随想 賀茂真淵の学問的態度

文字数 1,306文字

 玉勝間(たまかつま)には、以下に示すように、現代人にも納得できる学問的態度が示された箇所(かしょ)がある。

おのれ古典を説くに、師の説とたがへること多く、師の説のわろきことあるをば、わきまへ言ふことも多かるを、いとあるまじきことと思ふ人多かんめれど、これすなわちわが師の心にて、常に教へられしは、「後によき考えの出で来たらむには、必ずしも師の説にたがふとて、なはばかりそ。」となむ、教へられし。こはいと尊き教へにて、我が師の、世に優れたまへる一つなり。(本居宣長. 玉勝間)

 宣長は、「おのが師などのわろきことを」指摘するのは恐れ多いことではあるが、それをせず、(いにしへ)(こころ)をあきらかにしようとしないのは、「ただ師のみを尊みて、道をば思はざるなり」と言っている。たしかに、このような態度がなければ、学問の進展はないだろう。
 しかるに、現代の教育研究の場を(かえり)みたとき、たとえ正しい指摘であっても、専制的独裁的指導教官が言うことと異なることを発言しただけで、低い評価が与えられることがあるのは聞くに忍びない。このような(やから)の考えは、宣長の師である賀茂真淵のそれと相反するものである。
 カントは『啓蒙とは何か』という書の中で「未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである₁。」と述べているが、こうした輩は、学生連中を「未成年の状態」のままにして、自分の指示に他律的に行動させて満足する専制的独裁的指導教官でしかない。人権を守れと声高に話し、反体制的意見を公言する教員のなかにも、このような輩が、存することを大変遺憾に思う。
 伊原康隆はアメリカの学術誌に論文を投稿したとき、ボレル編集長から次のようなメッセージを含む手紙をもらったという₂。

・・・Enclosed herewith are your manuscript and the referee’s comments. Of course, some of them are of a subjective nature, and I do not mean that you should follow all of his suggestions. However, I believe that your paper would be considerably improved if you would take his main remarks into account. Of course, I realize very well how unpleasant the prospect to rewrite a paper is. ・・・

大変丁寧な英語が使われており、投稿者に対する心のこもった助言がなされていることが伝わってくる。日本の教育研究の場においても、自律の精神が尊重されるところが増えることを願うばかりである。



₁ カント. 中山元訳. 2006. 永遠平和のために/啓蒙とは何か. 光文社. P.10
₂ 井原康隆. 2005 . 志学 数学~研究の諸段階 発表の工夫~. シュプリンガー・フェアラーク東京. p. 132
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