三百六十話 不治の病

文字数 2,374文字

朝食後、都は紫苑とかんなに話があるため、全員が食べ終わるのを待ちながらお茶を飲んでいた。


「紫苑さん、かんなさん、もうすぐ八月でしょう? 世間一般は夏休みで、ホテルとしても忙しい時期だし、私の誕生月でもあるから、そのお祝いで来てくださるお客様も多いの。だから一年で一番忙しい月になるわ。二人共、お仕事頑張ってくださいね」

「はい!」

「はい」


かんなはその前に『仕込み』に入る予定だ。このところ『仕込み』が続いて直治は大変かというと、そうでもない。寧ろストレス発散できて楽しそうにしている。俺も肉料理が続いて、文字通り美味しい思いをしている。


「都様、九月の試験に合格すれば、免許が取得できます」

「あら、もうそんなに月日が経ったのね。淳蔵、紫苑さんの運転の練習に付き合ってあげてね」

「はい」

「あの、都様。私も免許取りたいです」


かんながそう言った。紫苑の免許取得の費用を都が出しているのも、仕事と子育てのある紫苑に無理をさせないために休日を増やしているのも、周知の事実だ。自分も同じことをしてもらえると思ったのだろう。都はぱちぱちと瞬きををすると、少し呆れた顔をする。


「・・・かんなさん、なにを言ってるの?」

「え、なんですか?」

「貴方、統合失調症なんでしょう?」

「はい。そうです」

「幻覚や幻聴の症状があるんでしょう? 命令もされるのよね?」

「はい」

「あのね、運転免許の取得は道路交通法施行令で・・・。いえ、あのね、法律で、統合失調症患者は運転免許を取れないって決まってるの、知らない?」

「えっ、そうなんですか?」

「そうよ。ねえ、かんなさん。貴方もう少し、自分の病気について勉強した方が良いわ」

「あ・・・。はい、すみません・・・」


直治がにやけを噛み殺していた。かんなは一条家に来る前から麓の町の精神病院に通っており、今はタクシーを呼んで送迎させている。病院でどういう演技をしているのかは知らないがきちんと薬を処方され、障害者手帳も所持しているのだ。ただ、貰った薬は定期的な血液検査前だけ飲み、他は全てトイレに流し、手帳も公共施設の割引券のような使い方をしているようだ。白い親切な悪魔からの情報である。


「かんなさん、貴方が何故、キッチンの立ち入りを禁じられ、接客もしないように言われているのか、わかる?」

「い、いいえ」

「貴方、美代のハーブティーに良くないものを混入させたでしょ」


かんなは以前、俺のハーブティーに自分の唾液を混入させたものを飲ませようとした。


「とぼけても無駄よ」


都は強い口調で言った。かんなは動揺して目を泳がせている。


「病気のせいでそうしたのか、自分の意思でそうしたのか、どっちだっていい。そんな人間をキッチンに入れたくないの。だから料理を運ぶのすら手伝わせない。わかるわよね?」

「あの、」

「わかるかどうか聞いてるんだけど、返事じゃなくて言い訳するの?」

「い、いいえ・・・すみません・・・」

「書斎で漫画を借りて読む時間があるなら自分の病気についてもっと勉強しなさい。精神病についての本もちゃんと書斎にあるんだから。それができないならせめて通っている病院のパンフレットでも読みなさいよ。本よりは優しく書いてるでしょ?」

「は、はい・・・」

「お客様の前に出ないでって言ってるのは貴方が身だしなみを気にしないからよ。面接の際に直治から『入浴は毎日していますか』と質問されたはずよね? 貴方それに『はい』と答えたはずよね。精神病を患っている人はお風呂が苦手な人も多いからそういう質問をするように私が直治に命じているの。貴方それに『はい』と答えた。毎日お風呂に入っているようには見えないけどどうなの?」

「すみません・・・」

「他にも直治に色々質問されたはずよ。貴方その返答通りの生活を送ってるの? うちに来たばかりの頃に比べて随分だらしなくなってるけど、大体、」

「都」


俺は都の名を呼び、首を振って制した。これは『後遺症』が出かけている。このままだと爆発しかねない。淳蔵は顔を青くしかけているし、自分の気持ちを代弁してくれて胸がすっとしていたはずの直治も焦っている。


「・・・仕事があるから失礼するわ」


都は静かに食堂を去っていった。


「・・・ママ、みやこちゃん、おこってたの?」

「あ、ひろ君、あのね、都様は、」

「ひろ、都は『怒ってた』んじゃなくて、『叱ってた』んだよ」


俺は紫苑の言葉を遮った。


「しかってた?」

「うん。怒ってたんじゃないよ。悪いことをした人は『叱る』んだよ」

「どうして?」

「悪いことはしちゃいけないだろう?」

「うん」

「悪いことした子に、『もう悪いことしちゃいけないよ』って言うことが、『叱る』ってことだよ。都は怒ってないから、怖がらなくって大丈夫だからね」

「うーん、わかったあ」


本当は滅茶苦茶怒っているのだが、ひろに言ったって仕方がないことだ。


「ひろ、ママと部屋に戻って食後の歯磨きしておいで」

「うん! ママ、はみがき!」

「それじゃひろ君、お部屋に戻ろうね。美代様、ありがとうございます」


紫苑とひろが食堂を出ていった。


「・・・そういうわけで、かんな君。君のしたことはみーんな知ってるから」

「あの、あの、」

「謝らなくていいよ。許さないしね」


俺はにっこり微笑んだ。


「君が嫌ってた幸恵君みたいにクビになりたくなかったら、真面目に働くことだよ、かんな君」

「・・・はい」


これで、『幸恵が居なくなったから』という理由でかんなが調子に乗ることはないだろう。

そう思っていた。

いつもの時間、談話室に行くと、かんなが奥のソファーに座っていた。そして俺を見ると飛び出るように談話室から去っていった。


「おー、美代。ありゃ駄目だな」

「もしかして・・・」

「主人格の京子とやらに絡まれたわ」

「マジかあー・・・」

「美代と直治が駄目だから、俺に絡むんだろうな。馬鹿は不治の病だよ」

「名言だ」
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