第5話 特命調査室

文字数 2,958文字

 篠崎は、二十世紀最後の年、’00年に大学を卒業して、総合電機メーカー伊達製作所に入所した。篠崎の実家近くの埼玉県兎束(うづか)工場の経理部に配属され、原価計算を担当していた。 兎束工場は情通(情報通信事業部)と言い、FAXなどの情報通信機器を製造していた。
 積分と対数関数が苦手で、工学部に入れず経済学部を出た身であるが、技術憧憬癖は、その辺の技術者より強かった。現場視察と称して、製造現場にいりびたり、組み立てロボットの動作に、仕事を忘れて終日見入ってしまい、上司に叱責されたこともある。

 四年間の兎束工場経理部勤務の後、情通在籍のまま、本社の監査室に出向を命じられた。
たまたま事業部長が監査室長と同期で、監査室に若手がいないと嘆かれたところへ、監査室の手の内を知りたい事業部長が、修行名目でスパイさせるために送り込んだのだった。

 監査室で篠崎は監査手法を学んだ。国内各地の工場や、支店・販社を巡り、月イチのペースで監査を行っていた。ある時、異常値を追っていたところ、製品在庫横流しの不正を発見した。
この時に不正検査技法に興味を持ち、伊達製作所の過去の膨大な監査調書から、不正の手口の研究をしていった。

 監査室三年目には、命じられてCIA資格を取得した。ついで個人的興味に基づき、当時日本での試験が始まったばかりのCFE(公認不正検査士)を取得した。そんな監査室勤務が面白くなりかけてきた時に、原籍事業部工場の売却が発表された。

 ITバブル後の半導体不況、電子メール普及によるファクシミリ需要減の直撃を受け、伊達製作所は事業再編と言う名の苛烈なリストラを断行したのだ。

 同じ東の電機大手、京浦電気が好調なパソコン事業による業績を背景に、企業買収で大きく伸張していた時期である。低迷する業績を打開するために、伊達製作所は雌伏して経営資源の選択集中をおこなった。十年後の現在は立場が入れ替わり、伊達製作所は順風満帆、対する京浦電気は買収事業によって足元を掬われ、存亡の危機にある。

 伊達製作所の多くの事業部、工場が売却されていった。埼玉県南部の兎束市は、東京への通勤が至便で地価も高い。兎束工場は売却され、情通事業部は解散。篠崎は戻るべき場所を失った。
 正式に監査室への転籍も打診されたが、自分のルーツは経理にあり、モノ造りをする工場こそが職場と思い定めていた篠崎は、そのまま伊達製作所を去った。

 その頃、日本版企業統治法、通称J―SOXが法制化され、 内部統制整備要員の需要が高まっていた。だが、篠崎はそれを職にするつもりは無かった。
 メーカー経理職を求めていた篠崎の「内部統制評価指導士(CCSA)」資格に目を付け、『内部統制を指導する』ものと誤解したシンメカ創業者のカツトシ社長(当時)が、内部統制を整備した後は、経理をやらせてやると約束してくれたので、篠崎は埼玉の実家を離れてシンメカに入社した。
 CCSAの本来の意味は、Certification in Contorol Self Assesment であり、日本語訳としては、「事業活動のプロセスの主体による、内部統制の自己評価に関する議論の推進を指導する者」が正しい。自ら内部統制の整備を指導する役割は負っていない。このあたり、現在もまだ誤解されているようである。

 シンメカに入社した篠崎は、内部統制準備室に所属し、内部統制三点セット(業務記述書、リスクコントロールマトリクス、フローチャート)の作成に従事していた。たまたま、コントロール(統制)の穴を見つけ、それを精査していたところ、資材購買関係で金額の大きな不正を発見した。
 材料費差異の分析がなされておらず、購買価格が異常でもそのまま原価差異、つまり売上原価に流れていたのである。ひとまずカツトシ社長に報告したところ、耶蘇OBに嗅ぎつけられたら一大事、オマエ、公認不正検査士とか言ってたな。秘密裡かつ穏便、しかも迅速に調査して処理せよと命じられた。

 篠崎は総務部に赴き、駐車場の管理台帳と、自動車通勤申請書添付の車検証コピーを借りて、通勤車の駐車場を調査した。公共交通機関の不便な地方工場である。殆どの社員が自動車通勤だった。新幹線通勤の耶蘇OBは、駅からタクシー通勤していたが。

 通勤申請書記載の車両ナンバーと、実車のそれが不一致なものを抜き出し、総務部に依頼して、駐車場の境界ラインの書き換えをするから、車両を移動するという理由で対象車のキーを預かり、車検証を取り出して名義を逐一確認していった。

 対象車両のうち、一台が仕入先名義だった。シンメカ社員が求めるには、やや背伸び感が否めない高級車である。
 不正容疑者の見当がついたので、今度は仕入先との取引基本契約書をチェックした。抜かりなく、シンメカによる監査条項があることを確認すると、篠崎は経理部と共に仕入先に臨場した。
 エビデンス(証拠書類)の無い、不自然に切りの良い金額が、「手数料」名目で支払われている。間抜けなことに、税務上も交際費にも使途不明金にもされていない。
 町工場のオヤジといった風情の仕入先社長に、「これじゃ税務署入ったら一発ですよ」と脅したところ、早々に自白した。シンメカの不正実行者には証拠を揃えて自白させた。リベートだけでは物足りなく、車の無償提供をさせていたのが運の尽きである。

 シンメカ担当者の受け取ったリベート分を製造原価算入自己否認、つまりは損金不算入としてシンメカで早めに修正申告をして納税し、大事には至らなかった。

 不正実行者についても、人事考課上でマイナスはつけたものの、耶蘇に気づかれる「処分」という形はとらなかった。むしろ、不正手口に関するプロとして、篠崎の協力者となることを約束させた。調査協力の見返りに、ボーナス支給をするという社長の一筆で。

 この、「不正手口に通じているプロ」を、耶蘇銀行に気づかれぬ、「秘密の不正調査の協力者」とすることが、さらなる不正の発生防止・発見につながるのである。

 その後も、情報システム部でソフトウエア外注の循環取引加担によるリベート不正、設計部による試作研究費の巨額私消不正、、製造部の外注支給部材および廃棄部材の横流し不正などを摘発した。篠崎によって、創業以来手の着けられていなかった内部統制上の穴が塞がれていった。
 ほとんどが、伊達製作所の過去のケーススタディを当てはめることによって暴かれた不正である。
 例外はあったが、いずれの不正実行者も、篠崎は自らの協力者としていった。

 いつしか篠崎は社長ら役員によって、会社組織図には存在しない社長直属の非公式組織「特命調査室長、公認不正検査士のシノザキ」と呼ばれるようになった。

 内部統制の整備が一段落した後、経理課長となり、二年前には経理部長になった。本来業務に関わらず、社長の命令により、いつでも特命調査室を開業するようになっている。篠崎が摘発してきた不正の実行者は、この特命調査室のメンバーとなっているが、彼らは調査室として一同に会したことは無く、自分以外のメンバーを知らない。

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登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

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