第13話 オフサイト調査①

文字数 3,174文字

「シノザキ部長、休み中にケイコに凸(とつ)られたんですって?」

 隣の麺レーンからレジゲートに向かっていた総務部のコバヤシアズサが、ステンレスのカウンター上を滑らせていたプラスティックトレーに、「ランチA」のプレートを載せたばかりの篠崎に問いかけた。

「業務上の参考資料を閲覧に来ただけだ」

 早くも噂が立ったのか。調査室の活動が表沙汰になるよりはマシと思って耐え忍ぶしかない。意識して感情を抑えて応えた。
 中盛りライスに味噌汁と小鉢を加えたトレーを持ちながら空きテーブルを探している間も、ケイコの幼なじみ、総務の音波探知機(ソナー)・アズサの事情聴取は続いている。

「寮生から聞きましたよ。『見せなさい!』って迫られんですって? シノザキ部長、どんなセクシーボディ、あるいはポケットモンスター(一物)をお持ちなんですか?」

「誤解だ。見せたのは文字だけのファイルだ。ヘンなことにはなっていない」

 いつものように、会社が立つ斜面に続く山の連なりを眺めるテーブルに着いたが、アズサは当然のように「麺B」のアサリのボンゴレを載せたトレーを手に、対面に着座した。

「ケイコと二人きりになって、痣(あざ)もつけずに生還したオトコはいないんですよ。部長、柔道何段です? 寝技の達人とか?」

「さっきから聴いてれば、言いたい放題ね。中年オヤジとそんな関係にはなりません! このオッサンは、死んだ学生時代の恋人にまだ恋々としているナサケナ男よ。それとブチョー、またハンバーグなんか取って。脂肪過多です。健康のために半分残しなさい! サラダは必ず付けること!」

 税務署に、租税条約の源泉税還付請求書を提出に行かせていたケイコが現れた。そのトレーには白身魚の「ランチB」と、サラダが三皿。ヒジキの小鉢。ライスは無い。篠崎の右横に座ると、サラダを一つ寄越した。


「けなす割には世話焼き女房じゃない。ダンナ様の健康を気遣う。アタシにはサラダくれないの?」

「あんたはそのままパスタで炭水化物漬けになってればいいのよ」

 悪口を言い合うが、一応は親友らしい。地元の中学高校から県内の国立大学まで同級生だ。ケイコは二年休学して留学しているので、アズサの方が、シンメカでは先輩である。なんだかんだ言って、ちゃんとサラダを渡した。

「出張稟議見たわよ。二人でバリ島に婚前出張!」

 声をひそめてはいるが、囃し立てる口調のアズサ。本社では四人しかいない、事務服着用女子である。シャツは私物だが。

「バリじゃない、インドネシアでも首都のジャカルタだ! 憶測を呼ぶ誤解はしないでくれ」

 篠崎は気色ばむ。ネシア行きの件は、あまり吹聴されたくない。まあ、この会社では海外出張・海外赴任は日常茶飯事なので、誰も聞き耳など立てないだろうが。

「このオンナ、情報収集は早いですけど、総務だけあってクチの方は固いから心配しなくても大丈夫です」

 アズサは役員秘書グループ(組織名ではないが、総務部の女性三名合同で本業の傍らに担当している)のリーダーであり、社長会長への稟議書取次ぎ役である。守秘義務はかなり重い。付き合いの長いケイコは承知している。

「わかってます。稟議書には役員意見なし、承認印だけで決裁されました。監査役も見ないで秘書子に押印させたそうです」

 シンメカで『秘書』と名の付くポジションは、監査役と監査室兼任の秘書、コバヤシヒサコ一人である。秘書子とあだ名されている。

 ははぁ、アズサが社内の男女関係相関図の監修者か。篠崎はケイコの情報源の一つを確認した。

 夏季休暇の明けた十七日の木曜。八時半から三十分の経理部ミーティングを済ますと、篠崎はチャットで久保田からの報告を受けた。比良坂の雲隠れは想定外だったが、露骨な妨害を受けるよりはマシと考えた。久保田が仕掛けてきた忍者プログラム(スパイウエア)の操作法の入った文書の在り処を受け取ると、PCのメモ帳を立ち上げてペーストして、チャットを閉じた。

