第3話  シンメカ監査室

文字数 3,103文字

 篠崎が社長に呼ばれた当日の八月七日十四時。シンメカ人事課長の寺内は、会社から新幹線を一駅乗り、県庁の並びにある耶蘇銀行本店人事部にいた。在来線の便が悪すぎるため、県庁所在地に行くには、みな自動車で高速道路を行くか新幹線を使っている。
 あさ一番の電話で、三カ月後に監査室要員の『人材紹介転籍入社』を告げられた。人員は充足されているので意に沿えない旨の回答をしたのだが、既に転籍予定者本人には内示済であり、今更変更できないと申し渡された。それでも拒むと、出頭して説明せよと呼び出しを受けたのである。先月のシンメカ関西支店内部監査で問題が発覚したので、内部管理体制強化のために監査員を増員すべしというのが耶蘇銀の主張である。

「急に言われましても、人員予算の兼ね合いがあって、御受けできかねます。そもそも、監査室は五名で十分回っていて、業務負荷が超過しているようには見えません。相変わらず、耶蘇会の人が毎日のように訪ねてきて、そのまま飲みにでかけているようですし」
 平素から耶蘇会の傍若無人ぶりを苦々しく思っている寺内は、意識して感情を抑えつつ、それでも言うべき事実を述べた。

「現実に関西支店で現金不足が起きたそうじゃないか。銀行ならあり得ないよ。一円まで合わせてからでないと、退勤しないのが銀行だ」
 耶蘇銀人事部長は、銀行マンの論理を押し付ける。シンメカの一支店に対する内部監査の結果を、社外の人間が知るはずは無いのだが、内部監査室は全員耶蘇銀OBで構成されており、情報は筒抜けである。

「現金不突合といっても、九十円です。おおかた、事務が電卓を入れた時に並びの数字を逆転させたのでしょう。あり得る誤差の範囲内だと判断しています。それに、現場責任者の関西支店長は、他ならぬ御社から弊社に転籍された方です。これでは不祥事のマッチポンプではないですか。監査員と言っても、また素人を寄越されても困ります。監査室員なら、せめてCIA(公認内部監査人)資格を持つ経験者でないと。またぞろ物見遊山の海外出張マニアが増えるだけです」
 CIAとは、米国に本部のある内部監査人協会(IIA)の国際資格である。十年前のJ―SOX(日本版企業統治法)施行時に注目を集めて、内部監査資格のスタンダードとなったかに見えたが、近年は資格認定要件のハードルが上がり、合格者数の伸びが鈍化している。内部監査人がキャリアパスに組み込まれ難い日本では、CIA取得に意味が見出し辛いことも影響しているようだ。

「監査未経験だろうと、五十歳まで銀行を勤めあげた真面目な男だ。おたくに入れてから、QIA(内部監査士)の講習を受けさせて、資格を取らせればいいだろう」
 それに対するQIAは、日本内部監査協会の国内資格で、五十時間の講習を受講し、終了論文審査に合格すると取得できる。キャリアの終点として内部監査部門に配属された人間は、試験があって、毎年四十時間相当のCPE(継続的専門教育)報告が必要なCIAよりも、講習で取得できてCPE永年不要のQIAを選好する傾向にある。

「うちの経理部長だって、伊達製作所監査室にいた時にCIAを取ってますよ。優秀な行員を揃えているお宅さまなら無理では無いでしょう」寺内の、せめてもの皮肉である。

『伊達製作所監査室』と聞いた人事部長は、一瞬ヒクりと反応した。総合電機メーカーで東の横綱を張る伊達製作所。その中で、戦前から内部監査のノウハウを積み上げているプロ集団であることはビジネス界に聞こえている。
 人事部長が首都圏の支店長だった頃、いくばくかの融資をしていた伊達グループの関係会社社長をして、「日本の国税局よりも、米国歳入庁(IRS)の移転価格告発よりも『伊達製作所監査室』は怖い。税務当局は追徴税を払えば済むが、伊達監査は首を取っていく」と言わしめた。わが身に置き換えれば、金融庁検査か日銀考査のようなものだろう。

