百二十八話 復讐
文字数 2,721文字
珍しく、直治が俺の部屋に来た。
「どうした?」
「美代のことだ」
「ああ、不安定だよなァ」
「夜、どんな感じだ?」
「抱いてやらないと駄目みたいだな。あと話をせがむ。なァんか遠慮してるみたいだから、理由を聞いたら『うっかり髪に触りそうで怖い』っつうから、『寝る時は触っていい』って言ったら、そーっと触ってくるようになったよ。お前も触るか?」
「えっ」
「ほれ」
俺は髪の束を持ち上げて差し出した。直治は恐る恐る指に絡める。俺が手を放すと、そのまま指に絡まず、するすると流れていった。
「嘘だろ・・・。都より綺麗だ・・・」
「自負しております」
「・・・脱線した。戻す」
「おう」
「ずーっとおかしいと思ってたんだ。ジャスミンが都に宛がうのは罪人ばかり。お前は元犯罪者。俺は二人殺してる」
「お前のは不可抗力だろ」
「いいや、殺してる。美代はどうだ。ただの虐待児じゃないか?」
「『息子』に選別するのは特別なんじゃねえの? 美代は俺達の中じゃ一番、都にべたべただし、変に罪人に拘って選んでるわけじゃないんじゃねえか?」
「ジャスミンには、なにが、どこまで、わかってるんだ?」
「知らねえよ。ジャスミンの言葉がわかるのは都だけだし、その都も断片的にしか教えてもらえないらしいしな」
沈黙が流れる。
「・・・美代のヤツ、どうして母親を殺さなかったんだ?」
「都と同じ理由。『少しでも長く苦しんでほしいから』だよ。都にはそう打ち明けたらしい。都に甘えに行かないのは、都のところに行くと感情が昂って泣くんだと。でも、誰かには甘えたくて仕方がないから、俺とお前のところに来るってわけ」
「・・・『脱皮』、だな」
「『脱皮』?」
「都みたいに、乗り越えたら精神的に成長する。ただ、今は、白くて無垢で、柔くて危ない。そっと触れてやるしかない。俺はなんとかして美代と母親をもう一度引き合わせて、なにかしらの形で復讐を遂げて乗り越えさせようと思ったんだが、余計なお世話だったな」
「『会うのは一回だけ』って約束を反故にしたら都が怒るぞ」
「承知の上だ」
「ハハッ、そんなに美代が可愛いか?」
「そうだよ。お前は?」
「可愛くなきゃ抱いて寝たりしねえよ。お前もだよ」
直治はちょっと驚いたあと、照れ臭そうに視線を逸らした。
こんこん。
「どうぞ」
『失礼しまァす!』
入ってきたのは千代だった。
「おおッ、直治様! こちらにいらっしゃいましたか」
「どうした?」
千代はチェシャ猫のように笑った。こんな風に笑う時は、千代の中の狂気の血が疼く時だ。
「おッ客様でェす! お名前は、天野千尋様!」
「千尋? どこかで・・・」
「美代の母親だ!」
直治が慌てて立ち上がる。
「美代様を呼ぶように言われたんですけどォ、『会うのは一回だけ』というお約束でしたよね? ですから、まず都様に許可をとりにいきましてェ、先に淳蔵様と直治様をお呼びするように言われたので、こうしてお部屋にお伺いに来たわけですぅ」
「母親は今どこに?」
「玄関ホールで都様が対応しております!」
「行くぞ」
「おう」
「では私は美代様をお呼びしてきますぅ!」
俺達は玄関へ向かった。そして、二人共吃驚して顔を見合わせた。ボサボサの金髪、太い眉、けばけばしい目元の化粧、オレンジ色の唇、垂れた胸を強調する服を着た老婆が居た。めかしこんできたのは一目でわかった。異様すぎて、恐ろしい。
「ああっ、直治さん! 直治さんですね!」
老婆は直治を見るとにっこりと笑った。
「千尋です! 美代の母です!」
「あ、ああ、どうも」
「そちらの方は?」
