ミューズの息子たち③

文字数 2,189文字

 ベルリンは広大な盆地で、そのために森や湖が多い。都心部に都市機能が集中しているので、少し離れるともう深い森に入り込むことになる。
 太陽光の乏しい北ヨーロッパの森は真夏の昼間でも暗い。闇に対する本能的な恐怖が、大昔から人々の空想力を刺激し、怪奇な妄想話を盛り上げてきた。

 ここ、「ウンター・デア・ローゼン(薔薇の下にて)」という名のついたこの丘にも、奇怪な伝承があった。

 かつての神聖ローマ帝国時代には、遠征時に亡くなった戦士のためのカタコンベがあり、たくさんの薔薇の木と精霊に守られていたという。鬱蒼とした森に囲まれ、長らく呪われた土地としてゲルマン人たちに忌み嫌われてきた、と。

 そのために、Naziが「第三帝国」と呼ぶこの国が、まだ「第一帝国」と呼ばれていた時代から、虐げられていたユダヤ人の富豪たちが邸宅を建てる場所になった。
 ユダヤ人たちは薔薇を丹精し、古霊たちに対してもきちんと礼節を守ったので、その時は問題は起こらなかった。

 しかし、現在はNaziが接収して、聖なる墓場という場所柄も弁えず、帝国の人民増産計画のためのLebensborn(レーベンスボルン)のヴィラにした。

 Naziは宗教より科学を信じた。特にユダヤ教に端を発するキリスト教を軽んじた。
 これは礼節を守ることを知らず、薔薇の木を枯らす行為だった。そのために、ローマ人の古霊たちは激しく憤っている。
 そのエネルギーが次元を掻き乱しているから、こういうことが起きる、というのがその説であるた。

 ヴィラの住人たち、特にHJの男子たちは、表向きはナンセンスだと一笑に付しながら、裏では結構本気に取っているようだ。
 それは常人間離れした異能を誇る《ミューズの愛し子たち》のメンバーたちも同じだった。



『ミツハ?』

 ヒヨルがたった今我にかえった顔で、空中で振り返った。
 (もや)がかかったように(かす)んだ姿は、今日は17歳くらいの年齢に見えた。

 しかも、ぼんやりと虹色のハレーションに包まれたその姿は異形である。
 二本の黄金の角が頭髪からにょっきりのぞき、服からはみ出した両足はロバの(ひずめ)
 周りのメンバーまでつぶらな瞳の可愛らしいロバに変化していた。
 まるで絵画に描かれたケンタウロスかパーン神の群れのようだ。

 ミツハをまっすぐ見つめる、上気した薔薇色の顔の大きな碧い瞳だけが、よく知るヒヨルだった。

 こんな姿を見ても、わたしのヒヨルさまはロバになってもなんて可愛いんだ、と迷うことなく思える。
 それは、ミツハ自身が、これが蜃気楼のような現象であることをよく知っていたからだった。

 決して触れることはできないのに、そこにあるように見える、オーロラのように輝くカーテンが、幾重も二人の間にある。
 それがヒヨルの動きでめくられる度に、空間には違う光景が映し出されるのだ。

 博学かつ未来予知のできる《ミューズの愛し子たち》のリーダー、カール・ハインツによれば、これは「多次元」という概念を理解すれば説明のつく現象であるらしい。
 どれだけ丁寧に解説されてもメンバーの誰一人飲み込めなかったが、21世紀初頭にはおそらく解決する問題である、という。

 理由はなんでも良かった。自分なりに腹落ちして、ヒヨルを不安にさせないしっかりした態度を取れればそれでいい。
 プリズムの角度によって太陽光が七色に分かれて見えるようなものではないか、とミツハは適当に考えてみた。ヒヨルの姿が波長ごとに別物のように見えているだけで、本質的にななにも変わりがないのだろう、と。

