美しい傷

文字数 3,631文字

 うつむきながら、蒼玉(そうぎょく)は廊下を早足で歩く。

 この時代の異物。
 存在してはいけない「モノ」。
 ずっと「少女のお化け」であった自分が実体を持ったとしても、本質は変わっていない。
 そうとわかっている。
 わかっているのに。

(わたしのようなものが、つながりを持ってはいけなかった……。後悔しても、もう遅いわね)

 頼りなげな小さな足音が、神社の廊下に吸い込まれていった。
  

蒼玉(そうぎょく)と水浴びなんて久しぶりだね」
「水じゃないですよ、姉上。ほら、あったかいです!」
 湯舟に片足を入れた蒼玉(そうぎょく)が、キラキラした瞳で紅玉(こうぎょく)を振り返る。
「おふろって気持ちがいいんだよって、小さな(まもる)が話してくれたけれど、本当……」
 ちゃぷんと小さな水音を立てて湯船につかった蒼玉(そうぎょく)は、うっとりと目を閉じた。
「……気持ちいい」
「温泉でもないのにお湯がふんだんに使えるなんて、贅沢(ぜいたく)だねぇ、この時代は」
 湯舟の反対側に入った紅玉(こうぎょく)が、蒼玉(そうぎょく)のふくらはぎに自分の足を(から)ませ微笑む。
『これまでのことをざっと教えておいてくれる?何があったのかを。それから、この時代のあらましも』
『はい』
 蒼玉(そうぎょく)の腕輪が、湯の中でぼぅっとした光を帯び始めた。
 湯船のふちに乗せた片手に頬を預けて目を閉じ、紅玉(こうぎょく)は妹が送る過去視に神経を集中させる。
『……時代は進んでも、人の闇は変わらないのか。同じ過ちを繰り返して、そのたびに血と涙が流れる。理不尽に奪われるのは、いつも一番弱い者たち』
 頬を上気させた紅玉(こうぎょく)から切なげなため息がもれた。
『それにしても、ずいぶん文明とやらが進んだんだね。……へーえ、それは便利そうだ。ふむふむ。……え!アーユスを使わずに、誰でもが空を飛べるの?』
『すべて、(まもる)から教えてもらったことですけれど』
『そう。ずっと見守ってきた子なんだね。……白虎が今、暮らしているのは……。としぶ?……こんなに人間が住んでいるの?毎日がお祭りみたいだね』
 紅玉(こうぎょく)蒼玉(そうぎょく)の手を離して、湯船から立ち上がる。
「欲望の数だけ闇は生まれる。闇鬼(アンデラ)の餌には事欠かなそうだね。……完全復活も近いかもしれない。心してかかろう」
「はい」
「ところで蒼玉(そうぎょく)、これってどう使うんだっけ?」
「姉上、それは温度調整の、」
「え、こっちじゃなかった?こっち?」
「そのままひねってはダメ、きゃあっ」
 いきなり勢いよく噴出した冷水を浴びて、蒼玉(そうぎょく)が思わず悲鳴を上げた。
「ごめん!わあぁっ」
 最大の水量になったシャワーヘッドが、紅玉(こうぎょく)の手から踊り出して床に落ちる。
「どうしたの、大丈夫!?」
 騒ぎを聞きつけた(まもる)が浴室のドアを開け、冷水シャワーに襲われている姉妹を見て、急いで栓を締めた。
「わぁ~、びっくりした。……ありがとう白虎」
「いえ、どういたしま、わああっ、ごめんなさい!!」
 状況に気づいた(まもる)が慌てて出ていこうとして。
 一瞬だけ、蒼玉(そうぎょく)を振り返った。
「っ!」
 見張られた紅い瞳に気づいた蒼玉(そうぎょく)が、慌てて背を向ける。
「あの、ほんとにごめん、なさい……。えと、ごゆっく、り」
 浴室のドアが閉まり、(まもる)の足音が駆け足で遠ざかっていった。
「ごめんね、蒼玉(そうぎょく)。あのさ」
「いいのです。……何もおっしゃらないで」
「……わかった」
 いたるところ傷痕だらけの細い体に腕を回して、紅玉(こうぎょく)は妹を引き寄せる。
「水をかぶったから冷えちゃったね。もう一度、湯に入ろう」
「……はい」

 並んで湯船に足を入れた紅玉(こうぎょく)の体にも、もちろんいくつもの痕はある。
 だが、蒼玉(そうぎょく)のそれは比較にもならない。
 傷跡のないところを探すほうが難しい小さな体を隠すようにして、蒼玉(そうぎょく)は湯舟の端でうつむいていた。


 この体を見て、(まもる)はどう思っただろうか。
 こんなことなら「触れ合える出会い」になど、ならなければよかったのに。

(「キラキラしたおねえさん」でいたかった……)

 蒼玉(そうぎょく)は立ち止り、鼻をすする。

 戦士(ヴィーラ)ならば傷を受けることなど当たり前だし、これまではどうと思うこともなかった。
 むしろ、傷の数は村を守った(あかし)であり、自分が許される(よすが)でもあった。
 誇らしく思いこそすれ、恥ずかしくなどなかったけれど。
 
 廊下の突き当りに、人が出入りする気配のない部屋を見つけた。
 (ふすま)を開けると、寝具類やら食器やらが詰めこまれている。

(ここで頭を冷やそう。……大丈夫。まだ(まもる)を手放すことはできる。余裕ある「おねえさん」でいられる)
 
 一歩、中に入って。
 後ろ手で(ふすま)を締めようとした、そのとき。
「!」
 手首をぐいとつかまれて、蒼玉(そうぎょく)は目を見開いて振り返った。

(気配など感じなかった)

