友人の船出-2-
文字数 4,022文字
久しぶりに見た兄貴がオレを凝視している。
それはもう、穴が開くほどに。
家でばったり会ったときはいつも、イケてるカッコしてるからな。
このスーツが地味過ぎて似合ってない?
急に来て驚いた?
まあ、どうでもいいんだけど。
「ケジメつけてこいよ、創二 」
最高にカッコよく送り出してくれたけど、ケジメつけんのは渉 、おまえの女関係のほうじゃねぇの。
とは思うけど、渉 の言うとおりだ。
イトコたちが自分のやってきたことを精算したように、オレもきちんとケリをつけよう。
◇
「あら」
両親に挨拶をしようとしたところで、尖がった声が背中を刺した。
「珍しい」
振り返ると、叔母が片頬だけで笑っている。
「兄さん、盛大な式典の開催、お祝い申し上げます」
隣に立っているオレの母親、義姉のことをガン無視するのは、いつものことだ。
「創一 さんもお元気そうね。学長賞をもらうなんて素晴らしいわ。うちのは推薦が決まって油断したらしくて、今回は成績がとても悪いの。恥ずかしいわ」
「また背が伸びたじゃない」
叔母のうしろで、居心地悪そうにしているイトコに母親が声をかける。
「あなたは普段からよくやってるんだから、心配ない。調子の出ないときもあるでしょう」
「そりゃあねえ。万年最下位で、卒業も危ぶまれるような子と比べたら、そうかもしれないけれど」
叔母が小馬鹿にしたような流し目をオレに寄こした。
「創二 さんは、上の大学には行かないんですって?一貫校なのに推薦も受けられないなんて、付属校に行った意味があるのかしら」
止まらない嫌味に周囲の空気が悪くなる。
集まっていたおっさんたちが微妙な顔を見合わせて、そつのない言い訳を並べて去っていった。
オヤジは、……相変わらずの能面顔か。
ここでいさめたとしても、収まる人じゃないけど。
妹ひとり制御できないなんて、兄としても社長としてもどうなの?
……いや、誰にも止められないヤツっているからなぁ。
そんな、どうでもいいことを考えてやり過ごしていたけれど、叔母は甥っ子(オレだけど)叩きをやめるつもりはないらしい。
「まったく。創二 さんの素行の悪さときたら、」
「ご無沙汰しております。五百木 社長」
叔母の口を封じたのは、ベルベットのように艶のある低い声だった。
「これは秋鹿 社長。わざわざご挨拶にいらしてくださったのですか?」
フォーマルスーツが超絶似合う、舞台俳優なんじゃないかと思う人が差し出した手を、父親が握りしめている。
「ご満足いただけておりますか?」
その背後から聞こえてきたのは、とっても馴染みのある声だ。
「おや、珍しい。いつもお忙しい高梁 さんまで」
へぇ。
高梁 さんと知り合いなんだなんて、なんだかオヤジを見直しちゃうな。
「とてもお世話になって、お世話をした方にぜひ、ご挨拶をと思いまして」
高梁 さんの銀縁眼鏡が、きらりと光った。
「創二 君、期末試験の結果はいかがでしたか?」
両親と兄貴、そして、もちろん叔母とイトコの注目がオレに集まっている。
「はい。みんなと勉強したし、高梁 さんにもごジョリョクいただいたので。本当にありがとうございました」
「いえいえ、私も楽しい時間でしたよ」
いや、そんなふうには見えなかったけどなぁ。
煌 と一緒に、手間をかけさせた自覚はあるし。
あと数学で、高梁 さんの間違いを指摘した渉 のドヤ顔を見たときには、若干キレてたよね。
「それで、結果は?」
微笑みを浮かべている、その切れ長の瞳が怖い。
でも、大丈夫。
「一応、目標の学年50位以内に入れました。ギリギリの48位でしたけど」
叔母がぎょっとした顔になり、イトコが息を飲んだ。
「え?!上がったとは聞いていたけど、そんなに?前期は三桁だったでしょう?」
「それが約束だったから。……これで、外部受験を許していただけますか、お父さん」
「だが、今年は間に合わないかもしれないな」
言葉は厳しいけれど、父親の目元は緩んでいる。
「それも、ごヨウシャいただけますか。オレ……、僕は、どうしても獣医になりたいんです」
「はぁ?!」
素っ頓狂な声を出した叔母が、すぐに短い笑い声を上げた。
「ふっ、獣医?創二 さんが?あなたがなれるなら、幼稚園児でもなれるんじゃないかしら」
そうして口の片端を歪めた叔母の笑顔は、なかなかに黒い。
