男爵の相棒-1-

文字数 2,509文字

 気持ちが腐ったときには、相棒と散歩に行くに限る。
 目を向ければ、同じタイミングで見上げるまっすぐな瞳。
 しゃがんだとたんに、腕の中に飛び込んでる体はあったかい。
 そうして相棒からほっぺたをなめられていると、こんなオレでも必要とされてるって思えるんだ。


「内部進学をするつもりがないなら、志望校くらい決めておけ」
 珍しい時間に帰ってきた父親から、いきなりそんなことを言われて面食らう。

――今の成績じゃあ、内部進学が微妙だぞ。もう高3の秋だってわかってるか?――
 
 そう言った担任は呆れた様子をしていたから、ついでに親にも電話したんだろう。
 でも、学校へ行く意味さえわかってないオレには、「つもり」も「志望」も存在しない。
 無言でうつむいていたら、ため息を残して父親は部屋を出ていった。
 上品なスーツが似合う父親は、オレがどんなイカレた恰好をしていても、文句のひとつも言わない。
 何をしていても、声を荒らげることもない。
 多分、オレのことなんか、どうでもいいんだろうな。


 幅広のハーネスを着けると、シュナウザー特有のふさふさの(ひげ)が寄せられて、小さな桃色の舌が手を舐めてくる。
「ちょ、くすぐってぇって」
 垂れた耳の間を乱暴になでてやると、向こうもぐいぐいと頭を押し付けてきた。
 それから、その場でクルクルと二、三度回ってみせる姿は、子犬のころと変わらない。
「もうジジィなんだから、ちょっと大人しくしてろ。心臓悪いって言われたろ」
 「嬉しい」を全身で表現する相棒のリードを手にして、玄関のドアを開けたところで。
 呼び鈴を押そうとしているイトコと遭遇した。
「今から散歩?……またずいぶんと素敵なTシャツを着てるね」
 普段、優等生面しているイトコの、うっすらバカにするクソムカつく顔は、オレにしか見せないものだ。
「いいね、五百木(いおき)本家の人間は。成績が悪かろうが素行が悪かろうが、将来はイオキコーポレーションのイスが用意されてるんだから」
「うっせえよ。お前こそ、こんな時間に何しに来たんだよ」
「伯父さんと創一(そういち)さんに、お渡しするものがね」
 アニキの名前をわざわざ出して、オレには除外だとほのめかすなんて。
 ホントにイトコは性格が悪い。
「それもママの言いつけ?イイコちゃんも大変だな」
 ニヤリと笑ってやれば、イトコの顔にさっと怒気が現れる。
義叔父(おじ)さんから、あんまこっちくんなって言われてんじゃねぇの?パパの言うことも聞いておけよ」
「あんな奴の言うことなんか、」
「叔母さんと同じようなこと言ってんなよ。義叔父(おじ)さんは、そんな悪いヒトじゃねぇだろ」
「ははっ」
 何の因果か、オレと同じ学校で同学年のイトコが、声を上げて(わら)った。
「同類相憐れむってやつだね。同じ三流のニオイがするもんな、アイツとお前は」
「ウウウウウっ」
 相棒はすげぇ賢くて、

吠えなんか絶対しない。
「ヴァウ、ヴァウっ」
「バロン、ステイ」
 鼻にしわを寄せて牙をむきながら、それでも相棒はきっちりと座った。
「主人に似てバカイヌだなっ」
 青ざめるほどの怒りをにじませた犬嫌いのイトコが、一、二歩下がっていく。
「……おまえと叔母さんだけだよ、吠えられてんの。行こうぜ、バロン」
 軽くリードを引くと、(ひげ)が触れるくらいぴったりと寄り添って、相棒も走り出した。
 早くアイツから距離を取りたかったけど、相棒は最近、主治医から「心臓に影がある」と言われている。
 12歳を過ぎてから耳も遠くなったし、無理はさせられない。

――もう少し速く走る?――
 
 そう言いたげな、白い眉が(かぶ)さる黒い目がオレを見上げた。
「大丈夫だよ」
 走りながら軽く頭をなでてやると、向こうも足を止めずに頭を()りつけてくる。
「港の夜景が見える坂まで行くか」
 つぶやけば、言葉がわかるみたいに相棒が少し足を速めた。
 オレンジ色の工場夜景の上にそびえる、青くライトアップされた橋。
 お気に入りの風景を見れば、少しは気分がよくなるかもしれない。
 そうしたら、未来への展望なんてものも考えついて、父親に話ができるかもしれない、なんて。
「そんなわけ、ないのにな」
 独り言をこぼすオレに、相棒はいつまでも寄り添ってくれていた。


 昼間は暑かったといっても、もう十月だ。
 夜にTシャツ一枚での散歩は無謀だったようで、朝起きれば体がだるい。
 学校は休むことにして、そのままベッドでゴロゴロしていたとき。
 足元で寝ていた相棒が起き上がって、嘔吐(えず)く仕草を繰り返した。
「カハッ、カハッ」
 その合間に妙な咳をするから、慌てて起き上がって、その背中を(さす)る。
「どうしたよ。どっか苦しい?」
 咳をする合間に博士のような眉が動いて、申し訳なさそうな黒い目が上がった。

――心配かけてごめんね――

 まるでそう言っているみたいで、思わず相棒を抱き上げる。
 心音に雑音が聞こえると診断した獣医から、「何か気になったらすぐ来るように」と言われているし……。
「よし、医者行くぞ」
 スマートフォンで時間を確認すると、まだ午前の授業中だ。
 学校は家から徒歩圏だけど、今なら知り合い連中には会わないだろう。
 急いで支度をして、相棒を抱えて部屋を出たところで、母親に出くわした。
「あら。また個性的なシャツを着てるわね」
 Tシャツを一瞥(いちべつ)する目は驚いている様子もなく。
 学校を休んでいることにも、何も言われない。
「……帰ってたんだ」
 久しぶりに見た母親は、相変わらず”デキル女”って感じだ。
「書類を取りに戻っただけだから、また出かけるけどね。どこに行くの?病院?どっちの?」
 お手伝いさんに病欠の連絡を入れてもらったことは、知っているらしい。
「バロンの」
「そう」
 母親はブランドものの財布を取り出すと、万札を引き抜いて差し出してくる。
「なに」
「診察代。創二(そうじ)、あなた、お金持ってるの?」
「うん。小遣い、まだあるし」
「これから診察代もかさむかもしれないんでしょう。もらえるときにもらっておきなさい」
 ぐい、と押し付けるように札を渡して、母親は自室へと消えていった。
 母親から気遣われたのも久しぶりで、雨が降るかもなんて思っていたんだけど。
 
 どうして、嫌な予感ってのは当たるんだろうな。
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