そう言われた俺は『淳蔵です』と答えかけて、それじゃペットの鴉の名前と同じだと気付いて、
「美代の兄です」
と答えた。
「まあ! まあ! 私、美代の母です!」
ずっと千尋を見ていた都が振り返った。客用の笑顔をしている。
「・・・どうも」
俺も客用の顔で笑った。
「お母様は、どうしてここに?」
直治が尋ねる。
「美代が、ここに居るんじゃないかと思いましてね! 実は、美代が『家出』した時、私と母で追いかけたんですけど、美代は一条家が所有している山に入り込んでしまったんですよ。美代はどんどん山を登っていって、『迷いの森』と呼ばれている深いところにまで入ってしまいました。あの頃は立派な外壁が無かったから、簡単に入れてしまったんです。『招かれざる客は二度と生きては帰れない』と噂されていたので、美代を見つけられなかった時、私と母は、もう、悲しんで悲しんで・・・」
確かに、都の所有物である山、そして森は、最後の息子である直治が来るまでの間は開け放たれていた。聳え立つ様な外壁と重厚な門扉を造ったのは息子が揃ってからだ。
「美代が生きていることを知った私は、町で美代のことを聞き込んだのですが、誰もなにも答えてくれませんでした。冷たいですよねぇ。でもね、私、はっ、と思ったんです。美代はもしかして、一条家に居るんじゃないかと・・・」
「『勘』でそう思ったんですって。で、タクシーでここまで来たと」
都が千尋には見えないよう、にやりと笑う。
「美代は多分、なにか勘違いをしているんだと思います。誤解しているんです。話し合えばきっとわかります、だから、」
都が指をぱちんと鳴らした。広い玄関と、繋がっている廊下の電源が落ちる。
「ひっ!?」
「あら、停電?」
「ま、まあ。吃驚しました。それで、美代は・・・」
千尋はびくんと身を竦ませた。視線は俺達の後ろへ。
後ろには、美代が立っていた。
ぎらぎら輝く包丁を持って。
美代は一歩、踏み出す。俺達は思わず身体を躱した。
「こんにちは、お母さん。美代のおうちへようこそ」
それは、どこかで聞いた台詞だった。
「美代ね? 新しいお母さんと、優しい兄弟に囲まれて幸せなんだ」
都が、父親に復讐した時の台詞。
「ずうっとこうするのが夢だったんだ・・・。だからお母さん、死んでくださいな」
美代は微笑んだ。
そして素早く駆け出して千尋を押し倒して馬乗りになり、胸に向かって包丁を何度も振り下ろす。俺も直治も呆然とそれを見つめていた。美代は返り血の噴水を浴びて真っ赤になると、胃の内容物を苦しそうに千尋の上に吐き出した。そのまま咳き込み、静かに泣き始める。
「千代さん、掃除道具持ってきてくれる? 私が片付けるから」
「あのォ、私、美代様の吐瀉物でも構いなく片付けますが・・・」
「ううん。私が片付けるから、外のタクシー、追い返してちょうだい」
都は財布から万札を三枚取り出し、千代に渡す。
「『お婆さんは泊っていくことになったから』とかなんとか言ってね」
「かしこまりましたァ!」
「淳蔵、直治、部屋に戻りなさい」
「は、はい」
「はい・・・」
美代は血だらけの手で顔を覆って泣いている。俺と直治は静かにその場をあとにした。
「どうした?」
「美代のことだ」
「ああ、不安定だよなァ」
「夜、どんな感じだ?」
「抱いてやらないと駄目みたいだな。あと話をせがむ。なァんか遠慮してるみたいだから、理由を聞いたら『うっかり髪に触りそうで怖い』っつうから、『寝る時は触っていい』って言ったら、そーっと触ってくるようになったよ。お前も触るか?」
「えっ」
「ほれ」
