第7話

文字数 3,414文字

 テスト期間を終えたオザワさんは、心なしかさっぱりとした表情をしていた。「全然わかんかったですよー」「数学とか撃沈」などと言葉とは裏腹に、うれしそうに笑っている。
「早く夏休みになんないかなー」
「あ、そうか。休みはどこか行くの?」
「えー、テンチョー、プライバシー」
「いやいや、シフト組まなきゃいけないからね」
「ひまですよー。いつも以上に入れますー」
「それは助かります」
「テンチョー、毎日会えますねー」
 オザワさんはリップの色を変えた。つやつやと光るオレンジはとても元気がいい。はつらつとした印象は、彼女の若さをより引きたてていた。
 土野小波の音楽に合わせて、体でリズムを刻む。自由がすごすぎて、発光しているみたいだ。ぼくは思わず目を細めた。まぶしくて仕方がない。
「あれ、これなんですかー」
 オザワさんは保管してあった預かり票に目をつけた。ナガノさんのものだ。
「ああ、品物だけ置いてさっさと行っちゃって」
「げ、ツジさんみたい。てか、ツジさんじゃない……ですよねー」
「その人、お得意さんなんだよ。アルバイトの求人出したところの営業さん」
「あ、【おしごとやさん】ですかー」
「そうそう」
「最近、めっちゃCMもやってますよねー」
「そっか。あんまりテレビ観ないからなあ」
「テンチョー、ずっとここにいるんじゃないですかー」
「ええ?」
「テンチョー、ここに住んでるんでしょー」
 オザワさんは笑いながら、預かり票をチェックする。
「カーキのジャケット? そうそうテンチョー、今さらなんですけど」
 オザワさんはレジを指さす。そこには品物の特徴を示すボタンがいくつも並んでいる。色、柄、仕上げ方、そして品名。受付のときに品物を見定め、受け渡しのときスムーズにいくようにわかりやすい組みあわせを考える必要がある。
 例えば【青】の【シャツ】、【チェック】の【スラックス】、【カーキ】の【ジャケット】といった具合に。
「カーキって何色なんですか?」
 きょとんとした表情のオザワさんにつられて、ぼくもきょとんとしてしまう。きょとんとした空気は間抜けで、お互いに「ええ?」と噴きだしてしまった。
「すごい質問だなあ」
「えー、ごめんなさい」
「じゃあ今までカーキってボタン押してなかったの?」
「だって、よくわかんないし」
「まあ、確かにあいまいな色だね」
「でしょー。私がおしゃれにうといとかじゃないですからー」
 ぼくは衣類の森にオザワさんを誘って、預かり票に記された番号を探す。
 最近の預かり物は薄手のものが多いので圧迫感がない。二週間以上、持ち主が取りにこない場合は、さらに奥の別の森へ移動させる。そこは春先に預かった冬物がメインなので、もこもこと存在感の強いものたちばかりぶらさがっている。あそこは今や見ているだけで息が詰まる。
「あ、これだよ。カーキのジャケット」
「えー、これベージュじゃないですか!」
「まあ、ベージュって打っても間違いじゃないよ」
「そういう問題じゃなくて、ベージュが正解でしょー」
「いや、受け渡しのときにわかればいいから」
「テンチョー、テキトー! カーキってもっとグリーン系のイメージだけどなー」
「ああ、深緑みたいな?」
「言い方! オリーブ色みたいなやつです」
「よくわかんないなあ」
「それかちょっとグレーがかってるっていうかー」
「ああ、ねずみ色みたいな?」
「言い方!」
 オザワさんは楽しそうにツッコんでくる。二回目はサービスだ。
「ぼくは黄土色みたいなイメージもあるけどなあ」
 今度はサービスとかじゃなくて素直な感想なのだけれど、オザワさんは「キャメルですね」とすばやく修正してくる。
 さらにポケットからスマホを取りだして、光の速さでカーキを調べる。
「うわ、カーキってめっちゃあいまいですよー」
 オザワさんはスマホを水戸黄門の印籠よろしく突きつけてくる。カーキの検索結果の画像は、確かに今挙げた色味をすべて網羅している。
「これはむずかしいなあ」
「ねー。土埃って意味なんですって。訳がまずあいまい」
「あんまりカーキって使わないほうがいいかもね」
「でも逆に万能感ありません? だって誰もよくわかってないんだから」
「いや、でも受け渡しのときにはどうかなあ」