「あなたはイオキと縁を切るつもりなのね。愚鈍な人間が組織に混ざらないのは、いいことだわ。ならば、うちの息子が」
「僕はイオキコーポレーションには入りません」
きっぱりと言い切ったイトコに驚いたし、叔母も目を見開いていた。
「父の会社に入るつもりです。……自分の将来は、自由に選ぶよ」
「それは本当かい?」
義叔父 も初耳だったようで、心配そうにイトコをのぞき込んでいる。
「私に気を使う必要はないんだよ。お前はやりたいことをやって」
「そんなのダメに決まってるでしょう?!」
叔母の金切声を聞いた周囲の人たちが、おしゃべりをやめて、こっちに注目し始めた。
「なにを勝手にっ」
「素晴らしいご子息方でいらっしゃいますね」
ベルベットの声に、一瞬だけ叔母の金切声が途切れたけれど。
「部外者の方は黙っていてくださる?そういえば、今年は飲み物のランクを落とされたのね。今日のワインは美味しくないわよ。贔屓筋 から暴利をむさぼるなんて、恥知らずなんじゃなくて?」
叔母の暴言に、舞台俳優が小首を傾げた。
「本当ですか?高梁 、今年のワインリストを」
「かしこまりました」
美しい礼を残して、高梁 さんが下がっていく。
そして、再びあのキンキン声が聞こえるのかと、うんざりしたのだけれど。
「創二 君、鎮 が仲良くしてもらっているそうだね」
「鎮 ?」
尋ね顔をする父親の隣で、眉の根を寄せながらも叔母が口を閉じた。
「私の息子です」
「え?!秋鹿 社長、ご子息がいらっしゃるのですか?」
静かになっていたホールに、父親の声が響く。
「ええ、創二 君と同じ高校の一年生です」
「……まさか、AIKAに後継者が?」
「秋鹿 社長はご結婚なさってたのか」
さわさわとした囁 きが、ボールルームを震わせて広がっていった。
「ご紹介させていただいても?……鎮 」
呼ばれて近づいてきた少年に、周囲のさざめきはざわめきに変わっていく。
長い前髪をオールバックに仕立て、タキシードを着こなしているその姿は、銀髪の貴公子みたいだ。
「っ!」
背中でイトコが息を飲んだようだけれど、納得だ。
これだけ目立つ容姿をしているくせに、学校にいるときの鎮 は、なぜか影が薄いから。
「初めまして。秋鹿 鎮 と申します。創二 先輩とは、大変親しくさせていただいております」
オレの家族に品よく会釈すると、鎮 はこっちに向き直った。
「創二 先輩、目標達成おめでとうございます」
「今日はいつもと違って、滑らかにしゃべるんだな」
「先輩も、いつもとは違う装いがお似合いです。バロンが喜びますね」
「うっせぇよ。バロンは俺がやることなら、なんだって喜んでくれるに決まってる。友達なんだから」
「犬は人類の良き友ですからね。人外の友は……、やっぱり考え直すか、付き合い」
「いやいや、約束が違ぇぞ?」
男女問わず、フォーマルで華やかな集団の中で。
普通のタキシードを着てるだけなのに、一際 目を引くヤツが、俺たちに手を振りながら歩いてくる。
「今日って、芸能人も来てるの?!」
「モデル?」
ホールのざわめきは、とうとうどよめきになった。
「あら、あれショウじゃない?」
「おまえのこと、知ってる人がいるみたいだな」
「だな~。ああ」
絵になる男が送ったかっこいい合図に、黄色い声が上がる。
「クラブで一緒に遊んだことのあるオネエサンたちだな。今日はコンパニオンのお仕事かぁ~。やっほー」
「未成年でクラブ、ですか」
「ふぉっ?!」
「社長、お待たせいたしました。今年のワインリストです」
見れば、高梁 さんが、背後からがっつりと渉 の肩をつかんでいた。
「そこで、アルコールなどは摂取していないでしょうね」
威圧感のある重低音に、渉 の背筋がぴんと伸びる。
「ませんっ」
「四十万 様、ワインは去年と同じランクでご提供しております。けれど、お口に合わなかったのならば、別のものをご用意いたしましょう」
叔母は差し出されたワインリストをひったくるようにして奪い、小憎らしそうに秋鹿 社長をにらんだ。
「ならば、ここで一番いいワインを出してっ」
「お前はいい加減にしなさい」
「あら、それくらい当たり前でしょう。毎年使って
「レイカっ」
兄の顔になってたしなめる父に、叔母は返事もしない。
「では、僕がセラーへご案内いたします。そこでお気に召したものを、当ホテルから贈らせていただきましょう」