 見上げれば、(まもる)の赤い瞳は泣き出しそうに揺れている。

(もう、ここまでアーユスを使いこなすのね、(まもる)は……)
 
 戦士(ヴィーラ)に悟られないほどアーユスを制御する(まもる)は、すでに自分など必要ないのかもしれない。
 ならば、この醜い体を知られてしまったことは、いいきっかけなのだろう。
 
「……大丈夫、ですから……」
 アーユスを封印しながら、蒼玉(そうぎょく)はつかまれていないほうの手を(まもる)の胸に当てた。
「皆さんのところへ戻って。ちょっとだけひとりに、っ!」
 背後から抱きしめる腕の、その力の強さに蒼玉(そうぎょく)は息を飲む。
「ごめん蒼玉(そうぎょく)、あのとき」
「いいのです。……醜いものを見せてしまって、ごめんなさい」
「ちがっ」
 (まもる)蒼玉(そうぎょく)の肩をつかんで、自分のほうを振り向かせた。
「醜いなんて思ってないっ」
「でも……、見た、でしょう?」
 蒼玉(そうぎょく)(まもる)の手を取ると、自分の臍部(さいぶ)に導く。
 そこにあるのは、(へそ)を中心にして、円を描くように彫られた梵字の刺青(いれずみ)
「うん。ニーラカンタのマントラだったね」※
 (まもる)は作務衣の下にあるはずの刺青(いれずみ)をなぞるように、蒼玉(そうぎょく)の腹を(さす)った。
「一目でわかったの?」
「もちろん。ソウおねえさんはちゃんと、マントラを視せながら教えてくれただろう?この刺青(いれずみ)のおかげで、傷を受けても、即座に癒しの方術を発動させることができるんだね。ヴィーラにはみんなあるの?」
 こくりとうなずく蒼玉(そうぎょく)の額に、(まもる)の額がコツリとぶつけられる。
「じゃあ、俺にも必要だね」
『あなたの体に、余計な傷はつけたくない』
 密やかなアーユスを流す蒼玉(そうぎょく)を、(まもる)は柔らかく抱きしめた。
『余計なんかじゃないよ。稀鸞(きらん)さんとの約束を守るためにも、必要だろう』
「……さっきは、ほんとにごめん……。あれはね」
 腕を振り払ったことを詫びる、(まもる)のアーユスが蒼玉(そうぎょく)に届く。
『バレちゃうと思った、から。……蒼玉(そうぎょく)、きれいで……』
「きれい?わたしが?本当にそう思うの?こんな傷だらけの」
「思い、出させないで」
 弾かれるように蒼玉(そうぎょく)が顔を上げれば、耳まで真っ赤になった(まもる)が顔を伏せていた。
「ごめん。……ごめんなさい」
 絞るような声の謝罪は、抑えきれないアーユスにかき消されてしまう。
『キスしたい。もっと抱きしめて、どこにも行けないようにしてしまいたい。全部、全部俺のものにしてしまいたい』
 必死にコントロールしようとして、それでも漏れ出るアーユスが、腕輪からほわほわとした光となって薄暗い部屋を照らしていた。
「……ごめん……」
 身の置き所がないように困り顔をしている(まもる)の頬に、蒼玉(そうぎょく)は震える指を添えた。
「こんなに醜い私を」
蒼玉(そうぎょく)はきれいだっ」
「!」
 突然、唇を塞がれた蒼玉(そうぎょく)の目が、まん丸に見開かれる。
『大好きだ。可愛い、愛しい。蒼玉(そうぎょく)蒼玉(そうぎょく)……。全部全部、全部俺のもの』

 それは、思念というよりも情動の奔流。

 (まもる)の思慕と口付けに溺れそうになった蒼玉(そうぎょく)が、息を弾ませながら、くったりとその胸に体を預けた。
『誰か、来たら……』
『誰の気配もないよ』
 蒼玉(そうぎょく)の吐息さえ奪いながら、(まもる)は口づけを続ける。
『でも』
『わかった』
 
 強引すぎることに気は(とが)めるが、ひとたび触れてしまった蒼玉(そうぎょく)の唇を離すことなど、今の(まもる)にはできそうもない。
 
 (まもる)蒼玉(そぎょく)を縦て抱きにすると、(ふすま)を閉めて納戸の奥まで入りこんだ。
『ほら、ここなら誰にも見つからない』
 床に座り込んだ(まもる)は、それは大切そうに蒼玉(そうぎょく)を膝に(かか)える。
蒼玉(そうぎょく)
 一瞬も目をそらさずに、甘いため息交じりで呼ばれた名前は、愛を告げる言葉そのものだった。
「ごめんなさい」
 (まもる)の首を抱きしめ、顔を(うず)めた蒼玉(そうぎょく)の声に涙が混じる。
『ごめんなさい。わたしみたいなものがつながりを持ってしまって。あなたを縛ってしまって』
「どうして?俺が望んだことなのに」
「でも」
 (まもる)を見上げる大きな黒水晶の瞳が、涙で潤んでいた。
「すべて覚悟している」
 ほろりとこぼれた蒼玉(そうぎょく)の涙を、(まもる)は唇で受け止める。
「こんな気持ちにさせておいて、蒼玉(そうぎょく)は俺を置いて逃げるつもり?」
「逃げたりしないわ。(まもる)以上に大切なものなど、わたしにはないから」
「俺もだよ」
 ふたりは月見草の(つぼみ)(ほころ)ぶように笑い、頬を寄せ合う。
『俺たちは同じなんだよ』 
『……そうね』
 初々しいふたりが交わす口付けの音がひっそりと熱を帯びて、仄暗(ほのぐら)い部屋に溶けていった。  

※ ニーラカンタ シヴァ神の慈悲深い側面を表した神格 そのマントラは恐ろしい病を払拭することができる 毒素を取り除くとされる 
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