第3話
文字数 1,762文字
バックヤードの空気が凍りついた気がした。
窓は申し訳程度に備わったすりガラスの小さなものだけで、日射しは一切入ってこない。衣服の森は深く暗く、そして陰気だ。もともと温もりが介入する隙などない空間であることは承知している。
しかしそれでも、今ひんやりと肌寒く感じるのは、ソファでまばたき一つしない黒ずくめの女のせいだと思えてしまう。彼女なら冷気を運んでくることくらいたやすい。
気難しそうに張りつめたオーラは、面接に来たはずなのに話しかけてくれるなと不穏にささやいている。
オザワさんより十歳ばかり年上のフカモリさんは、少し遅れると断ったわりにほぼ定刻どおりに現れた。強張った表情で、
「本日はよろしくお願いいたします」
と、すばやく挨拶してから一言も無駄口をたたかない。まあ本来、面接とはそういうものかもしれない。オザワさんがやたらフランクだっただけだ。
ソファに浅く腰かけたまま、フカモリさんはおれを見るでもなく、真っ正面の衣類の森に一点集中だ。けれどその黒い瞳には、なにも映っていないように思えた。
おれはがらにもなく咳払いなんかしたけれど、フカモリさんは一切動じなかった。それでも一応これが面接開始の合図ということでと、誰に言い訳するでもなく心中で断ってからおれは質問を始めた。
「えー、フカモリさん」
「はい」
「週に何日くらい入れますか?」
「毎日でも」
「時間帯の希望はありますか? 一応、午前中と昼間と夕方とでざっくり分けてはいるんですけど」
「夕方以外なら」
「基本的に一人でレジに立ってもらうことになりますけど大丈夫ですか?」
「はい」
「あ、おれはいますけど。ここで仕事してると思うんで。なにかあったら呼んでもらえればいいです」
「はい」
再び沈黙が居座る。かしこまったわりに、質問はこれがすべてなのだ。気まずくなって、履歴書を見るふりをした。それと職務経歴書。フカモリさんは応募者の中で唯一のフリーターだった。
ずいぶんいろいろな職をわたりあるいているようだった。派遣会社にも登録しているようでバラエティー豊かな内容である。コンビニ、工場のライン作業、パン屋、居酒屋、歯科助手、大学事務……。
「いろんなお仕事されてるようですけど、どれも短期で辞められてますね。なにかご事情でもあったんですか?」
フカモリさんをまとうオーラが一層ピリッとする。定型文ながら意地の悪い質問だなあとおれも思う。まさかこういうことを尋ねる側になるとは。しかし、ほかに聞くことがないのだ。もう少し親しい間柄だったら、その服もしかしてギャルソンですかなんて話もできるだろうに。
「……彼が司法試験の勉強をしてて。生計立ててるのあたしなんです。ちょっとでも割のいい仕事を探して転々としてます」
初めてフカモリさんが長い文章をしゃべった。抑揚なく話されると感情移入しにくいが、恋人を支えているという健気な構図は意外だったし興味も湧いた。
「それでいくと、うちは割のいい仕事とは思えないんですが」
「家が近いんです」
単純明快だった。オザワさんと同じだ。まあ、うちを選ぶ理由なんてそんなものだろう。
「ほかにも掛け持ちを?」
「今はしていません。ゆくゆくはご迷惑をかけない程度で探すと思いますが」
「失礼ですけど、それで大丈夫ですか?」
「彼も週二ですが法律事務所で働くことになりました」
きっと法律事務所の時給は、うちとは比較にならないくらい高いのだろう。
「できれば長く勤めていただきたいんですが大丈夫ですか?」
「長くというのは、どれくらいですか」
初めて質問をされた。確かに、これも定型文だけれど期間については基準がない。完全に個人の裁量だろう。
「……半年くらい?」
「短いですね」
そうなのか。半年後も【オセロクリーニング】を切り盛りしているビジョンがどうも浮かばない。そんな状態でバイトなんか雇うなと言われれば、ぐうの音も出ない。
ただ、おれも少し休みたいなあと思っただけなのだ。
「半年なら大丈夫です」
フカモリさんの回答は歯切れがいい。背筋をピンと伸ばした姿勢は凛々しくて、近寄りがたいのに不思議な引力を持っている。おれは右手を差しだした。
「よろしくお願いします」
彼女は試すようにおれを見つめたあと、遠慮がちに握手に応じた。
