第5話
文字数 2,104文字
「助かりましたよ。営業ってこういうとき不便だなあって思いますね」
ナガノさんはさわやかに笑いかけてくる。わたしもあいまいに笑いかえしながら、ビニール袋にワイシャツを入れる。一応、店オリジナルのエコバッグをすすめたのだけれど、
「僕、そういうの絶対忘れちゃいますから」
と、やんわり断られた。
ナガノさんは求人が終わっても、かなり足しげく通ってくれる。最初に礼のつもりで渡したクーポン券を使いきろうとしているのだろうか。来る時間はまちまちだった。午前中のときもあれば、お昼時、夕方もある。営業とはなんと自由の利く職種だろうと感心していたのだけれど、ナガノさんは真逆のことを言う。
「いつもシャツにネクタイ、スーツ。ジャケットでしょう。でも、何着も買えるもんじゃないし、家じゃ洗濯できないし。できても面倒だし。夏は暑いし冬は寒い。おまけに動きにくい。フットワーク軽く回れなんて言われますけど、だったらもっと効率的な戦闘服にしてほしいですよ」
冗談めかして話すナガノさんの目は笑っていない。それが証拠に「ジャージならよかったですね」と軽口をたたいたら、思いきりスルーされた。しらじらしい間が流れそうになるところを、土野小波の軽快なメロディが埋めた。
「なんか聞いたことあるなあ、この曲」
「あ、土野小波っていうんですって。知りませんか?」
「知らないなあ。僕、洋楽しか聴かないんですよ」
「今、すごい人気みたいですよ。バイトの子が言ってました」
ガサガサとビニール袋を受けとったナガノさんの目が光った。
「もしかしてオザワさん?」
「よくわかりますね」
「まあ、彼女の履歴書しかちゃんと見てないですからね。へー、これが今トレンドなんだ」
地方ラジオのなんとも言えないゆるさや独特の空気が好きだったのだけれど、オザワさんはとにかくダサいと思っているようだった。全国ネットならまだマシとつぶやいていたものの、やっぱりラジオにそもそも興味がないらしい。
興味がないだけならいいけれど、本人も無意識のうちに明らかにテンションが下がっているのがわかったので、土野小波の配信アルバムを購入し、それを店内BGMにしてみた。すると、わかりやすくオザワさんの機嫌はよくなった。ツジさんに対しても、そこまで毒づかなくなった。 代わりにフカモリさんの眉間のしわが増えた気がしたけれど、彼女はそもそも気分の波が見えにくいので接客態度に変わりはなかった。
「メモっとこ。あ、営業トークで使えるかなと思いまして」
ナガノさんはスマホを取りだして、なにやらいじりだした。カウンターに少しもたれかかった彼の体に、ビニール袋がつぶされる。
ワイシャツにはハンガー仕上げとたたみの仕上げがある。たたむ手間があるから、たたみのほうが割高なのだけれど、ナガノさんはいつもたたみ仕上げを選ぶ。こだわりがあるのだそうだ。
今日渡したワイシャツは薄いピンク色をしている。そういう色も選べるのが、ナガノさんらしいと思った。
ナガノさんはちらっと壁の時計に目をやった。時計は二つかかっている。現在時刻を指すものと、特急仕上げの最短受けとり時刻を示したものだ。もうすぐ十七時になる今、最短仕上げは翌朝の九時になる。
「あれですか、もしかしてそろそろオザワさん来たりします?」
ナガノさんはスマホに視線を落としたままつぶやいた。曲がバラード調のものに変わる。土野小波は実に幅広いジャンルの歌をうたう。王道のアイドルソングからしっとりとしたバラード、ロックっぽいものやレゲエ風味まで。チャレンジ精神を失わないのが最大の魅力、とはオザワさん談だ。
「お、こんな曲も歌うんですねえ。女子高生のアンテナすごいなあ」
「今日はオザワさんじゃないです」
「あれ、店長さん、このまえ彼女は夕方がメインっておっしゃってませんでしたっけ」
「そうなんですけど、今テスト期間中らしいんです」
「ああー、テスト……懐かしいひびきですねえ」
「そのあいだフカモリさんに来てもらうことになって」
「誰ですか、フカモリさん?」
「応募してきた中で唯一、職務経歴書も送ってこられた方です」
ナガノさんは首をかしげた。ふうん、といった感じで。ああそう、といった感じで。
「あ、今日はこれをお願いします」
ナガノさんはおもむろに着ていたジャケットを脱いで、カウンターに出した。面食らうわたしに「そろそろ汚れてきたかなと思いまして」と早口で添える。
「じゃあこれクーポン……あれ、ジャケット使えないんでしたっけ。シャツとブラウスだけですか? 残念。えーと、料金あれですよね。じゃあ、ここ置いときます。預かり票、いいです。やだなあ、もう僕の顔なら覚えてくれてますよね、店長さん。また折を見て来ますんで。じゃあ、よろしくお願いします」
営業とはこういう武器を持っているものなのだ。と言わんばかりのマシンガントークで、ナガノさんは一方的に話を進めて去っていってしまった。
汗などかかないと思っていたけれど、カウンターに置きざりにされたジャケットのしわを伸ばしていると、あちこちがほんのり湿っていることに気がついた。
