第4話

文字数 1,774文字




 都合四度トイレに行き、足取りの悪さも改善され、越智が二度眠りに就くと、起きた時に看護師さんがやってきた。
「転院になりますよ」
「転院?」
「病院を移るんです。ここは救命病棟。他の新しく運ばれてくる患者さんのためにベッドを譲らないといけないんです。だから、これから違う病院に、移ってもらいます」
「ふーん」
「それじゃ、首のチューブ、抜きますよ」
 看護師さんは越智の首のチューブと点滴のチューブを抜く。痛みは特に感じなかった。
 看護師さんが首になにかシールっぽいものを越智の首に貼り付け、そしてしばらくすると、屈強な救急隊員的おっさんたちが来て、担架に乗せられて、運ばれはじめた。
「あの、歩けるんですけど」
「いえ、規則なんで」
 おっさんたちは病院の外に駐めてある救急車に越智を乗せる。おっさん二人が、越智の左右に座り、救急車は走り出す。
 担架に仰向けに寝かされ、越智がぼーっとしている間に、救急車は停止した。おっさんの一人が救急車の後ろのドアを開けると、そこは違う病院だった。おっさんらは、担架のまま、また越智を運ぶ。
「あの、歩けるんですけど」
「いえ、規則なんで」
 着いた病院には、越智は記憶があった。ここは、越智が精神科の外来に通っている病院だ。村松東病院。今までいた場所が確か村松病院って名前らしいから、ここの村松東病院ってのは、たぶん同じ系列の病院なんだな、と越智は考える。
 病院の中に担架で運ばれた先は、診察室だった。少しも大きくない、普通の小さな病室に担架で到着すると、診察用のベッドに寝かされる。担架がそのままになっているから、狭い診察室が更に、かなり狭く感じられた。ベッドで天井を眺めていると、越智は眠くなった。うたた寝しかけていると、医師が現れた。若い男の医師で、越智の担当医だ。香水の香りが漂ってくる。ブルガリの香水だ。越智は自分が使っているCKワンと似た種類の、ブルガリの匂いを嗅いで、心が落ち着き、もっと眠くなる。
 救命病棟は新しい建物、といった感じだったので、コンクリートの壁や天井やリノリウムが清潔感を出していたが、ここはそこと打って変わって、黒ずんだ壁と天井だった。そのひび割れたコンクリートに、越智はラーメン屋の店内を想起した。
「幻視、幻覚、幻聴」
 ブルガリの医者は越智に向かい、言う。越智は上半身をベッドから起こす。
「あなたの病気の症状です。脳内の伝達物質のバランスが崩され、その働きが強すぎたり弱すぎたりして、思考や感情などの整理をつけることが出来なくなる。わかっていたんでしょう、自分が統合失調症だってことを」
「それなりに」
「自殺未遂をする直前のあなたは、妄想がひどかったし、しゃべっていても、話に一貫性がない状態でした。いつも落ち込んだ表情で、あきらかに意欲が減退していた。被害妄想の徴候も見られた」
 越智はブルガリの医者の説明を聞きながら「そんなにわかっていたなら、診察の時にお前がどうにかしてくれれば良かったんじゃないか? 医者だろ?」と思ったが、声に出しては言えない。オーヴァードゥーズで自殺未遂を起こしたのは越智なのだ。しょせん数多くいる『金づる』のひとりにしか過ぎない越智を親身になってことを起こす事前に助けようという意志は、ブルガリには全くないだろう。越智は言葉を飲み込み、ただ、ブルガリの話を聞いていた。
「しばらくはこの病院で休んでください。そしてもう二度と、自殺なんていうバカな考えを起こさないように、心を入れ替えてから、退院して下さい」
 越智は起こしていた上半身をまた寝かせ、ベッドに寝転がった。寝転がっていると、看護師が診察室に入ってくる。
「病室を案内します。さあ、行きましょう、越智さん」
 人当たりの良さそうな看護師が、丁寧な言葉遣いで越智を促した。ここからは自分の足で、歩くらしい。越智は立ち上がる。ブルガリは看護師に、
「じゃあ、あとはよろしく」
 とだけ軽く挨拶し、診察室を先に出ていく。ドアの前で一瞬立ち止まる。
「昏睡状態のあなたを発見したのはあなたのお母さんです。家族に感謝しなさい」
 そう言ってから、また歩き出した。そして越智も、看護師さんの案内に従い、病院の中を歩く。
 どうもディスコミュニケーションのような気が、越智にはしてならかったのだが。


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