随想 漱石の「文芸とヒロイック」について

文字数 1,276文字

 「文芸とヒロイック」という文章がある。これは、夏目漱石が、大日本帝国海軍の軍人であった佐久間(さくま)(つとむ)の死と遺書に接して書かれた文章である。
 ガソリン潜航の訓練がなされ、潜航深度を深くしすぎたために事故が起こり、潜水艦は水没したらしいのだが、見つかった佐久間(さくま)艇長(ていちょう)の遺書には、天皇陛下の潜水艇を沈めたことに対する謝罪、乗組員の遺族に対する配慮などがしたためられており、内外の反響を呼んだ。突然の死を前にして、自己保存の本能による乱闘もなく、協力しているうちに絶命した事例は珍しく、彼らの行為は沈勇として賞賛されることになったのである。
 漱石も、突然の死に直面しても、生存本能による狂気的行為をせず、冷静に、しかるべく行動し、忠君愛国の精神と利他の精神を貫き通した姿勢に心を動かされたと考えられるが、漱石はこの小文のなかで、自然主義を批判している。私には、自然主義者も理想を抱いているという指摘がおもしろい。

 文学における自然主義は、たとえば次のように説明される。

人間の生態や社会生活を直視して分析し、ありのままの現実を直視して、醜悪なものを避けず理想化を行なわないで描写することを本旨とする思潮。(日本国語大辞典)

これについて、漱石は「この派の人々は現実を描くと云ふ。さうして現実曝露の悲哀を感ずるといふ。客観の真相に着して主観の苦悶を覚ゆるといふ。」と述べている。さらに、理想を抱かないものが、現実を観察して悲しみ、悶えることはないのだからといって、次のように、自然主義者がそれを抱いていると指摘している。

「一たび此論断を(うけが)つたとき、彼等は彼等の主観のうちに、又彼等の理想のうちに、彼等の平素排斥しつゝあるが如く見ゆるもろもろの善、もろもろの美、又もろもろの壮と烈との存在を(うけが)はねばならぬ。」

 この悲劇は、明治浪漫主義を代表する歌人である与謝野晶子に歌を詠ませることにもなった。次の歌がそれである。

       海底の 水の明りに したためし 永き別れの ますら男の文

浪漫主義者が、軍人のヒロイックな行動に注目するのは自然なことであるが、漱石は、自然主義の前提を否定するような出来事が現実に生じたことを喜び、このようなヒロイックを描くことを非現実的な嘘だと否定してはならないと主張している。
 英国の潜水艇に起きた不幸のときは、艇員が死を逃れようと一か所に折り重なって死ぬということがあり、「本能の権威のみを説かんとする自然派の小説家はこゝに好個の材料を見出すであらう。さうして或る手腕家によつて、此一事実から傑出した文学を作り上げる事が出来る」が、世界は自然主義者が想定するよりも広いものであり、獣と同じような現代的な人間にも、佐久間艇長のようなヒロイックな行為がなされうると述べたのである。

 以上、「文芸とヒロイック」に見られる、自然主義に対する漱石の批判を述べた。主義の違い、立場の違いといえばそれまでだが、漱石は写生説を提唱した正岡子規と親交があり、高浜虚子のすすめで『ホトトギス』に『吾輩は猫である』を発表してもいる。ここに人間交際の複雑さを覚える。
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