第16話 耶蘇銀行経営会議

文字数 2,986文字

 八月十九日。耶蘇銀行の八月度経営会議が、本店九階の大会議室で行われている。

 祝(ほうり)頭取以下、副頭取二名、取締役六名の経営陣の御前で行われる、経営事項に関する報告会である。

 県内を基盤としているため、県内の支店業績報告が冒頭におこなわれる。県内東西南北のブロックごとにまとめた支店業績、対予算差異理由(いいわけ)、今後の対応(挽回策)などは、既に月初に行内サイトで役員・管理部門長・支店長(言い訳係)の閲覧に供している。
 今日はその他のトピックと、特にお小言を頂戴するスケープゴートを数支店列挙し、ブロック長の気を引き締める。それが本会議の趣旨である。後日ブロック長がブロック別支店長会議で、カミナリを落して憂さ晴らしをするのである。

 そんな業績報告が終わり、管理部門が偉そうにマクロからミクロへ数値の分析結果を述べたり(その役回りの部署は、数十年前に『耶蘇総合研究所』というシンクタンクとして外部に出しているのだが、また社内で作っている)、または新規開発商品のお披露目をしたり、あるいは隠しきれないレベルになったヘマを開帳をする。今回は、人事部からの自首(自主)申告である。

 「耶蘇八百、2025年耶蘇OB社長八百社をめざして邁進してまいりましたが、景気回復の県内経済への浸透未だ見え難く、2020年度理事資格未到達の役職定年者92名に対し、受け入れ先企業確定人員は三割以下にとどまっております。人事部といたしましても、耶蘇銀行のセカンドライフプラン完全履行の旗印の下、対象者全員の転籍を実現すべく努力する所存でございますので、各ブロック長おかれましても、傘下支店長への転籍斡旋の方、よろしくお願いいたします」

 支店長上がりの人事部長が、弁明だか発破かけだか解らない営業マンの口調で報告する。

「普通の出向でも駄目なのか?」

 常務、と言っても、この銀行の役員は代表権のある頭取と二名の副頭取の他は、非常勤の社外取締役以外、六名全員常務である。その常務兼県北ブロック長が訊いた。
 普通出向ならば、出向先との給与水準差額を耶蘇側が補填するので、受け入れ易い。転籍の場合は耶蘇との契約関係が切れるので、給料は全額転籍先負担である。

「はっ、当期業績見通しは、対象者全員の転籍を前提に組んであります。もし、転籍先未定者を全員単純出向にした場合、人件費の今年度予算超過が5億円発生します。そのままでは、当期業績の下方修正を発表する必要があります。このため、転籍出向は必達であります。しかしながら、県内経済は転籍のみならず、普通出向者の受け入れさえ厳しい状況におかれています」

「そんなに厳しいか? 全般的に人手不足と聞いているが」首都圏統括部長が問う。

「工業立県のわが県では、製造労働従事者は不足ぎみですが、当行出身者のような、営業職や、事務職は充足率が高く、加えて当行の給与水準とのギャップ著しく、受け入れ側、出向者側いずれも妥協が厳しい状況です」

「受け入れ側にそんなに高い給料を要求しているのか? 県内企業の50歳平均年収は?」

「全産業平均で五百万円です。管理職・役員ならばもっと高くなります。当行は役職定年時に20パーセント賃金カットするので、平均で一千二百万円程度です」

「なるほど、転籍すると、単純に半額になるわけだ。せめて一千万円出せる会社は無いのか?」IR担当常務が問う。
「社長で受け入れなら、一千万以上は出ますが、当行で本部長以上の経歴が必須です。支店長クラスですと、せいぜい取締役か、部長クラスで、八百万円くらいです」

 耶蘇銀がDESスキームで資本参加している企業に対しては、すでに受け入れ可能数以上の人員を転籍させている。資本関係が薄いが、融資している先に対しても、転籍の要請を再々おこなってきている。
 それら企業の従業員年齢情報を収集し、定年に到達すると、再雇用の隙も与えず、耶蘇銀から転籍者が送り込まれる。耶蘇銀支配下の企業では、耶蘇銀OBのみ60歳以上の延長雇用が保証され、プロパー社員は定年をもって退職となる。その後の職は、自ら探さねばならない。

「業績に関わる問題だ。全支店、営業に緊急指示を出して、転籍数を確保しろ。リスケ(返済計画変更)は転籍受け入れを条件にして、不祥事の出た会社には、容赦なく責任者の首を切らせて人を送り込め」
 
 頭取の言葉で、この問題についての議論は終わった。


 経営会議終了後、頭取は予定の来客が新幹線遅延で未着と聞き、人事部長を頭取室に呼んだ。

「めぼしい会社には転籍させてあるのか?」

「すでに受け入れ可能数を大幅に超過しています。これ以上無理に引き取らせますと、プロパー社員に悪影響が出る、既に出ていると抗議されています」

「県内最大手の姫木工業には当たっているのか? 売上1兆円到達の、県内唯一の企業だ。相当余裕をもって迎えてもらえると思うが」

 姫木工業は、精密機械で県内企業から真っ先にグローバル化した。シンメカ製品には心臓部に使う重要部品を独占供給している。一時は係争があったが、今は良い関係を保っている。

「姫木は都銀の稲庭銀行と結びつきが強く、当行は融資はおろか、給与振込用と、地方税納付用の口座しか開いてもらえません。何度か挨拶に行っていますが、まったく見込みがありません」

 県内で言うこと聞かないを企業がまだ残っていることが、人事部長には不本意である。

「経済県人会議の、副理事長が姫木の社長だ。付き合いは普通なんだが、ビジネスとなると意固地でね。ぼくも持て余している。やはり難しいか」

 経済県人会議は中央の経団連に相当する。その理事長の座は、発足以来耶蘇銀行頭取の不動の指定席である。だが、天下の一兆円企業となると、県の経済人トップでも動かすのは難しい。

「シンメカはどうなんだ? 最近の伸長著しい。売上一千億円も視野に入れたと聞くが」

 頭取は頑固な姫木から、まだ転がし易いシンメカに話題を変えた。

「シンメカといえば、シンガポール支店の問題児だった比良坂をインドネシアのシンメカ現地法人の社長にうまいこと押し込めましたね。比良坂のことだから、そろそろまた何かしでかす時期だと思います。シンメカ監査室に探らせましょうか。何か出たら、この機に乗じて一気に人員を送り込めますから」

 比良坂の名を聞いた頭取は、株主総会で特殊株主(総会屋)からの質問に回答するときのように、左手の平で庇をつくるようにして親指と人差し指で額を挟んで答えた。

「大丈夫だ。シンメカの監査役にはよく言ってあるし、二カ月前にシンメカの内部監査をおこなって、問題が出なかったと報告が上がってきている。他の拠点はともかく、比良坂の周辺は大丈夫だ。インドネシア以外を狙ってくれ」

 人事部長は、シンメカの内部監査結果が人事部のコンフィデンシャル事項であり、報告していない頭取が承知していたことに一瞬の違和感を覚えた。が、直後に与えられた指示事項によって、それはたちどころに霧消した。

 頭取の脳裏に、比良坂の後始末で心労を負わされた苦い日々が蘇ったが、遅れていた来客の到来を告げる秘書の内線に、その記憶は心の奥底に放り込まれた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

地方都市で急成長中の精密機器メーカーの経理部長。

実は特命監査室長

技術憧憬癖があり、無線マニア、飛行機マニア。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み