「……ひとりでダイジョブか?やっぱりオレも行こうか」
渉 が鎮 の耳元で囁 くと、銀髪の貴公子がふっと笑った。
これは珍しいな。
今日はホワイトクリスマスになるかもしれない。
「心配ない。外に煌 がいる」
鎮 の視線を追うと、開け放たれた扉の影に、大柄な人影がチラ見えしていた。
「なら任せたぜ。人手が必要なら連絡しろよ」
「それは私の仕事です。あなたには、あなたの役割があるでしょう」
「オレの役割?」
「あのご婦人方のところへ行って、ここに集まってしまった注目を全部、かっさらってしまってください」
「ああ、そういう?」
高梁 さんを振り向いた渉 がニヤリと笑う。
「やっとオレの価値わかってくれちゃった?……創二 、行こうぜ」
「え、でも、俺は」
「今のオマエなら全然イケてるから大丈夫だって。オレのナンパ術を伝授してやる」
「いらねぇ~」
「まあそう言うなよ。将来、役に立つから」
「どんな将来だよ、それ」
渉 に肩を抱かれたオレは、きっぱりと親族に背中を向けた。
話すべきことは話したし、思い残すことは何もない。
相棒とオレ、両方を助けてくれた友人と一歩踏み出せば。
自分を縛りつけていた鎖が、音を立てて砕けていくような気分になった。
それはもう、穴が開くほどに。
家でばったり会ったときはいつも、イケてるカッコしてるからな。
このスーツが地味過ぎて似合ってない?
急に来て驚いた?
まあ、どうでもいいんだけど。
「ケジメつけてこいよ、
最高にカッコよく送り出してくれたけど、ケジメつけんのは
とは思うけど、
イトコたちが自分のやってきたことを精算したように、オレもきちんとケリをつけよう。
◇
「あら」
両親に挨拶をしようとしたところで、尖がった声が背中を刺した。
「珍しい」
振り返ると、叔母が片頬だけで笑っている。
「兄さん、盛大な式典の開催、お祝い申し上げます」
隣に立っているオレの母親、義姉のことをガン無視するのは、いつものことだ。
「
「また背が伸びたじゃない」
叔母のうしろで、居心地悪そうにしているイトコに母親が声をかける。
「あなたは普段からよくやってるんだから、心配ない。調子の出ないときもあるでしょう」
「そりゃあねえ。万年最下位で、卒業も危ぶまれるような子と比べたら、そうかもしれないけれど」
叔母が小馬鹿にしたような流し目をオレに寄こした。
「
止まらない嫌味に周囲の空気が悪くなる。
集まっていたおっさんたちが微妙な顔を見合わせて、そつのない言い訳を並べて去っていった。
オヤジは、……相変わらずの能面顔か。
ここでいさめたとしても、収まる人じゃないけど。
妹ひとり制御できないなんて、兄としても社長としてもどうなの?
……いや、誰にも止められないヤツっているからなぁ。
そんな、どうでもいいことを考えてやり過ごしていたけれど、叔母は甥っ子(オレだけど)叩きをやめるつもりはないらしい。
「まったく。
「ご無沙汰しております。
叔母の口を封じたのは、ベルベットのように艶のある低い声だった。
「これは
フォーマルスーツが超絶似合う、舞台俳優なんじゃないかと思う人が差し出した手を、父親が握りしめている。
「ご満足いただけておりますか?」
その背後から聞こえてきたのは、とっても馴染みのある声だ。
「おや、珍しい。いつもお忙しい
へぇ。
「とてもお世話になって、お世話をした方にぜひ、ご挨拶をと思いまして」
「
両親と兄貴、そして、もちろん叔母とイトコの注目がオレに集まっている。
「はい。みんなと勉強したし、
「いえいえ、私も楽しい時間でしたよ」
いや、そんなふうには見えなかったけどなぁ。
あと数学で、
「それで、結果は?」
微笑みを浮かべている、その切れ長の瞳が怖い。
でも、大丈夫。
「一応、目標の学年50位以内に入れました。ギリギリの48位でしたけど」
叔母がぎょっとした顔になり、イトコが息を飲んだ。
「え?!上がったとは聞いていたけど、そんなに?前期は三桁だったでしょう?」
「それが約束だったから。……これで、外部受験を許していただけますか、お父さん」
「だが、今年は間に合わないかもしれないな」
言葉は厳しいけれど、父親の目元は緩んでいる。
「それも、ごヨウシャいただけますか。オレ……、僕は、どうしても獣医になりたいんです」
「はぁ?!」
素っ頓狂な声を出した叔母が、すぐに短い笑い声を上げた。
「ふっ、獣医?