 下手をすれば混乱をまねきそうだ。よく見もせずに【ストライプ】と打ってしまって【ボーダー】ですよと客側から指摘されたこともあるし、ぼくから見れば【グレー】とまず判断しそうなところを、細かい【ドット】模様を採用したフカモリさんの例もある。
 見え方や捉え方は本当にさまざまだ。ちょっと角度を変えたり、距離を置いたりするだけで、さっきまでの価値観が大きく覆ることもある。
 ウェスはどんな服装をしていたっけ。どんな色が好みだったっけ。記憶の中のウェスはぼんやりとしていて、それこそなにを着せてみても問題ない気がした。上下スーツでも、ダサいジャージでも、ウェディングドレスでも。どれでも似合う着せかえ人形だ。
 ぼくがぼんやり衣類の森をながめていると、自動ドアが開いた。オザワさんはフットワーク軽く「いらっしゃいませー」と出ていく。
「あ、もしかしてオザワさん?」
「はい、そうですけどー……誰ですか?」
「あ、ごめんごめん。怪しい者じゃなくて」
「怪しい人ってたいがいそう言いますよねー。テンチョー……」
「待って待って違う違う。客です。ジャケット取りにきたんだよ」
「預かり票お願いしますー」
「このまえもらうの忘れちゃって……いや、本当だからね? 僕、ここのバイトの求人広告依頼を受けて、そこから店長さんと仲良くさせてもらってて」
「あ、もしかして【おしごとやさん】!」
「そうそう。君もうちの求人見てくれたんだよね?」
「そうですー。ネットのほうですけど」
「若い子はそうだよね。でもよかった。君みたいなかわいらしい子が応募してくれて」
「えー、さすが営業マンって感じですねー」
「いや、お世辞抜きで。僕、履歴書見せてもらったときから、オザワさんは絶対受かるだろうなあって思ってたからね」
「履歴書の写真、マジでブスなのにー」
「え、あれで? めちゃくちゃかわいい子いるなあって目引いたよ。実物のほうがもちろんいいけどね」
「すごい。なんか大人って感じ」
「なんだそりゃ」
 オザワさんとナガノさんの笑い声が重なる。二人の声はとっても相性がいい。高低差があるのに、ぴったりと寄りそって完成形になる。
 オザワさんがひょこひょこと衣類の森にやってくる。
「テンチョー、あれがうわさのナガノさん? 来ましたよー。けっこうイケメンですねー」
 彼女は軽やかにカーキのジャケットを持って、再びカウンターに戻っていく。
「お待たせしましたー。カーキのジャケット一点でお間違いないですか」
「カーキ? あ、これカーキっていうんだ」
「私が伝票打ったわけじゃないですよー。これ、私的にはベージュなんですけどねー」
「あ、それ。僕もベージュだと思ってた」
「ですよねー。でもさっき調べててー……」
 そこからオザワさんは先ほどの検索ページを見せているらしい。ナガノさんもそれを見るなり「うわー、めっちゃあるじゃん」と驚いている。
 ウェスはカーキがどんな色か知っていただろうか。店名に【オセロクリーニング】とつけるくらいだし、そんなあいまいな色は好まないのかもしれない。
「オザワさん、面白いね」
「ナガノさんこそ面白い! 年上なのにめっちゃ話しやすい!」
「それ、どうなんだろう。威厳ないじゃん」
「そんなのなくていいですよー」
「店長さんだって話しやすいほうじゃない?」
「んー、でもまあテンチョーはテンチョーだし」
「なんだそりゃ。優しいでしょ、きっと」
「まあ、優しいかなー」
「オザワさんみたいなかわいい子だったら優しくしちゃうよなあ」
「うわー、エロおやじ発言出たー」
「どこがだよ。ただの褒め言葉じゃん」
「テンチョーはナガノさんと違って、誰にでもビョードーですよー」
「ナガノさんと違ってって失礼だなあ」
「だって、そういう目で見てるでしょー」
 不意に会話が途切れる。土野小波のキュートな歌声がはじける。ウェスはどんな音楽を聴いていたっけ。どうしてこんなにウェスのことを思いだせないのか考えてみたら、そもそもウェスのことをあまり知らないんだった。そっちのほうを忘れていた。
「……じゃあ今度の日曜日とか?」
「……大丈夫です」
 二人は声をひそめた。ないしょ話だと、オザワさんの語尾は伸びないらしい。
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