愛しい薔薇の守り人①

文字数 1,785文字

 「3」のアドベントカレンダーから出てきたもの。
・シュペクラティウス(※1) 一包み
・手作りのコミカルなフエルト製指人形五つ



ゾンネンブルクさん(ヘル・ゾンネンブルグ)(※2)、お食事の時まで新聞を読むのはやめて。パンと間違えて活字を食べる気なの? それとも日本人ってパンと紙の区別もつかない野蛮人(エーテ)なのかしら」

 ヒヨルの可愛い声が、とげとげしい語り口調に変わる。
 昼食用のテーブルセッティングをしていたミツハは目を丸くしてふりかえった。

 どうやらヒヨルは、アドベントカレンダーから出てきた指人形で、日常を手本にしたおままごとを始めたらしい。

 ちなみにこここまではブリュンヒルドの母国語、ノルウエー語だ。
 金髪碧眼の指人形の母親に本物そっくりのセリフを言わせた後、「パパちゃん(ファーターヒェン)パパちゃんたいへん、お腹壊しちゃうの?」と次には指人形のヒヨルになり変わってセリフを続ける。こっちは日本語である。

「たいへんたいへん」と今度は瞬時にミツハになりきった。これも日本語。
 テディベアになりきれば、同じセリフがドイツ語に変わる。

 指人形はブリュンヒルドの手作りである。
 父人形は黒い着物に鋭い眼光のつり目に無精髭、母人形は白のドレスに金髪碧眼にたわわな胸、ヒヨル人形はセーラー服に金髪碧眼に満面の笑顔。
 テディベアだけがそのまんまテディベアなのはご愛嬌か。

 特徴をうまく定型に落とし込んでいるので、ドールハウスの人形っぽい統一感があった。
 お仕着せの服で口を一文字に結んでいる黒髪の召使い人形も、これなら家族の一員になれる。

 じわじわと口端が上がっていく。
 どうやらわたしはそれが嬉しくてたまらないらしい、とミツハは磨いたばかりの銀のナイフに映る自分の笑顔を見て、人知れず照れる。

 そして、誰も見ていないには違いないが居住まいを正し、口を一文字に固く結びなおした。

 それにしても、幼い子どもというものは大人たちをよく観察しているものだ、と感心する。
 こまっしゃくれたセリフは毒気が抜けおちている分、ヒヨルの可愛らしさが倍増していた。

「やれやれ、なんて慌ただしい朝だ。食すなら私はもっと美味しいものにしたいね。世界一美しい薔薇のような女性の唇などをね?」

 ヒヨルは昨日の出来事の再現をしている、とミツハは気づいた。

 新聞から目を離す気はまるでないくせに、いかにも愛妻家のような調子で喋る、この一家の主人ハオランを忠実に再現したセリフ。これはドイツ語。

 徹夜明けで工房から一週間ぶりに帰った夫が、シャワーも浴びずに無精髭面で食卓に着いたので、妻ブリュンヒルドは頬へのキスを拒んだ。
 代わりに浴びせたのは、皮肉たっぷりのノルウエー語。これは彼女の母国語である。

「あらまあ、やっとお帰りになったと思ったら、その浮ついたおっしゃりよう。あなたは道端の花売り娘が扱うような安い薔薇でご満足ということかしら?」
「おや、私が愛してやまない美しい薔薇にはずいぶん鋭い棘があるようだね」
「それなのにまだ薔薇を愛してらっしゃなんて。あなたって本当にリラ・プリンツェン(小さな王子さま)なのね」

 この「小さな王子さま」という表現にはたっぷりと皮肉が込められている。
 ブリュンヒルドは、ハオランがごくたまに口にする大人向けの冗談が腹に据えかねたらしい。意趣返しで、先の彼の誕生日にとっておきの悪ふざけを仕掛けた。

 協力したのはブリュンヒルドの同胞でもある二人の助産師(ヘバメ)たちだ。
 ヴィラ専属の妊産婦への保健指導や出産の介助、産後の母子のケアなどを行うこの黒衣の女たちは、女性にしか心を開かなかった。唯一笑顔を見せるのは、ヒヨルとブリュンヒルドに対してだけだ。

 一般的な大ドイツ帝国人(ドイッチャー)の常として、東洋人を野蛮人として下に見る傾向があったが、ミツハ自身は慣れっこだから気にしたことはない。
 見た目は生粋のアーリア人種でありながら東洋人との混血であるヒヨルに、彼女たちは無尽蔵な愛情を注いでくれる。それが何よりもありがたく、ミツハにとって彼女たちは数少ない信頼に足る人物たちであった。

 ただし、表沙汰にできないある大きな問題があった。

※1:スイス地方のクリスマスに定番のスパイス入り薄焼きクッキー。サンタクロースの絵柄が一般的。

※2:ノルウェーでは基本的に目上でもファーストネームで呼び合う。逆に名字で呼ぶことは失礼に当たる。


 >>>②につづく(③まで)
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登場人物紹介

ヒヨル(ノルウェー人と日本人のハーフ:女、4歳)

本名:ヒヨルムスリム・瀬織(せおり)・フォン・ゾンネンブルク

伝説のセイレーンの超えた異能の歌声で現象を変化させられるが、本人は幼いため無自覚

ミツハ(日本人:男、16歳)

本名:|御津羽 伊吹(みつは・いぶき)

ヒヨルに絶対忠誠を誓う守護執事(ガーディアンバトラー)

異能はないのだが、生い立ち等いろいろと謎の多い少年

ブリュンヒルド(ノルウエー人:女)、ヒヨルの母親、20代後半

レーベンスボルン計画の一環として異能力者同士の結婚をさせられた二人、夫婦喧嘩が絶えない


本名:ブリュンヒルド、職業は有閑マダム

北欧にあるワルプルギウス修道会の魔女

ハオラン(日本人:男)、ヒヨルの父親、20代後半

レーベンスボルン計画の一環として異能力者同士の結婚をさせられた二人、夫婦喧嘩が絶えない


本名:ハオラン・淤加美(おかみ)・フォン・ゾンネンブルク、職業は刀鍛冶

さるやんごとな気お方から勅命を受けてドイツにやってきた陰陽師


ドクトル・ヘス(ドイツ人:男、30代)

ヴィラを支配するマッドサイエンティスト、《ミューズの愛し子たち》計画の首謀者

女嫌いで残虐非道な夢想家

超強力なテレパシー能力で人間を想いのままに操る

【第五話の語り役】

ハインリッヒ(チェコスロバキア人:男、15歳)、

暴力的でシニカルな性格

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、強力なテレキネシス能力を持つ

【第六話の語り役】

アレクサンドル(アルザス人:男、14歳)

心は女性のバレリーナ

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、優れた霊能力を持つ

【第七話の語り役】

フリードリッヒ(ドイツ人、男、17歳)

シャーデンフロイデになりきれないナイーヴな少年

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、卓越したテレポーテーション能力を持つが、たまに時軸がズレる癖がある

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