「とにかく、受け入れてくれ。頭取名で文書を出す。おたくの会長と同級生の」

『~耶蘇八百~ 耶蘇銀OB社長 2025年800社を目指して頑張ろう!』
人事部長は、人事部の壁に大きく張られた耶蘇銀人事部のスローガンを目で追いながら、話を強制的に打ち切った。耶蘇のような地元独占型の地方銀行勤務では、首都圏出張がせいぜいで、海外出張の機会はない。シンメカが拠点をグローバル展開し、監査室が頻繁に海外出張している話は耶蘇銀内では羨望の的であり、行内からの再就職希望者が絶えない。

 シンメカは、その発展期の設備投資に、耶蘇銀からの借入に大きく依存した経緯があり、’90年代から役員や監査役を受け入れている。上場前には監査室要員として、耶蘇OBの転籍受け入れをしていた。以後、監査室は耶蘇会と言う、耶蘇銀OBの親睦会事務局も兼ねるようになり、県内各地の企業に在籍する耶蘇銀OBが日中から我が物顔で出入りするようになった。監査室と監査役室は独立の部屋と応接室を与えられ、要望によって専属女性秘書がついて、コピー取り、給茶や来客対応をしている。
 シンメカ創業会長は格別として、社長以下常勤役員は個室の無い大部屋住まいであり、専属秘書すらいない発展途上企業の中では、耶蘇OBの待遇はまさに破格であった。

 そんな特別待遇に恐縮するどころか、昼間から耶蘇会員を招き入れ、バーテーション越しに馬鹿笑いの騒音をフロア中にまき散らしながら、お互いが入り込んだ会社の秘密の暴露をしあって、シンメカ社員の顰蹙を買ってる。が、ご当人たちは意に介していない。

 監査室と監査役は、耶蘇銀行に対してシンメカ情報を逐一通報しており、社内の監査室監査で、管理体制不十分の指摘が行われると、即座に耶蘇OBを、新たに管理要員として受け入れるように耶蘇銀行人事部から申し入れが行われる。関西支店事案のように、責任者が耶蘇OBがらみであろうと、素知らぬ顔で天下りを押し付けてくるのである。

 その監査室の監査の腕前であるが、銀行屋特有の「精密監査(ディティール・オーディット)」にこだわり、全ての伝票を、一枚一枚をめくって照合していく方式である。そんな監査を一週間もやって、現金が数百円合わないと言っては大騒ぎをしている。

 伊達製作所監査室出身の経理部長篠崎にしてみれば、リスクベースで監査対象を絞り、「試査(テスティング)」すればもっと大きな問題点が見つかるであろうと思いつつ、内部管理体制の弱みを握られて、またぞろ不要な人員(スパイ)を押し付けられると困るので、監査室には今まで通り、物見遊山部屋でいてもらいたいと思っている。
 シンメカ監査室は、社規の「内部監査規程」に掲げられた監査室の意義とは大きく異なった、実質耶蘇銀の情報収集兼親睦場所であり、その活動内容がシンメカの内部管理体制改善に寄与することは、これまでも、そして将来的にも、全く期待できないのである。

 そんな「マッチポンプスパイ」を監査室として押し戴いている関係で、社内の内部管理体制の整備運用に関しては、CIAにして公認不正検査士(CFE)である篠崎配下の経理部が、数字面で異常を把握し、「経理指導」と言う名の監査をおこなって、都度改善している。指導内容は監査室には告げず、内部統制三点セットの、特にリスクコントロールに関する穴をふさいでいる。内部統制の運用・評価と改善を実質取り仕切っている、『裏の監査室』という役どころである。当然、経理部員の負荷が重くなるため、特別ボーナスが賞与原資の別枠で上乗せされている。
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登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

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