第7話 仕事人招集

文字数 2,445文字

 エビデンスは基本通りに、期末試算表(勘定科目毎の残高を表示したもので、財務諸表と中身は同じ)に銀行預金と借入金の残高証明から、売上インボイス(送り状)、入金時のEB(エレクトロニックバンキング:銀行のネットバンキング)データのハードコピーなど。まあまあ、監査室にしてはよく揃えて来たと感心している。
 ひとまず銀行預金残を確認した。補助残高表と一致しており、問題ない。銀行から発行された英文の残高証明を眺めていると、「ゼロ残」という口座に目が行く。

 ゼロ残・・・・。ひっかかる。補助科目の預金口座名をぶつけていく。会計システムには当該口座は登録されていない。したがって、仕訳は記入されていない・・・。M&A(企業買収)前からの休眠口座だろうか? これは深堀りした方がいい。

 売上エビデンスをパラパラめくって通査(スキャン)する。インボイスナンバーが連番でなく、時々飛んでいることに気づいた。書き損じは捨てず、保管するように義務付けている。監査室は書き損じのエビデンスは取っていない。見ていないのかもしれない。
インボイスのサンプルを一ヶ月分を集計し、会計システムの売上げと比べる。不一致だ。エビデンスの方が多い。月ズレかもしれない。得意先別にインボイスを集計し、会計システムのバッチ入力売上と比較する。これも不一致。インボイスが受注売上システムから出力されているのか怪しくなってきた。
 得意先からの注文書(パーチェスオーダー)と、売上インボイスの突合を一か月分、前後一週間を含めておこなったが、こちらも一致しないものが数件出た。これは現地で調査しないとわからない。

 購買関係は、シンメカ本社からの輸出インボイスと、委託倉庫からの入庫報告ががエビデンスである。若干のタイムラグがあるが、一致している。連結消去の対象だから、一致してないと困るものである。入庫報告の文書ナンバーが飛んでいるのは、シンメカ・ネシアだけが発行相手ではないからだろう。
篠崎は、エビデンスと会計データの突合を終えると、情報システム部の久保田と、資材購買部の黒須に暗号メールを送り、例の防音第七会議室を匿名で確保した。

 翌日九日水曜十九時。第七会議室に久保田がやってきた。IT屋のくせに、社内では常に着帽している。製造現場は安全のため着帽義務があるが、事務棟では被らないのが普通だ。百六十センチに満たないタッパなので、帽子でかさ上げしているつもりなのだろうか。あるいは頭頂部の毛が寂しいのか。歳は篠崎と同じである。

「室長、今度はどこだ?」

 経理部長の篠崎を『室長』と呼ぶのは、『特命調査室』の活動時だけである。既に久保田は仕事人モードに入っているのか。調査室メンバーになるきっかけとなった不祥事によって、一度は昇格が四年遅れになったが、その後の仕事ぶりと特命調査時の活躍により、職務資格の挽回に成功し、今はシステム部次長である。自己顕示欲の強いハッカー気質があるので、隠密行動であることを除いて、この仕事は久保田の性格に合っているようだ。
篠崎は依頼内容を説明した。
「わかった。第二次グローバルPSI(P
roduction(生産)、Sales(販売計画)、Inventory(在庫))システムが稼働したばかりで、バックログ(システム修正依頼)がたまってるんだ。うちの部長(ボス)を説得してくれ。システム稼働状況調査の予告は全子会社に出してあるから、航空券が取れ次第、その名目で行ってくる。手配は自分でやるよ」

 ついでに、グループウエアのチャット機能のアクティブ化を依頼した。チャット相手は、篠崎を管理者として相対チャットのみ可能とする仕様で、ログは残さない。社内システム図には乗らない秘密システムとするようにと。当然、システム部長の承認無しだ。特命調査室には必要に応じて社内システムへのハッキングさえも許可されている。

「褒賞ボーナス期待してるからな」
 一言残すと、身長の割に横幅のある久保田は仕事に戻っていった。特命調査室の仕事が終わると、成果に応じて少なからぬ特別ボーナスが支給される。役員会議で即決され、一般賞与原資から隔離されたその支給額が、各人百万円を下ったことはない。

 篠崎は会議室に残り、B5サイズながらi7CPU搭載の高性能ミニノートPCで、月次資料の続きをチェックしていた。工場内はどこでも無線LANで仕事ができる。

 二十時、黒須がやってきた。黒須は、先程ここにいた久保田が同じ特命調査室のメンバーであることを知らない。黒須と久保田に限らず、特命調査室員は、社内の誰が篠崎の協力者として、不正調査に携わっているのか知らされていない。それぞれが単独に、篠崎から依頼を受けて調査をおこなってきた。

「シノさん、なんだい?」

 「シノさん」と親しげに呼んでいるが、年下の篠崎を小ばかにしたような口調である。まもなく五十歳になるこの男は、ラガーらしく分厚い胸をしているが、下腹はそれに負けずに立派である。

「クロさん、シュワイザー社製受注売上・購買在庫システムの構造なんだが・・・・」

 篠崎は、ネシアの購買システムの詳細を尋ねた。資材購買部の黒須は、在外日系企業の購買担当を長く経験しており、各種購買システムに通じている。

「シンガポールの会社で扱ったことがある。メンテナンス用のバックドア(裏口)があったはずだ。まあ、任せろ」

 黒須が第七会議室を出て行ってからも、しばらく篠崎はその場にとどまって、パソコン入力を続けていた。入室前にこの部屋の出入りを録画しているカメラを、調査室長権限で監視システムを操作してネットから切断している。監視画像はなくても、誰かが見ているかもしれない。黒須や久保田との接触は極力他人に見られたくない。篠崎は、ミニノートにネット復帰させた会議室周辺のライブカメラ画像を映し、人影が無いことを確認してから会議室を出た。
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登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

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