第21話 姫木工業

文字数 4,846文字

 県下最大の企業、姫木工業は太平洋戦争中に疎開してきた精密機械工場に源流を持つ。

 戦中には高射砲の時限信管を作っていたが、戦後は民生用精密機器に特化し、1960年代からメインフレーム(汎用大型電子計算機)用のI/O(入出力)機器の製造に乗り出した。
 当初は大型機用、やがて、『ミニ・コン』と呼ばれる大学の研究室で使われるような、小型の計算機用に安価なI/O製品を開発してシェアを伸ばしていった。

 ‘70年代後半になり、8ビットマイクロプロセッサを使用したマイクロコンピュータキットが十万円程度で発売され、ブームが起きた。冬でもクーラーをかけてCPUを冷却していた巨大な『計算機室』に収まり、個人的計算には使うことのできなかった電子計算機が、身近で自分専用として使えるので、コンピュータ関係ではない、一般の技術者たちが飛びついた。
 ところが、心臓部のCPUを入手して、マイ・コン(マイクロコンピュータと、『自分の』という意味の『マイ』を掛けて、このように呼んだ)を組んだは良いが、計算結果を出力するには、数百万円するテレタイプ(伝送印刷機)が必要だった。
 もともとCPUメーカーが、これを使って製品を作ってくれるであろうメーカーに対する評価試験用キットとして売り出したものなので、アメリカならばどこのオフィスにも転がっている、テレタイプを出力端末とする設計だったのである。
 そんなわけで、日本の『マイ・コン』は、「来た、見た、勝った」ならぬ、「買った、作った、動かなかった」という結末の、メインフレーム系コンピュータ関係者から嘲(あざけ)られる誕生だった。

 そこへ、低廉な価格(といっても、数十万円した)で出力機器を発売し、世界的に大ヒットさせたのが姫木工業である。
 一時は各種互換パソコンを作っていたが、‘90年代以降は最も競争力のあるI/O分野に注力し、いまや連結売上高1兆円、世界に冠たるITメーカーとなっている。
 県下就職人気ランキングこそ耶蘇銀行に次ぐ二位であるが、全国大学卒業予定者のそれでは、大差をつけて(そもそも耶蘇はランキング外)姫木工業が勝っている。耶蘇が県内一位の理由は、地元に根ざした営業基盤、銀行特有の高額な賃金と、『ゆりかごから墓場まで』の面倒見の良さゆえによる。
                                                 
 姫木工業はB to C向け製品メーカーとして認知されているが、精密機械技術を応用して、ピエゾ素子を組み込んだ特殊デバイスを他のメーカー向けに製造している。
 国内はおろか、世界でもその製造技術は抜きん出ており、類似品を作るメーカーはあるが、性能と信頼性に決定的な差があり、大きな市場占有率を誇っている。
 このデバイスを使ってB to B向け製品を作っているのが、シンメカである。こちらも、製造元の姫木工業が及びもつかない制御技術で、圧倒的高品質の動作を保証している。両社併せると、無敵の製品ができあがる構図であり、現在は良いパートナーシップを保っている。

 もっとも、デバイス供給を一社に頼ることは、リスク管理上好ましいものではない。姫木工業のライバル、といっても姫木をはるかに上回る規模の総合精密機械メーカー観音寺(かんおんじ)製作所(医療用機器にも展開している)が、姫木製より高性能という触れ込みで、シンメカにデバイスの売り込みに来たことがある。

 評価試験では、そこそこの性能を見せて姫木製より安価であったので、新機種のデバイスとして採用した。ところが発売三ヶ月後に全世界レベルでクレームが殺到した。姫木製並にヘビーデューティではなかったのである。
 国内の耐久試験では合格しても、日本人ほど丁寧な扱いをしない国では、あっという間に故障した。莫大なFCO(Field Change Order:現場交換)費用をかけても解決せず、遂にはその製品の発売は中止、販売済み製品は全て姫木製デバイス使用の新製品に無償交換された。このときのデバイス不良の責任と負担金を巡って、シンメカと観音寺は未だ係争中である。
 
