんは、この暑いのに汗ひとつかいていない。
 世間はクールビズの時期をどんどん前倒しにしているというのに、彼はいつでもきっちりとかしこまったジャケットを羽織っている。風の通りぬける隙間もないくらいで、見ているだけで息苦しい。上背もあってそこそこ筋肉質に見えるナガノさんだが、実はそのジャケットを脱げばもやしみたいな体が現れたりするのだろうか。着太りするタイプだったりして。
 しかし、さわやかだけど濃いめという相反する要素を絶妙なバランスで保っている顔立ちに、ひょろひょろの体躯はさすがにそぐわない。ちぐはぐさとかギャップに萌えるのは、一つまでと制限がかかっていてほしい。それ以上あると、わたしの小さな脳みそはすぐにキャパオーバーしてしまう。
「おかげさまで、びっくりするくらい問いあわせがあります」
「うれしいなあ。ほかには広告出してないんですよね?」
「ええ、もう【おしごとやさん】にお任せで」
「営業冥利につきます。で、何件ほどありましたか?」
「十二件ですね」
「え、少ないじゃないですか」
「え、そうですか」
「殺到っていうから、もっと多いと思ってたんですけど」
「いえ、もう十分です」
 わたしとしては形ばかりの面接だけして即採用というつもりだったのだけれど、立てつづけに四本電話がかかってきたところで、こりゃ無理だと早々にさじを投げたところだ。
 ナガノさんに相談すると、「フリーペーパーのほうは無理ですけど、ネットのほうの情報はすぐに差しかえられます。まずは履歴書を送付すること。注意書き追加しときますね」とすぐに対応してくれた。
 実際このご時世、応募者はすべてネットを見て問いあわせしてきているようだった。本当は入口を電話じゃなくメールに、履歴書も郵送ではなくフォーム送信にしたほうがいいようだったけれど、あまりパソコンをいじる習慣のないわたしはそこだけは昭和対応のままでいかせてもらった。
「でもまあ、手書きの履歴書でよく集まったほうですかね。逆に言えば、それだけ意欲があるってことですね」
「だといいんですけど。圧倒的に高校生が多いです。そこに私立高校があるから」
「進学校だから履歴書もちゃんと書けるんでしょうね」
「そういうもんでしょうか」
「そりゃあそうでしょう」
 ナガノさんは白い歯を見せて、にかっと笑う。モテるんだろうなあと思う。ジャケットをまとっていても、体内から湧いてくる自信は閉じこめておけないのだろう。蒸気のように白くにじみでているのが見える。その熱でプリンとかが蒸せそうだ。やっぱり暑いんじゃないか、ナガノさん。
「面接に来てもらう人は決まりました?」
「正直、まだ迷ってます」
「これですね。ちょっと失礼」
 衣類の森からはずれたバックヤードの隅っこ、小さなソファで横並びになってわたしたちは座る。いつか流行った感染症の影響で対面に座ることをいまだに気にする人もいるけれど、物理的にもう一つソファとテーブルを置くほどのスペースがなかったのだ。
 ソファ上で距離を保つために置いておいたクリアファイルを、ナガノさんは遠慮なく手に取った。履歴書十二枚がそこに収まっている。正確に言うなれば、職務経歴書を律儀に添えてきたフリーターもいたので十三枚。
 ナガノさんはつまらなさそうにパラパラと履歴書をめくっていく。家電についてくる分厚い説明書だって、もう少し興味を示さないだろうか。
 最後の一枚になって、ようやくナガノさんが「お」と小さく声をもらした。表情もどこか晴れやかになる。
「この子、いいんじゃないですか」
 ぎしっとソファをきしませて、ナガノさんは履歴書を掲げてくる。丸っこい文字でちまちまと埋められたそれは、面接に来てもらうか迷う候補に入れていない子だった。ただ、入れていない子の中では一番印象に残っている。
「オザワさん。あ、まさにそこの高校の生徒なんですね。笑顔がいいですね。僕だったらまずこの子には来てもらうなあ」
 ナガノさんは住所や趣味、特技などをなぜか読みあげてみせ、その実、視線は顔写真に注いだままだった。
 履歴書の写真というものは、なにかの陰謀かというくらい写りが悪いものだと思っていたけれど、オザワさんは輝かしいほどきれいな笑顔だった。肌も白く光り、生命力がみなぎっている。まるで宣材写真みたいだ。プロのカメラマンにでも依頼したのだろうか。こんな小さなクリーニング屋のアルバイト応募で。
 ここ【オセロクリーニング】は、完全になりゆきでわたしが開業するはめになったクリーニング屋だ。親子三代にわたってのれんを守りつづけているとか、大型チェーン店の一店舗であるとか、そういった歴史や規模ではない。
 わたしのパートナーは外国人だった。言葉がいっさい通じない代わりに、身振り手振りがやかましい人だった。
 バス停の場所がわからない。バスの乗り方がわからない。バスの降り方がわからない。バスを降りたあと、どうすればいいのかがわからない。
 つまりはなんの目的もなしに、この土地へやってきたということだ。初めて会ったときからそんな具合だったけれど、特に動揺したりおびえたりしている様子はなかった。能天気というか大物というか、視線は常に好奇心のままに定まらず、薄い胸は堂々と張ったままだった。
