ミューズの息子たち①
文字数 2,940文字
・赤・白・黒のハーケンクロイツのついた掌サイズの蛇腹で折りたためる楽譜
・緑色の包み紙のヌガー
「4」と記されたピンクのダチョウの卵の中身は、赤・白・黒のハーケンクロイツのついた掌サイズの蛇腹で折りたためる楽譜と、緑色の包み紙のヌガーだった。
ヒヨルはすぐさま仲間に見せびらかしに外へと駆け出していった。
やれやれ、とミツハはため息をつき、放ったらかしのおもちゃを片付けはじめる。
そこに「ヒヨルはどこ?」と尖ったアルト声が奥の部屋から飛んできた。
今日は一段とご機嫌斜めなようで、声にはビブラートがかかっている。
「お外です」
「なぜ止めなかったの。今日はあの子にとって大切な日なのよ。ちゃんと見ていてもらわないと困るじゃないの」
「申し訳ございません、ブリュンヒルドさま」
ミツハは半分開いた扉に向かって頭を下げる。
そんな命令は受けていませんでしたから、とは口が裂けても言ってはならないと心得ていた。
言いがかりだということは自分もよくわかっているのだろう。
舌打ちしたブリュンヒルドが化粧台にあった何かを壁に叩きつけ、母国語で悪態をついたのが聞こえた。
そんな蓮っ葉な娼婦のようなことをしても、顔を見ればお色気たっぷりの絶世の美女なのである。
美しく魅力たっぷりの異性という存在が、男性陣に与える影響は凄まじい。主人のハオランどころか監視役のSS連中まで、多少のことはなあなあにしてしまうのもわからないでもない。
「4」と記されたピンクのダチョウの卵の中身は、赤・白・黒のハーケンクロイツのついた掌サイズの蛇腹で折りたためる楽譜と、緑色の包み紙のヌガーだった。
ヒヨルはすぐさま仲間に見せびらかしに外へと駆け出していった。
やれやれ、とミツハはため息をつき、放ったらかしのおもちゃを片付けはじめる。
そこに「ヒヨルはどこ?」と尖ったアルト声が奥の部屋から飛んできた。
今日は一段とご機嫌斜めなようで、声にはビブラートがかかっている。
「お外です」
「なぜ止めなかったの。今日はあの子にとって大切な日なのよ。ちゃんと見ていてもらわないと困るじゃないの」
「申し訳ございません、ブリュンヒルドさま」
ミツハは半分開いた扉に向かって頭を下げる。
そんな命令は受けていませんでしたから、とは口が裂けても言ってはならないと心得ていた。
言いがかりだということは自分もよくわかっているのだろう。
舌打ちしたブリュンヒルドが化粧台にあった何かを壁に叩きつけ、母国語で悪態をついたのが聞こえた。
そんな蓮っ葉な娼婦のようなことをしても、顔を見ればお色気たっぷりの絶世の美女なのである。
美しく魅力たっぷりの異性という存在が、男性陣に与える影響は凄まじい。主人のハオランどころか監視役のSS連中まで、多少のことはなあなあにしてしまうのも頷けた。
ブリュンヒルドは頑なにドイツ語を喋ろうとしなかった。ヴィラではどんな場合でも母国語のノルウエー語で通そうとする。
それに怒った女性SSに、ドイツ語で返答するようピストルを向けて強制された時の逸話が、武勇伝として残っているほどだ。
ブリュンヒルドは一歩も引かず、凄まじい勢いで母国語で何やらまくしたてた。その迫力たるや、誰もが気圧されて言葉が挟めなくなるほど威風堂々としており、まるで古代ゲルマンの豊穣の女神・ネルトゥスが降臨したかのように神々しくさえあった。
女性SSは負けじとさらに激昂した。
見かねた男性SSたちが、まあまあと二人の間に割って入った。日頃から男尊女卑を隠そうともしないマッチョたちが、「彼女は希少な異能のアーリア人種だ」「しかもこれほどの類い稀な美女だし」「処分すれば大ドイツ帝国の大きな損失になるだろう」とやに下がった顔で庇いたてた。
実はブリュンヒルドは、ドイツ人男性がどれだけベッドで傲慢で思いやりがなく退屈極まりないか、ノルウエー語で徹底的にこき下ろしていたのである。少し内容がわかった北欧出身の助産師の一人は、笑いを堪えるあまり真っ赤になった。
理解できない男性SSたちこそいい面の皮であった。
この話は助産師たちの中で爆発的に広がり、強い共感からヴィラ内にブリュンヒルド・シンパが大量発生した。
これで思い上がるほど、この美しいマダムは愚かではなかった。だが、自分の美貌と高慢さの使い方はそれでしっかりと得心したようだ。
今では
強面の男性SS陣さえ、彼女のビブラートのかかった甘い叫び声を密かに楽しみにしている節があるほどだ。
助産師たちはその度に笑顔を見交わして喝采するのだった。
元々ブリュンヒルドは女子修道院育ちなせいか、同性のあしらいがとても上手い。年上のマダムたちにはもれなく面子を立ててやり、年下のマダムたちにはきめ細かに世話を焼いてやる。
スパイのはずのメイドたちの中にさえ、姉のように慕ってくる者が後をたたなかった。
その分、夫であるハオラン含め、男性に対しては一片の容赦もないのであるが――
「今日の午後、聖ワルプルガ女子修道会の尊敬する教母さまが、ヒヨルの顔を見たいとおっしゃっているの。きちんと支度してお迎えしなければいけないのは、お前にもわかるはずよね?」
「おそらくお庭でしょう。お呼びしてまいります」
「
ミツハの答えは日本語、返ってくるのはノルウエー語だ。それでも慣れれば
ミツハは、SSが角々に立つ廊下を会釈しながら抜け、七軒のヴィラの裏口に囲まれた中庭の木戸の方へ向かう。
木戸にはいくつか節穴があり、天然の覗き穴になっている。
そこにぴったり顔を押し当てているメイドがいたので、背後から低めの声をかけた。
「何か面白いものでも見えますか?」
その金髪碧眼のメイドは、今月からゾンネンブルク家付きになったエーファという13歳の少女だった。尻尾を踏まれた猫のように勢いよく飛び上がった。
声をかける前から相当のショックを受けていたようだ。大きく目と口を開けたまま、返事もせずにあたふたと逃げていった。
「相当面白かったようですね」
ミツハは軽くあしらった。このヴィラでメイドと言ったらスパイの代名詞なのだから、覗き見くらい驚くには当たらない。
雇い主は、このヴィラの監督であるドクトル・ヘスである。
博士号どころか医師免許すら持っていないにもかかわらず、「
メイドがいったい何を探っていたのかは気にはなるが、ヴィラのこのエリアにそれほど重大な秘密はないはずだった。
中で何が起こっているかは、ここの誰もが知っていて、見ないふりをしているのだから。
外部から覗けないように、二重のレンガの壁と樹高が高く落葉しないトウヒで覆われ隠されたそこは、ヴィラに住む子どもたちの解放区だった。
ヒヨルの自由な小鳥のような歌声が、壁の向こうからるりるりと降ってくる。
今日手に入ったばかりの楽譜の曲のようである。
>>>②につづく(③まで)