第30話 船上デートは波乱に揺れて(1)

文字数 3,280文字

 しかして数週間後、硬直したままの事態が驚く形で動くことになった。
 しかもそれを動かしたのがぼくでもなく、エリカさんでもなく、あろうことかマナちゃんだったというのだから二重の驚きだった。もっとも最初の衝撃をぼくにもたらしたのは、黒幕のマナちゃんではなくエリカさんだったのだが。
 ごみステーションで顔を合わせたぼくに向かって、その日彼女は言ったのだ。
「再来週の金曜日なのですが、お暇ですか?」
 ぼくはその瞬間に、こちらから(つい)ぞ言い出せなかったデートの誘いをエリカさんから言われてしまったのだと悟った。そして、その不甲斐なさに心が泣いた。
「金曜日、ですか?」
 それでも精一杯の冷静さを装って返事を返すと、
「あ、ご都合が悪ければ別の日でも構わないということなのですけど」
 構わない?
「どういうことですか?」
「ほら、マナちゃんが」と、エリカさんは人差し指を空に向けた。「しばらく私の家にいたでしょう? それであちらのお父様から、お礼も兼ねてお食事のお誘いを受けていまして」
「はあ」と、ぼくは状況がまるで飲み込めずに頓馬な返事をした。「いいんじゃないですか、行ってらっしゃったら」
 そんな感じで素っ気なく言ってから、あれ? と首を傾げた。「それにぼくの都合、関係ありますか?」
「田中さんもいかがです?」
「ぼくも、ですか?」
 ぼくは驚いて、顔の前で手を振った。「いやいや、ぼくはマナちゃんの件に関しては何ら感謝されることをしていませんから」
「それはそうですけど」と、さらりとエリカさんは頷いた。いや、確かにぼくは役に立ってないけどそういう肯定のされ方は……いや、それでこそエリカさんか、とぼくの気持ちがぐるぐる回った後で、「あちらのお父様が、人数は偶数がと言うものですから」と、エリカさんは付け加えた。
「偶数?」
 呟いてすぐに納得した。
 マナちゃんとそのお父さんと、エリカさん。今のところ三人なのか。もしも四角いテーブルを囲むのであれば確かに一席余っていることになる。
「でもそれなら迫先輩……」と、ぼくは言った。「エリカさん、ご自分のお父さんと一緒に行った方がいいように思いますけど」
 もちろんこの発言に他意はなかった。マナちゃんのお父さんと迫先輩は友人どうしなのだから、その方がむしろ都合がいいのではと素直に思ってそう言っただけなのだ。けれども、
「あら、田中さんはどうしても……」なぜかエリカさんはむっとした顔をぼくに向けた。「私と行きたくないのですね?」
「行きたいです!」
 飛び上がって思わず反射的に返した。エリカさんはすぐに満足そうな顔を作って頷く。どうにもぼくは、エリカさんに思う通りに操られている気がしてならない。
「それでご都合の方は?」
「暇です。いつだって、暇です」
 言えば「でしょうね」とこれまた素っ気なく厳しいことを言ってエリカさんは笑った。
 マナちゃんから電話が入ったのはその日の夕方だった。
「なんかごめんね、ぼくまで付属物みたいにお伴しちゃって」
 そう言うと、
──付属物! 身の程を弁えているようで何よりです。
 マナちゃんはいつも通りのあっけらかんとした声で笑った。「それよりも、おめでとうございます!」
「何が?」
「エリカさんとのことですよー。ちゃんと『苛々』の真実に辿り着いたんですよね?」
「ああ……」と、ぼくはスマホを握る手に力を込めて唸った。「不甲斐なさを放っておけなくて苛々するなんて、褒められたもんじゃない」
「でもそれがエリカさんの真実なんだから、仕方ありませんね」
 マナちゃんはそう言った。「で、そんなポンコツな田中さんがいつまで経ってもエリカさんをデートに誘わない、と風の噂に聞きましたので」
「誰に聞いたの!」エリカさん?
「もちろん小さな巫女さまです」
「!」
 ぼくは思わず横にいたアイラを見た。アイラは勝ち誇った笑いを浮かべている。どういうこと? ひとりでマナちゃんに会いに行ったっていうの?
「スマホをお借りしましたわ、マスターの」と、事もなくアイラは言った。
 勝手に!
 と目を丸くするぼくの耳にマナちゃんの声が響く。
「だから、私がお膳立てしてあげました。感謝してくださいねスライムさん!」
「……え? 待って、どういうこと?」
「おっと田中さん。うちの父が招待した食事がどこでやるか聞いていますか?」
「……いや、何も」
「もう、エリカさんったら!」
 スマホ越しでもマナちゃんがプンと怒った顔が見えるようだった。「再来週の水曜日に、東京湾に豪華客船が寄港するの、知っていますか?」
「いや、知らない」
「うん、そんなんだからデートの機会を逃すんですよ田中さん」
 余計なお世話だよ!