 現在こそ良い関係のシンメカと姫木工業であるが、かつて苛烈な法定闘争を繰り広げた時期があった。

 篠崎がシンメカに入社した二年後。世に言う『リーマンショック』のさなかである。

 シンメカも内外の売上げが急減し、最終赤字5億円に陥った。

 より多くの地域に進出している姫木工業の負った傷はシンメカの比ではなく、200億円に達していた。シンメカなら一発倒産に至る金額である。

 危機感を抱いた姫木工業経営陣は、不採算部門の大胆な整理と、自社の強みをさらに活かせる分野への経営資源集中戦略を推進した。その中に、姫木製品を用いて高収益を上げているシンメカに対するM&A(企業買収)が含まれていた。

 当初は穏便に、創業家に対して相対でのアプローチをおこなったが、自ら築き上げてきたシンメカを、一千億企業に育てることを生涯の目標にしていたカツトシ社長が肯(がえ)んずるはずもなかった。数ヶ月にわたるアプローチを、悉く撥ね付けられた姫木は、『敵対的買収』、TOB(公開買付)を発表した。

 当時のシンメカ株価三百円に対して、TOB価格は三倍の九百円という異常なものだった。姫木工業の記者会見によれば、シンメカの収益力と成長力から算出した価格である。買収が成功したあかつきには、会計上相当額の『のれん』が計上され、日本の会計基準によれば、二十年で償却(費用化)しなければならない。この件についても、姫木側の説明はシンメカの『超過収益力』と評価している。

 対するシンメカ創業家、従業員持株会はいっせいに買収防衛に動いた。新株式の第三者割当て発行による、シンメカ創業家側持分の増加。その株主総会特別決議に対する、姫木側からの無効の訴え。それに対する裁判所による裁量棄却。

 即座に姫木工業からのデバイス納入価格の一方的引き上げ通告。それに応じないと納入停止をちらつかせる。対抗するシンメカ側の独禁法違反行為差止め請求訴訟。それらが係争中に、姫木から通告され、提訴された特許の相互利用(クロスライセンス)契約の破棄と特許権侵害訴訟。

 株式市場のシンメカ株価は、仕手筋も参入して、のたうつ龍のように乱高下を繰り返していた。

 そんな訴訟合戦のさなか、経理課長になっていた篠崎は特命調査室長として、不正疑惑を追っていた。外部委託している試験研究費の水増し請求とキックバック疑惑である。


 試験研究費は、法人税法上『税額控除』と言って、既に費用として処理されている試験研究費の、さらに一定割合を納付する法人税『額』から差し引けるという特別の税制である。産業奨励のための政策的な意味合いが強い。それだけに、税務調査の際には重点的に突っ込まれる部分である。
 前職の伊達製作所でも重点監査項目であったので、篠崎が経理課長に就任後は試験研究のテーマごとに見積をおこない、進捗管理も厳重におこなっている。

 しかし、開発者にとっては『研究』は錦の御旗として使い放題だった歴史があり、シンメカを自分たちの頭脳で発展させてきた自負も強く、従来の経理が手を付けなかった「聖域」を侵害する篠崎の管理に反発する者もいた。
そんな試験研究費の原価明細を取り、発注書添付の外注見積を検証していると、明らかに異常な外注費を発見した。

「制御基板試作費用一式 金六百万円也」

 篠崎は、該当する試作作番の回路図CAD(コンピュータ描画)と、そこから起こされた設計BOM(Bill of material:部品表)、および基盤のCADを統合製造システムから取り出した。LSI(大規模集積回路)二個、若干のC(コンデンサ)・R(抵抗)とLED(発光ダイオード)。

