金の名前入りの万年筆④【R15】
文字数 2,215文字
血族の男にごくたまに出てくる「力」なんだと聞かされた時のことを、こんな切羽詰まった状況だっていうのに、やけにはっきり思い出していた。
秋には男親族だけでキャンプするのが恒例行事だった。
俺がもうちょっとのところで釣り針から逃げた大きな鱒を、「力」で無理やり引き戻したのを見て、父さんは爺ちゃんと意味ありげな目配せした。
焚き火を囲んで、男たちだけの秘密の話をした。
ずっと大昔に魔女狩りがあった頃のこと。若くてハンサムだった何代か前の爺ちゃんが、ベーマーの森で怪我をした妖精を助けて、お礼に「力」をもらったんだそうだ。
子ども騙しのお伽話かよ、と最初は思った。
でも、爺ちゃんや父さんには発現しなかったこの「力」が、爺ちゃんの弟には伝わっていたんだ。
この力で弟は『非科学的な怪力男』という異名でアメリカのリングリングなんちゃらとかいう長い名前のサーカス団で大活躍したんだという。
爺ちゃんが煙草入れにしまっていた弟の写真を見せられて、俺は腹の底から唸り声が出た。
針金みたいに痩せこけた男が、身体の5倍はある大きさの象を一頭、頭の上に帽子みたいに乗っけていたからだ。
「力」を上手いことコントロールできれば、旧約聖書に出てくるモーゼみたいに海を真っ二つに割ることだって、不可能じゃないらしい。
俺もよっぽど食うのに困ったらこの「力」をうまく使って、家族を養ってやるんだ、と調子に乗って爺ちゃんたちに胸を張って見せたことまで思い出した。
父さんが出兵した朝、母さんと妹は俺が守るからまかしとけ、って宣言したことも。
「力」は俺の命ばかりを守った。降ってくる天井を頭上で止め、目の前の壁を破壊して、道へ飛び出させた。
俺が地面の上に起き上がった時、家があった場所はぺしゃんこになって、火が吹き上がってた。戦車の大群は通り過ぎた後だった。
地下室の母さんと妹を助けなきゃ、村の井戸の方に走りながら、酷い眩暈がして倒れた。
気がついたら、火はだいぶおさまっていた。
家のあった場所は地下室のせいで陥没していて、へし折られた垂木がしつこく煙をあげているばかりだった。
地面は燃え盛った熱で火傷しそうに熱かった。
どんなに呼んでも二人の返事があるはずもなかった。
一度に今まで使ったことのないほどの量の「力」を使ったせいだろう。全身が見えない手に絞られた後みたいに気分が悪く、肌が真っ赤になって毛穴から血が吹き出していた。
母さんと妹を呼びながら、「力」で瓦礫をどかそうとしたけど、さらに鼻血が溢れただけだった。
教会の方から凄まじい悲鳴と銃声が聞こえてきた。
俺の心の中でなにかが切れた、よろめきながらその場から逃げ出した。そう、逃げ出したんだ!
「力」で自分で自分を最低の卑怯者にしちまった。そのことすら考えられないほど、頭の中が真っ白になっていた。
そんな状態で、俺はどに行こうとしてたんだろう?
焼けこげた井戸の隅で倒れていた俺を、二人のドイツ兵が見つけた。
大声で怒鳴られ、銃で小突かれて、俺は直立不動で立たされた。
命令に従わない村人は銃殺刑と決まってる、と一人が銃口を向けた。俺はもう何も感じることができなくなっていて、その真っ暗な穴をぼんやり見つめるばかりだった。
もう一人が手を上げて止めた。こいつをよく見ろ、見事な金髪碧眼じゃないか。総統の人類アーリア化計画用に生け取りにして、褒美をもらおうぜ。
猫の子みたいに首根っこを掴まれ、俺は引っ立てられていった。
国籍問わず金髪碧眼の子どもを狩るレーベンスボルン担当の兵士に俺を渡す時に、そいつらは、こう言いやがった。
「喜べ、お前は今日から栄えある純血のアーリア人種だぞ!」
その瞬間から――俺はドイツ人のハインリッヒって少年にされたんだ。
Naziどもは、俺から家族を奪った。
本物の国を取り上げて、偽物の国を押し付けた。
それだけじゃない、本当の名前を取り上げて、偽物の名前を押し付けやがったんだ。
俺をハインリッヒと呼びやがる、あいつらが大嫌いだ。
逆らうこともできず、呼ばれて「
それでも俺は、「
無惨に焼かれた、俺の家族のために。
死ぬ方がずっと簡単だった。ただ「
それでも、ほんのわずかな希望が俺を引き留めた。
父さんはまだどこかで生きているかもしれない。
この戦争を生き抜いて、父さんと再会すれば、もう一度プラハのガラス工房を再建することができるかもしれない。
いや、するんだ!
それが、俺の生きる唯一の理由だ。
もう何も考えず、緑の卵の割れ目を押して、開いた。
「何で? これ…どういうことなんだよ」
俺の声も、卵の殻の奥から
記憶そのままに、キャップのところに
◇
「5」のアドベントカレンダーから出てきたもの。
・金の名前入りの万年筆
・赤色の包み紙のキャラメル
>>>第5話終了/第6話につづく