不調和のバランス－２－

　昼食後。
「もう疲れた。帰りたくねぇ。……鎮(まもる)ぅ、このまま泊まらせてぇ」
「遊びに行く気力もないし、ここでのんびりするのもいいよね」
「ふわぁ～。……昼寝しよかな」
「……着替えてからにしろ」　
　スーツのままゴロゴロしようとする三人をウォークインクローゼットに押し込むと、鎮(まもる)は常備してあるカジュアルウェアをそれぞれに投げつけた。
「持って帰るの、めんどくさいな～」
　脱いだスーツを手に文句を言う槐(えんじゅ)の目の前に、鎮(まもる)が黙ってランドリーバックを差し出す。
「いいの？！」
「まぁ、ワザとらしい」
　満面の笑顔を見せる槐(えんじゅ)の横から、渉(しょう)がさっさとスーツを投げ込んだ。
「クリーニング代、たまには払おか？」
「今さらだな」
　遠慮がちに申し出た煌(あきら)に、鎮(まもる)はランドリーバッグを押しつけるように預ける。
「まとめて、玄関に出しておいて」
「はい」
「あ、鎮(まもる)ぅ、オレ、コーヒー飲みたい。キリマンをブラックでよろ」
　キッチンに向かう家主に、リビングに戻ってスマートフォンをいじる渉(しょう)が声をかけた。
　ため息をつきつつ、コーヒーメーカーを用意する鎮(まもる)を煌(あきら)が親指で示して、槐(えんじゅ)に肩を寄せる。
「ほんまのお坊ちゃんっちゅうのは、ああいう人やで」
「まあ、そうだね。これも、”お父さんの秘書”が取りに来るんだもんね。様子見がてら」
　ランドリーバッグに雑にスーツを詰め込みながら、槐(えんじゅ)は肩をすくめた。
「大学生になってもお守り役が来るなんて、さすが御曹司」
「なに言うてるんや。同じ穴の狢(むじな)ちゃうん」
「……人のこと言えるワケ？」
「さて、なんのことやろなぁ」
　背中越しに振り返って笑う煌(あきら)に舌打ちを返して、槐(えんじゅ)もまたクローゼットから出てリビングへと戻ってみれば。
　部屋の隅に追いやられた渉(しょう)が、首を傾けてタバコに火をつけている。
「なぁ、これってイジメじゃねぇの？なんで二台も空気清浄機持ってくんだよ。しかも目の前に」
　形の良い口から吐き出された紫煙は、挟むように置かれている清浄機が瞬く間に吸い込まれていった。
「部屋がタバコ臭いと高梁(たかはし)さんがうるさい」
　ソファに腰を沈めてコーヒーカップを傾ける鎮(まもる)を振り返って、その足元に座る槐(えんじゅ)がしきりにうなずく。
「ああ、いかにも仕事できます！って雰囲気だけど、全体的にお母さんっぽいもんね、高梁(たかはし)さんって」
「見た目によらず世話焼きやからな。飯、ウマいし」
「オマエの秘書さん、口うるさいもんなー」
「俺のじゃない」
　うっすら眉間にしわを寄せる鎮(まもる)に、咥えタバコのまま渉(しょう)がニヤリと笑った。
「ああ、秘書どころじゃねぇもんな。……そだ、ウッドデッキで吸っていい？」
「駄目」
「ちっ」
「渉(しょう)も大概しつこいなあ。高梁(たかはし)さんに見つかったら、説教されるのは鎮(まもる)やで。可哀そうやろ」
「そういや、インテリメガネ高梁(たかはし)の職場から近いんだよな、ここ」
　渉(しょう)は窓の向こうにそびえる、全室オーシャンビューを誇る高級ホテルを眺め、また煙を吐き出す。
「へぃへぃ、我慢しますよ。でもオレ、法には抵触しねぇんだぞ、ハタチ超えてっから」
「出禁にならないだけでも、ありがたいと思いなよ。禁煙しろ、せめて節煙しろって、顔見るたびに言われてるじゃん」
　そう言うなり、槐(えんじゅ)はシミや傷ひとつない、無垢(むく)のヒノキのフローリングに大の字で寝そべった。
「ぶつぶつ言いながらさ、結局優しいんだよね、高梁(たかはし)さんって。いいな～、鎮(まもる)は。有能な秘書がプロのお掃除隊入れてくれるし、ロボット掃除機もあるし。あ、そうだ！」
「断る」
「まだなんにも言ってないじゃん。ね～、ここ掃除してもらえるじゃん！部屋余ってるじゃん！シェアハウスさせてよ～、ってうわぁっ」
　立ち上がった鎮(まもる)の足にしがみついて、すぐに蹴飛ばされた槐(えんじゅ)が、悲鳴を上げて転がる。
「出禁食らうのは槐(えんじゅ)のほうやな」
「なんでよ～。ね～、まもるぅ、シェアハウス」
「しつこい。……煌(あきら)」
「はい。遠うにほかしてきたらええですか？」
「え、なにソレ、捨て犬じゃないんだからさ！……ヤメテヤメテ！拾ったら責任もって飼ってくれないとっ」
「オマエ、そのかっこ！ぷはっ、ははは！」
　迫る煌(あきら)からへっぴり腰で逃げまどう槐(えんじゅ)を指さして、渉(しょう)は盛大な笑い声を部屋に響かせた。