 ケイコを税務署にお使いに出した後、久保田謹製のプログラムを起動して、ネシアサーバへ侵入した。

 株式の百パーセントをシンメカが保有する子会社ではあるが、主権の異なる他国の会社である。例え犯罪証拠を押さえるためであっても、このような証拠収集は違法である(カタイことを言えば、普通にやっているERPの会計データ収集も、主権侵害と言えなくもない)。

 しかし、結果として刑事告発に至ることになろうと、目的は不正の発見であり、オモテからの合法的手段では入手不可能だ。違法収集証拠だろうが、尻尾は掴まねばならない。刑事訴訟法の議論は、向こうの方で勝手にやってくれというのが、篠崎の論理である。この部分は、CFE(公認不正検査士)の倫理規定に抵触する虞(おそれ)大アリだ。公認不正検査士協会(ACFE)の不正検査マニュアルでは、証拠収集は『あくまで合法的に』おこなうように記載されている。

 まずメールサーバから、全てのメールをダウンロードした。以後も毎日、新規発生分をアペンド(追加)で取得する。データ保管場所として、今回の調査のために大容量のクラウドサーバを用意してある。メール解析は、英語に堪能なケイコにやらせるつもりだ。

 次いで、受注売上・購買在庫システムにリモートアクセスしようとしたが、反応が無い。久保田に尋ねたら、一応ERPだが、ネシアのメインサーバではなく、受注売上購買入力用のデスクトップPCを仮想サーバに仕立て使っているという。そのPCが立ち上がっていないということだ。よくよく考えたら、今日はインドネシア独立記念日の休日だった。

それにしても、この古いシステムを使っていてくれて助かった。最近流行りのクラウド版だったら、侵入が困難である。

 休みでは仕方なく、二台あるネシア複合機に侵入する。FAXに登録された宛先リストと、ログの残っている送受信先を取得した。

 久保田が複合機に仕掛けてきた自動実行プログラムによって、コピー・PC(パソコン)プリント・FAX送受信内容全てを、PDFファイルにして、複合機内部のハードディスクに保存している。毎日バッチ(一括)FTP(ファイル転送)でクラウドサーバに送った後、ハードディスクから消去するというものである。

 コピーは誰がやったか特定は無理だが、プリントは実行したPCのIPドレス、FAXは送受信先の記録まで転送される。一ヶ月近くデータを収集すれば、なんらかの不審点は洗い出されるだろう。
 
 午前中は、FAXの送受先の電話番号を、シンメカの保有する電話番号DB(データベース)と、EXCELの計算式で突合していった。一台の複合機は、概ねネシア内の取引先と、ごく稀にシンメカ本社とのやりとりが記録されていた。本社とは基本的にワープロや表計算のファイルをそのままか、PDFファイルにしてパスワード付のメール添付で送受信しており、FAXは例外である。横着者がPDFにするのが億劫で直接送信したのだろう。

 もう一台、おそらくは社長室に近い方。FAXのやりとりは多くない。海外からのFAXは、経由する交換機によっては番号が表示されない。そんな通信の中に、稀に日本国内、シンメカ以外の番号があった。ネット上の検索サービスで割り出したそのFAX番号は、耶蘇銀行本店外国営業部だった。また、頻繁にシンガポールと通信している。シンメカ・シンガポール以外の通信先を、ネットで探した。予想されたとおり、耶蘇銀行シンガポール支店の番号だった。

 そして、まったく予想していなかった、シンメカ・ネシアとは取引の無い宇佐金剛銀行シンガポール支店の番号もあった。
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登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

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