ナガノさんは直帰するつもりらしい。
ナガノさんはさわやかに笑いかけてくる。わたしもあいまいに笑いかえしながら、ビニール袋にワイシャツを入れる。一応、店オリジナルのエコバッグをすすめたのだけれど、
「僕、そういうの絶対忘れちゃいますから」
と、やんわり断られた。
ナガノさんは求人が終わっても、かなり足しげく通ってくれる。最初に礼のつもりで渡したクーポン券を使いきろうとしているのだろうか。来る時間はまちまちだった。午前中のときもあれば、お昼時、夕方もある。営業とはなんと自由の利く職種だろうと感心していたのだけれど、ナガノさんは真逆のことを言う。
「いつもシャツにネクタイ、スーツ。ジャケットでしょう。でも、何着も買えるもんじゃないし、家じゃ洗濯できないし。できても面倒だし。夏は暑いし冬は寒い。おまけに動きにくい。フットワーク軽く回れなんて言われますけど、だったらもっと効率的な戦闘服にしてほしいですよ」
冗談めかして話すナガノさんの目は笑っていない。それが証拠に「ジャージならよかったですね」と軽口をたたいたら、思いきりスルーされた。しらじらしい間が流れそうになるところを、土野小波の軽快なメロディが埋めた。
「なんか聞いたことあるなあ、この曲」
「あ、土野小波っていうんですって。知りませんか?」
「知らないなあ。僕、洋楽しか聴かないんですよ」
「今、すごい人気みたいですよ。バイトの子が言ってました」
ガサガサとビニール袋を受けとったナガノさんの目が光った。
「もしかしてオザワさん?」
「よくわかりますね」
「まあ、彼女の履歴書しかちゃんと見てないですからね。へー、これが今トレンドなんだ」
地方ラジオのなんとも言えないゆるさや独特の空気が好きだったのだけれど、オザワさんはとにかくダサいと思っているようだった。全国ネットならまだマシとつぶやいていたものの、やっぱりラジオにそもそも興味がないらしい。
興味がないだけならいいけれど、本人も無意識のうちに明らかにテンションが下がっているのがわかったので、土野小波の配信アルバムを購入し、それを店内BGMにしてみた。すると、わかりやすくオザワさんの機嫌はよくなった。ツジさんに対しても、そこまで毒づかなくなった。 代わりにフカモリさんの眉間のしわが増えた気がしたけれど、彼女はそもそも気分の波が見えにくいので接客態度に変わりはなかった。
「メモっとこ。あ、営業トークで使えるかなと思いまして」
ナガノさんはスマホを取りだして、なにやらいじりだした。カウンターに少しもたれかかった彼の体に、ビニール袋がつぶされる。
ワイシャツにはハンガー仕上げとたたみの仕上げがある。たたむ手間があるから、たたみのほうが割高なのだけれど、ナガノさんはいつもたたみ仕上げを選ぶ。こだわりがあるのだそうだ。
今日渡したワイシャツは薄いピンク色をしている。そういう色も選べるのが、ナガノさんらしいと思った。
ナガノさんはちらっと壁の時計に目をやった。時計は二つかかっている。現在時刻を指すものと、特急仕上げの最短受けとり時刻を示したものだ。もうすぐ十七時になる今、最短仕上げは翌朝の九時になる。
「あれですか、もしかしてそろそろオザワさん来たりします?」
ナガノさんはスマホに視線を落としたままつぶやいた。曲がバラード調のものに変わる。土野小波は実に幅広いジャンルの歌をうたう。王道のアイドルソングからしっとりとしたバラード、ロックっぽいものやレゲエ風味まで。チャレンジ精神を失わないのが最大の魅力、とはオザワさん談だ。
「お、こんな曲も歌うんですねえ。女子高生のアンテナすごいなあ」
「今日はオザワさんじゃないです」
「あれ、店長さん、このまえ彼女は夕方がメインっておっしゃってませんでしたっけ」
「そうなんですけど、今テスト期間中らしいんです」
「ああー、テスト……懐かしいひびきですねえ」
「そのあいだフカモリさんに来てもらうことになって」
「誰ですか、フカモリさん?」
「応募してきた中で唯一、職務経歴書も送ってこられた方です」
ナガノさんは首をかしげた。ふうん、といった感じで。ああそう、といった感じで。
「あ、今日はこれをお願いします」
ナガノさんはおもむろに着ていたジャケットを脱いで、カウンターに出した。面食らうわたしに「そろそろ汚れてきたかなと思いまして」と早口で添える。
「じゃあこれクーポン……あれ、ジャケット使えないんでしたっけ。シャツとブラウスだけですか? 残念。えーと、料金あれですよね。じゃあ、ここ置いときます。預かり票、いいです。やだなあ、もう僕の顔なら覚えてくれてますよね、店長さん。また折を見て来ますんで。じゃあ、よろしくお願いします」
営業とはこういう武器を持っているものなのだ。と言わんばかりのマシンガントークで、ナガノさんは一方的に話を進めて去っていってしまった。
汗などかかないと思っていたけれど、カウンターに置きざりにされたジャケットのしわを伸ばしていると、あちこちがほんのり湿っていることに気がついた。
ナガノさんは直帰するつもりらしい。