第2話 シンメカと耶蘇銀行

文字数 2,144文字

 『シンメカ』は、元々の社名を「シナノメカトロニクス株式会社」と言った。地元の通称である『シンメカ』が、製品のロゴとなり、ブランドとして浸透していった。株式市場への上場を前に、これが正式商号(社名)となった。
 シンメカは、この地方で盛んな精密機械工業の小さな下請け町工場として、昭和四十年代半ばに産声を上げた。
 平成に入りバブルが終わる頃に下請の仕事が切れ、下請で作っていたCAD(コンピュータ支援設計)用プロッター技術を生かした産業用メカトロニクス機器分野に、存亡を賭けて参入した。安価で安定した性能を発揮する製品の開発に成功し、コストパフォーマンスに敏感な中小零細の町工場で歓迎され、次第にシェアを伸ばして行った。二十一世紀に入ると売上高が二百億円を超え、東京証券取引所への上場を果たした。
 ステッピング(パルス制御)モーターとピエゾ(圧電)素子に対する絶妙な制御をおこなうソフトウエアによって、超精密動作を保証するメカニズムは、国内外で広く支持されている。この製品分野では、シンメカと競合の国内メーカー浜中精機だけが生き残り、国内および海外で、抜きつ抜かれつのシェア争いを繰り広げている。

発売から八年が経過した低価格のローエンド機は、その頑丈さと安定した性能で、主に発展途上国で好調に売れ続け、未だに全売上の三割を占めている。さすがにコスト要求が厳しくなったので生産を海外に移しているが、中級以上の機種は国内生産を守り続けている。
円高と賃金水準の高さゆえに、多くの製造業で国内生産が立ちいかなくなっている中、シンメカ本社工場で生産しても、なお利益を十分に確保できるのは、制御部に模倣困難なノウハウが詰め込まれているからである。
現在は、資本金八十億円、連結売上高六百億円、連結従業員数二千名、世界に十五の生産・販売拠点を持つ、知られざるグローバルメーカーに成長している。売上高は毎期三割のペースで増加を続けており、高度成長期を彷彿させる、活気ある製造現場として、しばしば経済誌の取材を受けていた。

 シンメカの創業以来のメインバンク、耶蘇銀行は、地元新卒の就職人気ランキング不動の第一位をキープし続けている、地場の超優良企業である。「揺りかごから墓場まで」と言われる、行員への手厚い福利厚生と、充実したライフプランの提供は、地元民の羨望の的である。その「ライフプラン」の受け入れ先となっているのが、県内の企業である。

 バブル期。都市銀行はおろか、地方銀行・信用金庫に至るまで、不動産や株式投資への融資競争に明け暮れていた頃。地方銀行である耶蘇銀行は、その本分を守って顧客の本業以外への融資はおこなわないという基本方針を貫いた。業績は一時的に他の地方銀行の後塵を拝したが、結果としてバブル崩壊による融資の不良債権化は、銀行体力に影響するほどでの金額では無かった。
 そして、バブルに踊って行き詰った県内企業に対し、DES(デット・エクイティ・スワップ)スキームで救済をおこなった。DESとは、企業の銀行からの借入金を資本金に振替えることで、金利負担をなくし、企業の再生を容易にする救済方式である。資本金に振替えるということは、銀行がその会社の株式を取得するということで、経営への参画を意味する。
経営が立ち直った後に、上場させて株式を売却すれば、耶蘇銀行には巨額の利益が転がり込む。上場しなくてもそれなりの価格で新旧経営者に売却すれば損はしない。売却せず、そのまま経営に口を出し、役員を送り込むこともある。殆どの救済先は、それらの合わせ技で耶蘇の影響力を残している。
 ゼロ年代後半の、いわゆる「リーマンショック」で県内企業が苦境に陥った際にも、同様のスキームで大量の地元企業を倒産の危機から救ってきた。
 こうして、耶蘇銀行は県内の数多くの企業に資本参加し、自行の従業員を役員や管理職として送り込んでいった。今や、県下で耶蘇OBのいない企業は皆無とまで言われている。

 シンメカは創業一族の持ち株数の十分の一、発行済み株式の二パーセントに満たない株を耶蘇銀行に保有させている。ほんの「お付き合い」程度の持分であって、DESスキームなどで救済されたことは無い。ただし、創業時からのメインバンクであり、運転資金として、常時五十億円程度の長期・短期の借入残がある。また、十年前に県内のトップメーカーからTOBを仕掛けられた折に防衛協力として、耶蘇銀行に第三者割当増資を引き受けてもらい、一時的に第三位の大株主にしたことはあったが、その後創業家や持株会が買い戻している。この時の『借り』が、現在シンメカに耶蘇銀行が人事的影響力を行使している理由の一つである。
海外拠点が増えた二十一世紀になると、都市銀行各行が得意の外国為替取引だけでなく、シンメカへの融資を積極的におこなっうようになった。最近ではTAIBO(タイボー)(東京銀行間貸出金利)マイナス一パーセントに近い優遇金利を提示して、食い込みを図っている。しかしながら、銀行間の紳士協定とやらで、耶蘇銀の融資シェアは、常に五十パーセントを超すように調整されており、結局耶蘇以外の銀行団の食い合いにしかなっていない。
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登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

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