 結局バスには乗らずに駅近くのホテルで夜を明かしたとき、名前だけはウェスだということがわかった。目的はないけれど、なにかを成しとげたい気持ちだけはあるということもわかった。わたしと真逆だと思った。それが新鮮だった。
 ウェスは日々、目に映るものすべてに刺激を受けながら、なにかを模索していた。やがてそのなにかはカフェ開業であるらしいことが判明した。ずいぶんわかりやすいところに落ちついたなあと、わたしは内心少しがっかりしながらうなずいていた。
 ウェスはどこぞの人脈を探りあてて、毎日違う業者と会っていた。無論、ウェスはジェスチャーのみで会話を強引に成立させようとする。必然的に横でわたしが通訳的な役割をになう。残念ながらわたしもカンで進めるしかなかったのだけれど。
 そのカンはおおいに的外れだった。物件に当たりをつけ、壁や床を白く塗りつぶし、観葉植物とソファを置いてみた時点で、ウェスはなにごとかうめき、唐突に頭を抱えた。「どうされましたか」という業者の声にも、「なにか違った?」というわたしの問いにも、ウェスは反応を示さなかった。あれだけオーバーリアクション気味に必死でなにか伝えようとしてきた人が、一瞬でコミュニケーションを拒絶した。
 予感はあったけれど、危機感はなかった。その翌日、ウェスは行方をくらませた。カフェ開業と同じくらいベタに、わたしはウェスの連絡先を知らなかった。
「じゃあ、あなたが店長さん?」
 ウェスが消えた日に来た業者――というかコンサルタントと名乗った人物は切り替えが恐ろしく早かった。不意打ちで水を向けられたわたしは、気づいたらやっぱりうなずいていた。
 けれど、わたしはカフェをやりたいとは思わなかった。食品を取りあつかう自信はないし、愛想よく接客できる気もしない。メニューさえ、なにひとつ決まっていない。とりあえずコーヒーと紅茶は必須だろうか、と思いつく飲み物をメモに書きだしていくと、
「いや、ここカフェじゃないでしょ」
 コンサルタントは面倒くさそうにつぶやいたのだ。
「どう見てもクリーニング屋でしょ。水栓機も乾燥機もあるし」
 言われて初めて、わたしは奥に駆けこむ。いかつい機械の数々がムッとした表情で待ちかまえていた。勝手に呼びだされたのに場違いと告げられ閉口しているような、重苦しい雰囲気が満ちていた。あまりにいたたまれなくなって、一人で「ごめんなさい」と口にしていた。
 でも、クリーニング屋だったらいいかな。なぜそう思ったのかは、開店準備をせっせと進め、預金通帳の残高とにらめっこして、あわあわしながらクリーニング師の資格を取り、近所に配るチラシを作り、バイト募集をかけようとしている今になっても謎のままである。
 店名はウェスの残した格言を採用した。格言というか、格言めいたもの。ウェスの話している内容はさっぱりだったが、初めて隣でベッドから起きあがったときにつぶやいた一言はなぜだか理解できた。
「この世はオセロゲームみたいなもの」
 意味はわからない。けれど、耳にこだました発音のいい【オセロ】を看板として掲げた。コンサルタントは苦笑していた。
「クリーニング屋でオセロって。黒と黒にはさまれたら黒になっちゃうでしょ」
 白と白ではさんで白にするイメージしか抱いていなかったわたしは、一瞬ハッとしたけれどもう後戻りはできなかった。小さな空間のあちこちに【オセロクリーニング】の文字が浮かんでいた。真っ白な壁に、黒い文字で。
 ナガノさんはまだオザワさんをまじまじとながめている。よほど気にいったのだろう。これで面接をしなかったら、あとで嫌味の一つでも言われるかもしれない。
「じゃあ、オザワさんは面接に来てもらいます」
「それがいいと思います。なんにせよ、男は省いてもいいでしょう。やっぱりこういう接客サービスは女性のほうが板についているし、お客さんも気楽でしょう」
 ナガノさんはようやくオザワさんを手放し、履歴書の束をクリアファイルに戻した。「さて」と立ちあがった瞬間、深く沈んでいたソファが少し浮上した。
「すみません、長居してしまって。ひとまず順調そうでなによりです。また伺います」
 ナガノさんは営業マンの見本のようなきれいな角度でお辞儀をしてくる。わたしもあわてて頭を下げた。けれど、顔を上げたとき、ナガノさんはまだ深くお辞儀をしたままだった。
 店先まで見送ろうと外に出ると、気持ちのいい青空が広がっていた。日射しは強いけれど、風が抜けると心地よい。
 マンモス校の敷地には何本も立派な木が植わっている。陽光を浴びた緑がきらきらと光っていて、これだけでもういいじゃないとなにか勘違いしてしまいそうになる輝きだった。
「気持ちのいい季節ですね。なにかを始めるにはぴったりです」
 ナガノさんは別れ際まできっちりと自分の務めをわきまえている。社交辞令とわかっていてもうれしかった。
「では、店長さん。また」
 初めて呼ばれたその肩書きは、意外にもすとんと自分の中で腑に落ちた。
 手を振ってみたけれど、ナガノさんは一度も振りかえらなかった。マンモス校のチャイムが鳴り、生徒たちがきゃあきゃあと甲高い声を上げ校門で群がりだすと、ナガノさんの首はちょっとだけねじれて横を向いていた。
 チェックのスカートがいくつも風に揺れている。
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