随想 「スペードの女王」で描かれるゲルマンについて

文字数 1,050文字

 プーシキンの「スペードの女王」を読んだ。ドストエフスキーが好んだ作品で、小説とは異なる筋になっているがオペラにもなっているそうだ。ファローと呼ばれる賭け事をめぐる物語なのだが、ここでは主人公ゲルマンがどのような人間として描かれているかを考えてみたい。
 ブリタニカ国際大百科事典の評に次のような文章が見られる。

当時ロシアにもようやく(おこ)りつつあった資本主義経済という新しい時代の新しい社会的タイプの特徴を初めて描き出した。

なるほど、いわれてみれば、利益を得るために余剰(よじょう)資金(しきん)を投資するギャンブルにそのような特徴を見出すことができるかもしれない。しかし、物語の主眼はそこにないだろう。それだけならば、わざわざ小説にする必要もあるまい。倹約家のドイツ人ゲルマンは、最終的に賭けに負け、身を滅ぼし発狂する。作者はこの人物を描くためにこの物語を書いたのであろう。
 では、彼はどのような人間として描かれているのだろうか。私は、資本主義社会において、真面目な人間が、金銭欲の誘惑に負けて投資に失敗し、破滅する典型として、ゲルマンを描いているように思う。
 ゲルマンは、賭博(とばく)を眺めることはあっても、生活に不必要なお金を賭けに使うことができる身分ではなかった。しかし、トムスキイから賭けに勝つ秘密を知る伯爵夫人のことを聞き、賭けに勝つことを夢見るようになる。彼は、煩悶(はんもん)するうちにこうつぶやく。

いやいや、倹約、節制、勤勉、これが俺の三枚の勝ち札だ。これこそ俺の身代を築き上げるどころか七層倍にもして、安楽と独立を(もたら)すものなのだ(神西清訳)

しかし、結局は賭けに勝つ秘密を知りたいという誘惑に負け、一生の幸福を夢見て、リザヴェータの純粋な恋情(れんじょう)を利用し、伯爵夫人に会い、甘言とピストルによる脅しで老婦人から秘密を聞き出そうとする。
 伯爵夫人はピストルを目にしたショックで亡くなってしまうが、葬儀に出席した夜、ゲルマンのもとに死んだはずの伯爵夫人が訪れ、秘密を告げる。ゲルマンは、そのことで頭がいっぱいになり、チェカリンスキイと勝負することになるのだが、最終的に、あやまってスペードの女王に賭けていたことに気づき、賭けに敗れ、発狂してしまうのである。
 ゲルマンは、お金持ちになりたい、投資で成功したいという思いが狂気といえるほど過度になり、そのためには女性をだまし、老夫人を殺すこともいとわなくなってしまった人間の象徴なのだろう。スペードの女王に老夫人の面影を見るゲルマンの姿は、その狂気にとらわれる典型的な現代人なのかもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み