 その証拠に、ひたと見つめ合うヒヨル瞳には何の曇りもない。

『ミツハ!』

 ヒヨルはミツハを認め、満面の笑みになった。蹄を高らかに鳴らしながら、三階ほどの高さの空中からこちらへ一直線に駆けてくる。

 近づくにつれ、何重ものベールが剥がれ落ちるように異形の神の姿が消え、本来の四歳のヒヨルの身体があらわになってきた。

 最後はとととっと四歳児の覚束ない足取りになって、跪いたミツハの胸に飛び込んだ。
 歌うことでほかほかしている小さな身体を、思いきり抱きしめる。

「ヒヨルさま、とてもお上手でしたよ」
『ほんと?』
「ええ、それに素敵なお歌でした」
『そう? ミツハはこのお歌好き?』
「好きですよ。あなたにとても似合う。でも」
『でも?』

 ヒヨルはまったく唇を動かさなかった。エネルギー消耗を考えずに無我夢中で歌いすぎて、醒めはじめた今は身体がだるくてたまらないのだろう。

 接触テレパシーを使う方がずっと楽なのはよくわかる。しかし、ミツハは迷うことなく、唇を使って答えた。

「このお歌はお外で歌ってはいけませんよ。讃美歌ならともかく、あなたの能力を刺激しすぎる。あまり歌うと後でまた困ったことになってしまいます」

 案の定、ヒヨルはそこで大きな欠伸(あくび)を立て続けに三回した。
 お部屋に帰りましょう、とミツハはヒヨルを軽々と抱っこする。
 寝ぼけた声で、ヒヨルはもにょもにょとまだ喋っていた。

『じゃあ、おねんねの時は?』
「小さなお声でしましょうね」
『くまちゃんに歌ってあげてもいい?』
「うんと小さなお声でならいいでしょう」

 うん、と頷き、微笑んだヒヨルは安心し切った顔で目を閉じた。

 ミツハはもう一度、ぎゅっと抱きしめてやる。
 ヒヨルがこの異能に溺れて当たり前の人間らしさを見失わないように、という強い祈りを込めて。


 >>>第4話終了/第5話につづく
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登場人物紹介

ヒヨル(ノルウェー人と日本人のハーフ:女、4歳)

本名:ヒヨルムスリム・瀬織(せおり)・フォン・ゾンネンブルク

伝説のセイレーンの超えた異能の歌声で現象を変化させられるが、本人は幼いため無自覚

ミツハ(日本人:男、16歳)

本名:|御津羽 伊吹(みつは・いぶき)

ヒヨルに絶対忠誠を誓う守護執事(ガーディアンバトラー)

異能はないのだが、生い立ち等いろいろと謎の多い少年

ブリュンヒルド(ノルウエー人:女)、ヒヨルの母親、20代後半

レーベンスボルン計画の一環として異能力者同士の結婚をさせられた二人、夫婦喧嘩が絶えない


本名:ブリュンヒルド、職業は有閑マダム

北欧にあるワルプルギウス修道会の魔女

ハオラン(日本人:男)、ヒヨルの父親、20代後半

レーベンスボルン計画の一環として異能力者同士の結婚をさせられた二人、夫婦喧嘩が絶えない


本名:ハオラン・淤加美(おかみ)・フォン・ゾンネンブルク、職業は刀鍛冶

さるやんごとな気お方から勅命を受けてドイツにやってきた陰陽師


ドクトル・ヘス(ドイツ人:男、30代)

ヴィラを支配するマッドサイエンティスト、《ミューズの愛し子たち》計画の首謀者

女嫌いで残虐非道な夢想家

超強力なテレパシー能力で人間を想いのままに操る

【第五話の語り役】

ハインリッヒ(チェコスロバキア人:男、15歳)、

暴力的でシニカルな性格

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、強力なテレキネシス能力を持つ

【第六話の語り役】

アレクサンドル(アルザス人:男、14歳)

心は女性のバレリーナ

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、優れた霊能力を持つ

【第七話の語り役】

フリードリッヒ(ドイツ人、男、17歳)

シャーデンフロイデになりきれないナイーヴな少年

《ミューズの愛し子たち》のメンバーで、卓越したテレポーテーション能力を持つが、たまに時軸がズレる癖がある

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