随想 伊藤仁斎の伝記

文字数 746文字

 先哲(せんてつ)叢談(そうだん)という儒者の伝記に伊藤(いとう)仁斎(じんさい)の話がでてくる。それによると、仁斎の弟子が、師匠を批判する書を持ってきて、「先生、この人が勝手気ままなことを言っていますから、弁明してください」といったところ、仁斎は「その人が正しくて私が間違っているなら、その人は私にとって有益な友人となるような人だし、私が正しくてその人が間違っているなら、その人の学業が進めばその誤りに気づくのだから、争ったりせず、心を平静にして自己の修養に励むのがよい」と答えたという。
 仁斎の有り(よう)が実際にはどうだったのか、人と議論しないことがいいのかどうか私にはわからないが、自分の意見を絶対とせず、それに対する批判が正しいときには、それは有益なものだとするところが心に響いた。事実なら、日本にも偉い先生がいたことを誇りに思える。
 先生と呼ばれるような人の中には、自分のことをえらいもんだと思っていて、生徒が学問的に正当な批判をすることすらよしとしないような人がいるが、このような在り方は不健全な関係のように見える。常に主従を()いるような関係は、知識の探究において真摯(しんし)でなく、独立と自律の精神発達を妨害する害悪をおこすものだと思う。

 教育基本法には、教育の目標として「真理を求める態度」や「創造性を培い、自主及び自律の精神」を養うことが掲げられていて、立派なことが書かれていると思う一方で、形骸化(けいがいか)された教育現場を思い起こし、むなしさを感じる。
 受験勉強にしろ、大学の定期試験にしろ、こういうものでいい成績を上げようとさせることは、パズルやクイズに答えるのが得意な人を生み出しているだけで、教育基本法が述べるところに適ったものではない。伊藤の伝記が事実であれば、こうした教育よりもまっとうな教育をしていたのではなかろうかと想像する。
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