そうして口の片端を歪めた叔母の笑顔は、なかなかに黒い。
「あなたはイオキと縁を切るつもりなのね。愚鈍な人間が組織に混ざらないのは、いいことだわ。ならば、うちの息子が」
「僕はイオキコーポレーションには入りません」
きっぱりと言い切ったイトコに驚いたし、叔母も目を見開いていた。
「父の会社に入るつもりです。……自分の将来は、自由に選ぶよ」
「それは本当かい?」
「私に気を使う必要はないんだよ。お前はやりたいことをやって」
「そんなのダメに決まってるでしょう?!」
叔母の金切声を聞いた周囲の人たちが、おしゃべりをやめて、こっちに注目し始めた。
「なにを勝手にっ」
「素晴らしいご子息方でいらっしゃいますね」
ベルベットの声に、一瞬だけ叔母の金切声が途切れたけれど。
「部外者の方は黙っていてくださる?そういえば、今年は飲み物のランクを落とされたのね。今日のワインは美味しくないわよ。
叔母の暴言に、舞台俳優が小首を傾げた。
「本当ですか?
「かしこまりました」
美しい礼を残して、
そして、再びあのキンキン声が聞こえるのかと、うんざりしたのだけれど。
「
「
尋ね顔をする父親の隣で、眉の根を寄せながらも叔母が口を閉じた。
「私の息子です」
「え?!
静かになっていたホールに、父親の声が響く。
「ええ、
「……まさか、AIKAに後継者が?」
「
さわさわとした
「ご紹介させていただいても?……
呼ばれて近づいてきた少年に、周囲のさざめきはざわめきに変わっていく。
長い前髪をオールバックに仕立て、タキシードを着こなしているその姿は、銀髪の貴公子みたいだ。
「っ!」
背中でイトコが息を飲んだようだけれど、納得だ。
これだけ目立つ容姿をしているくせに、学校にいるときの
「初めまして。
オレの家族に品よく会釈すると、
「
「今日はいつもと違って、滑らかにしゃべるんだな」
「先輩も、いつもとは違う装いがお似合いです。バロンが喜びますね」
「うっせぇよ。バロンは俺がやることなら、なんだって喜んでくれるに決まってる。友達なんだから」
「犬は人類の良き友ですからね。人外の友は……、やっぱり考え直すか、付き合い」
「いやいや、約束が違ぇぞ?」
男女問わず、フォーマルで華やかな集団の中で。
普通のタキシードを着てるだけなのに、
「今日って、芸能人も来てるの?!」
「モデル?」
ホールのざわめきは、とうとうどよめきになった。
「あら、あれショウじゃない?」
「おまえのこと、知ってる人がいるみたいだな」
「だな~。ああ」
絵になる男が送ったかっこいい合図に、黄色い声が上がる。
「クラブで一緒に遊んだことのあるオネエサンたちだな。今日はコンパニオンのお仕事かぁ~。やっほー」
「未成年でクラブ、ですか」
「ふぉっ?!」
「社長、お待たせいたしました。今年のワインリストです」
見れば、
「そこで、アルコールなどは摂取していないでしょうね」
威圧感のある重低音に、
「ませんっ」
「
叔母は差し出されたワインリストをひったくるようにして奪い、小憎らしそうに
「ならば、ここで一番いいワインを出してっ」
「お前はいい加減にしなさい」
「あら、それくらい当たり前でしょう。毎年使って
あげてる
んだから」「レイカっ」
兄の顔になってたしなめる父に、叔母は返事もしない。
「では、僕がセラーへご案内いたします。そこでお気に召したものを、当ホテルから贈らせていただきましょう」
「……ひとりでダイジョブか?やっぱりオレも行こうか」
これは珍しいな。
今日はホワイトクリスマスになるかもしれない。
「心配ない。外に
「なら任せたぜ。人手が必要なら連絡しろよ」
「それは私の仕事です。あなたには、あなたの役割があるでしょう」
「オレの役割?」
「あのご婦人方のところへ行って、ここに集まってしまった注目を全部、かっさらってしまってください」
「ああ、そういう?」
「やっとオレの価値わかってくれちゃった?……
「え、でも、俺は」
「今のオマエなら全然イケてるから大丈夫だって。オレのナンパ術を伝授してやる」
「いらねぇ~」
「まあそう言うなよ。将来、役に立つから」
「どんな将来だよ、それ」
話すべきことは話したし、思い残すことは何もない。
相棒とオレ、両方を助けてくれた友人と一歩踏み出せば。
自分を縛りつけていた鎖が、音を立てて砕けていくような気分になった。