「それでですね」と、ぼくの憤懣なんか無視してマナちゃんは言った。「その豪華客船は二週間ほど日本に滞在して、うち二日間だけ、夜景を堪能しながらの湾内クルーズと素敵なお食事が楽しめる企画を催しています」
「それに、行くの?」
「はい、そうです。幸いにして田中さんの御都合もよろしいようですし」
 都合が悪かったらどうするつもりだったのだろうか。そんな疑問を浮かべた瞬間に飛び込んできたマナちゃんの声に、頭が付いていけずぼくは硬直した。
「ちなみにドレスコードは結婚式並みです。正装(フォーマル)ですよ」
「…………」
 ん? 今、なんて? なんだって?
「持ってます? 上質なスーツ」
「え? 普通のスーツじゃだめなの? ドレスコードは女性の服のことでしょ?」
「あー! もう!」と、嘆きの声が聞こえた。「田中さんは、エリカさんに恥をかかせる気なんですか?」
「…………」
「エリカさんはせっかくなので新しいドレスを買うそうです。ということで、私から田中さんに一つ、指令(ミッション)を与えます」
「…………?」
 嫌な予感がした。その予感通りにマナちゃんは言った。「エリカさんの洋服選びに同伴して、ついでに自分の服も買ってきてください。当日はきちんとペアで決めてきてくださいよ?」
「ちょっと!」待って!
「エリカさんにはすでに、『田中さんが自分もスーツを選ぶから一緒に買い物に行けないものかなぁ』って悩んでいたって伝えてありまーす」
 ……ええ?
「だ、か、ら」と、悪戯っ子のような声を出してマナちゃんは言った。「今度の週末ふたりで百貨店デートしてきてください! デートです!」
 はい、これでお膳立ては終わりです!
「頑張ってくださいね!」
 と、マナちゃんは一方的にそう言って電話を切った。
「まあ」と、しばらくスマホを見つめて呆然としていたぼくに、アイラが声をかけてきた。「自分で誘えなかったという減点要素はありますけど、ひとまずデートまで漕ぎつけたのだから何よりですわ」
「…………」
 デートのお膳立てを女子高生にしてもらう大人って、どうなんだろうか。その時点で失格じゃないだろうか。
 そうは思ってもお膳立てされた以上、ぼくはエリカさんと百貨店デートをするしかなかった。
 ……しかし、しかしだ。
 この百貨店デートは結果的には大失敗だった。ぼくらは普通に買い物をして、普通にさようならをした。
 何もなかった。
 ぼくとエリカさんとの間には無駄話もほとんどなく、お互いに試着を繰り返している間は気まずいくらいの無言。しかもエリカさんにはこの後で予定があるとかで、なんだかんだと食事にさえ誘えないという体たらく。
 キス?
 それ以前だ。手も握らずに終わった。
 ぼくにとって唯一の収穫は「エリカさんは何を着ても綺麗だった」ということくらいだろう。本当にそれだけだった。
 したがってアイラはとにかく怒ったし、マナちゃんはその事実を知って笑い転げ、
──どうしようもないけど、まあ、予想通りですよ。
 と、同情なのか憐憫なのかわからないことを言ってぼくを蔑んだ。
 ああ、ごめんよ。予想通りのポンコツで……。
 と、反省したところで結果が覆るわけでもない。
 かくしてぼくたちは、この有り様のままディナーの日を迎えることになる。でも、まさかそれがぼくとエリカさんに対する壮大な罠だった、なんて、その瞬間が訪れるまでぼくは思いもしなかった、わけなのだが……。
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登場人物紹介

田中匡樹(たなか・まさき):

 駆け出しのWEBデザイナー。北辰神社を訪れたことで運命がひん曲がる。


(登場作品)

おかしな神社の不思議な巫女たち』

迫孝明(さこ・たかあき)

 田中匡樹のクリケットの師匠。

 江莉佳の父。

 石見徹矢の古くからの知り合いで、北辰神社の神主とは小学校時代からの顔見知り。

 駅前でハンバーガーショップを経営する。


(登場作品)

おかしな神社の不思議な巫女たち

晴陽(はるひ)

 田中匡樹が召喚した。一の巫女。太陽を司る。


(登場作品)

おかしな神社の不思議な巫女たち

ゴン:

 北辰神社の神使。狐。

 人とは少しズレた感覚を持っている。


(登場作品)

おかしな神社の不思議な巫女たち

北辰神社のお正月

ギン:

 北辰神社の神使。狐。

 ゴンに比べると良識的。


(登場作品)

おかしな神社の不思議な巫女たち

北辰神社のお正月

神主

 北辰神社の宮司。かなりの自由人。


(登場作品)

おかしな神社の不思議な巫女たち

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