それらが4センチ×6センチの基盤に配置されている。基盤のパターンは、LSIの足の部分は混み入っているが、大して複雑でもない。

 設計部の開発担当に確認に行くと、『士農工商・技製営事』で普段から事務屋を見下している高専卒の主任技師椙原は、まともに取り合わない。挙句、

「誰に食わせてもらっていると思っているんだ! うせろ!」と追い出された。

 不正事案における被疑者からの恫喝は、明らかな『不正の兆候(RED FLAG)』である。近年公になった『Nシステムズ事件』において、外注費七億八千万円を騙し取った主犯は、「おまえたちを殺すことなど、おれは何とも思わない。家族を守るためだったら何でもやる。駅のホームでおまえたちに何かあっても気づく人はいない」と、財務部門の人間を脅している。

 疑念が確信になった篠崎により、社長経由設計部長に調査協力命令が発せられた。

 ここで現物の提示を求められた椙原は最後まで抵抗し、基盤を出さなかったが、配下のグループ員によって提出されたその現品は、たったの一枚が納品されていたにすぎない。

 なおも「これは特別な品で、一枚で六百万は適正な価格だ」と言い張る椙原。

 篠崎はCADから基盤のパターン(実態配線図)をプリンタに出力した。
 セットした熱転写シートに印刷されたパターンを、秋葉原のパーツ屋で求めた銅メッキ側のエポキシ基盤にアイロンで貼り付ける。シートの台紙をはがすと、トナーだけがエポキシ基盤に残る。
 これを微温湯程度の酸化第二銅のエッチング液に浸し、トナー付着部分以外の銅を溶解した。その後アルコールでトナーをふき取ると、自作派無線オタクの特技、プリント基盤の完成である。

 精密ボール盤で部品穴を開け、これにLSIやC・Rを差し、リフロー炉(常温半田付)が無いので15ワットの半田ごてを使って基板に固定した。動作試験装置にかけて、正常に作動することを確認して、設計部長の面前で椙原に突き付ける。

「ぼくにも六百万円くれますか?」

 怒り狂った椙原の鉄拳を左肘で受け止める。応援についてきた総務部員が椙原を引き剥がして、第七会議室に連行していった。同じ高専あがりの技術屋として、カツトシ社長が目を掛けていたこともあり、一か月の出勤停止、降格処分で済み、開発に復帰した。リベート分を分割で椙原に賠償させることで決着した。処分は耶蘇銀行に気づかれぬよう、人事情報には掲載せず秘密裏におこなわれた。

 その後特命調査協力者への参加呼びかけに、椙原だけは最後まで応じようとしなかった。 

 本件は期中の事件だったが、過去に同様なものがあると、法人税の修正申告が必要となる。共犯の外注に、基本契約書の監査条項に基づいて篠崎が監査に赴いた。

 シンメカからの連続した水増し受注は見られなかったが、他社に対するリベートを伴う受注を大量に発見した。姫木工業の特定の部署からの、少なからぬ金額の水増し受注である。その発注者は、姫木工業取締役技術本部長だった。

 篠崎は、共犯の外注社長の了解を得て、エビデンス類のコピーを取った。それらを姫木に関わる一連のリベートの流れ図とともに、カツトシ社長に提出した。

 ほどなく、姫木工業のシンメカTOB中止が発表され、係争中の訴訟もすべて取り下げられた。

 外注の社長は、篠崎の勧告に従って顧問税理士に姫木技術本部長に支払ったリベートを全て『使途不明金』として修正申告をさせ、決して安くない追加の法人税を納付した。


 篠崎はもう一件、シンメカの情報システム部のリベートがらみで、姫木の百パーセント子会社であるソフトウエア会社の巨額架空循環取引の証拠も掴んでいた。だが、その報告を受けたカツトシ社長は、姫木に与えるインパクトの巨大さから、証拠は残すが表沙汰にはしないように指示を出した。最後の隠し玉のつもりで。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み