◇
「入学式、無事終わりました。で、今日は友だちんとこ泊まります」
　リビングの片隅で、スマートフォンを耳に当てた煌(あきら)が、大きな背中を丸くして電話をかけている。
「はい、はい。そうです。秋鹿(あいか)

さん

のところです。はい、わかりました。では、おやすみなさい」
　通話を切った瞬間、煌(あきら)はひとつ盛大なため息をこぼした。
「ぐはぁ～」
「いつまでたっても、すっごく緊張してるよね。もうお世話になって……」
　槐(えんじゅ)はゲームコントローラーを握りながら、６５型テレビの大画面から目を離さない。
「えっと高校のときからだから……。うわぁ、やられたっ、渉(しょう)の鬼畜ぅ～！」
「いや、オマエがヘタクソすぎ。……あの師範は今でもシーサー顔？少しは柔らかくなった？」
　コントローラーを脇に置いて、渉(しょう)は体をひねって煌(あきら)を振り返った。
「狛犬(こまいぬ)師匠って、門下生から呼ばれとるよ。もちろん、敬意を込めてやで」
　スウェット姿の煌(あきら)がふたりの横に戻り、胡坐(あぐら)をかいて座る。
「獅子から犬にはなったんだ」
「渉(しょう)ってば、煌(あきら)のお師匠さんのこと、知ってるんだっけ」
「まだやんのかよ」
　コンティニューを選択する槐(えんじゅ)に苦笑いをこぼしながら、渉(しょう)も再びコントローラーを手にした。
「ガキのころな。試合会場で見かけた程度だけど」
「渉(しょう)が剣道やってる姿って、想像できないなぁ」
「昔の話だよ」
「師範も渉(しょう)のこと覚えとったよ。お前の剣道って、中学んときは全国レベルだったって、」
「そうだったかな。……はいよっ」
「うぉ、なんやねん！あっぶな」
　いきなり投げつけられたコントローラーを、煌(あきら)はあたふたしながらキャッチする。
「飽きたし、もー寝よって、鎮(まもる)いねぇじゃん！」
　立ち上がり、振り返った渉(しょう)が大袈裟に身をのけぞらせた。
「さっき寝るって言ってから、自分の部屋じゃない？……やった、勝ったー！煌(あきら)が床で寝てね！負けたんだから」
「俺は勝負なんてしてないやろ！槐(えんじゅ)が寝袋使えや」
「いやですぅ。それにベッドだと足はみだすじゃん、煌(あきら)は」
「寝袋は体半分はみ出すんやでっ」
「涼しそう」
「まだ寒(さぶ)いわっ」
「オマエら、相変わらず仲がいいなぁ」
「違う」
「ちゃう」
　槐(えんじゅ)と煌(あきら)がそろって振り仰げば、渉(しょう)が吹き出して笑う。
「くくっ、それだけシンクロしちゃうなら、同じベッドで寝たらいいんじゃなぁい」
「こんなデカいのとヤダよ」
「ならオレと寝る？可愛がってやるぜ？

どっちも

イケるし」
「……渉(しょう)が言うと冗談に聞こえないからヤメテ」
「冗談じゃねぇし」
「う、ウソ、だよね？」
「さあ、どうでしょう。……確かめたいなら来いよ」
　顔を引きつらせた槐(えんじゅ)に妖艶に微笑んで、渉(しょう)は二階へと上がっていった。