「はい、店長」
アルバイトが決まった。
窓は申し訳程度に備わったすりガラスの小さなものだけで、日射しは一切入ってこない。衣服の森は深く暗く、そして陰気だ。もともと温もりが介入する隙などない空間であることは承知している。
しかしそれでも、今ひんやりと肌寒く感じるのは、ソファでまばたき一つしない黒ずくめの女のせいだと思えてしまう。彼女なら冷気を運んでくることくらいたやすい。
気難しそうに張りつめたオーラは、面接に来たはずなのに話しかけてくれるなと不穏にささやいている。
オザワさんより十歳ばかり年上のフカモリさんは、少し遅れると断ったわりにほぼ定刻どおりに現れた。強張った表情で、
「本日はよろしくお願いいたします」
と、すばやく挨拶してから一言も無駄口をたたかない。まあ本来、面接とはそういうものかもしれない。オザワさんがやたらフランクだっただけだ。
ソファに浅く腰かけたまま、フカモリさんはおれを見るでもなく、真っ正面の衣類の森に一点集中だ。けれどその黒い瞳には、なにも映っていないように思えた。
おれはがらにもなく咳払いなんかしたけれど、フカモリさんは一切動じなかった。それでも一応これが面接開始の合図ということでと、誰に言い訳するでもなく心中で断ってからおれは質問を始めた。
「えー、フカモリさん」
「はい」
「週に何日くらい入れますか?」
「毎日でも」
「時間帯の希望はありますか? 一応、午前中と昼間と夕方とでざっくり分けてはいるんですけど」
「夕方以外なら」
「基本的に一人でレジに立ってもらうことになりますけど大丈夫ですか?」
「はい」
「あ、おれはいますけど。ここで仕事してると思うんで。なにかあったら呼んでもらえればいいです」
「はい」
再び沈黙が居座る。かしこまったわりに、質問はこれがすべてなのだ。気まずくなって、履歴書を見るふりをした。それと職務経歴書。フカモリさんは応募者の中で唯一のフリーターだった。
ずいぶんいろいろな職をわたりあるいているようだった。派遣会社にも登録しているようでバラエティー豊かな内容である。コンビニ、工場のライン作業、パン屋、居酒屋、歯科助手、大学事務……。
「いろんなお仕事されてるようですけど、どれも短期で辞められてますね。なにかご事情でもあったんですか?」
フカモリさんをまとうオーラが一層ピリッとする。定型文ながら意地の悪い質問だなあとおれも思う。まさかこういうことを尋ねる側になるとは。しかし、ほかに聞くことがないのだ。もう少し親しい間柄だったら、その服もしかしてギャルソンですかなんて話もできるだろうに。
「……彼が司法試験の勉強をしてて。生計立ててるのあたしなんです。ちょっとでも割のいい仕事を探して転々としてます」
初めてフカモリさんが長い文章をしゃべった。抑揚なく話されると感情移入しにくいが、恋人を支えているという健気な構図は意外だったし興味も湧いた。
「それでいくと、うちは割のいい仕事とは思えないんですが」
「家が近いんです」
単純明快だった。オザワさんと同じだ。まあ、うちを選ぶ理由なんてそんなものだろう。
「ほかにも掛け持ちを?」
「今はしていません。ゆくゆくはご迷惑をかけない程度で探すと思いますが」
「失礼ですけど、それで大丈夫ですか?」
「彼も週二ですが法律事務所で働くことになりました」
きっと法律事務所の時給は、うちとは比較にならないくらい高いのだろう。
「できれば長く勤めていただきたいんですが大丈夫ですか?」
「長くというのは、どれくらいですか」
初めて質問をされた。確かに、これも定型文だけれど期間については基準がない。完全に個人の裁量だろう。
「……半年くらい?」
「短いですね」
そうなのか。半年後も【オセロクリーニング】を切り盛りしているビジョンがどうも浮かばない。そんな状態でバイトなんか雇うなと言われれば、ぐうの音も出ない。
ただ、おれも少し休みたいなあと思っただけなのだ。
「半年なら大丈夫です」
フカモリさんの回答は歯切れがいい。背筋をピンと伸ばした姿勢は凛々しくて、近寄りがたいのに不思議な引力を持っている。おれは右手を差しだした。
「よろしくお願いします」
彼女は試すようにおれを見つめたあと、遠慮がちに握手に応じた。
「はい、店長」
アルバイトが決まった。