俺は髪の束を持ち上げて差し出した。直治は恐る恐る指に絡める。俺が手を放すと、そのまま指に絡まず、するすると流れていった。
「嘘だろ・・・。都より綺麗だ・・・」
「自負しております」
「・・・脱線した。戻す」
「おう」
「ずーっとおかしいと思ってたんだ。ジャスミンが都に宛がうのは罪人ばかり。お前は元犯罪者。俺は二人殺してる」
「お前のは不可抗力だろ」
「いいや、殺してる。美代はどうだ。ただの虐待児じゃないか?」
「『息子』に選別するのは特別なんじゃねえの? 美代は俺達の中じゃ一番、都にべたべただし、変に罪人に拘って選んでるわけじゃないんじゃねえか?」
「ジャスミンには、なにが、どこまで、わかってるんだ?」
「知らねえよ。ジャスミンの言葉がわかるのは都だけだし、その都も断片的にしか教えてもらえないらしいしな」
沈黙が流れる。
「・・・美代のヤツ、どうして母親を殺さなかったんだ?」
「都と同じ理由。『少しでも長く苦しんでほしいから』だよ。都にはそう打ち明けたらしい。都に甘えに行かないのは、都のところに行くと感情が昂って泣くんだと。でも、誰かには甘えたくて仕方がないから、俺とお前のところに来るってわけ」
「・・・『脱皮』、だな」
「『脱皮』?」
「都みたいに、乗り越えたら精神的に成長する。ただ、今は、白くて無垢で、柔くて危ない。そっと触れてやるしかない。俺はなんとかして美代と母親をもう一度引き合わせて、なにかしらの形で復讐を遂げて乗り越えさせようと思ったんだが、余計なお世話だったな」
「『会うのは一回だけ』って約束を反故にしたら都が怒るぞ」
「承知の上だ」
「ハハッ、そんなに美代が可愛いか?」
「そうだよ。お前は?」
「可愛くなきゃ抱いて寝たりしねえよ。お前もだよ」
直治はちょっと驚いたあと、照れ臭そうに視線を逸らした。
こんこん。
「どうぞ」
『失礼しまァす!』
入ってきたのは千代だった。
「おおッ、直治様! こちらにいらっしゃいましたか」
「どうした?」
千代はチェシャ猫のように笑った。こんな風に笑う時は、千代の中の狂気の血が疼く時だ。
「おッ客様でェす! お名前は、天野千尋様!」
「千尋? どこかで・・・」
「美代の母親だ!」
直治が慌てて立ち上がる。
「美代様を呼ぶように言われたんですけどォ、『会うのは一回だけ』というお約束でしたよね? ですから、まず都様に許可をとりにいきましてェ、先に淳蔵様と直治様をお呼びするように言われたので、こうしてお部屋にお伺いに来たわけですぅ」
「母親は今どこに?」
「玄関ホールで都様が対応しております!」
「行くぞ」
「おう」
「では私は美代様をお呼びしてきますぅ!」
俺達は玄関へ向かった。そして、二人共吃驚して顔を見合わせた。ボサボサの金髪、太い眉、けばけばしい目元の化粧、オレンジ色の唇、垂れた胸を強調する服を着た老婆が居た。めかしこんできたのは一目でわかった。異様すぎて、恐ろしい。
「ああっ、直治さん! 直治さんですね!」
老婆は直治を見るとにっこりと笑った。
「千尋です! 美代の母です!」
「あ、ああ、どうも」
「そちらの方は?」
そう言われた俺は『淳蔵です』と答えかけて、それじゃペットの鴉の名前と同じだと気付いて、
「美代の兄です」
と答えた。
「まあ! まあ! 私、美代の母です!」
ずっと千尋を見ていた都が振り返った。客用の笑顔をしている。
「・・・どうも」
俺も客用の顔で笑った。
「お母様は、どうしてここに?」
直治が尋ねる。
「美代が、ここに居るんじゃないかと思いましてね! 実は、美代が『家出』した時、私と母で追いかけたんですけど、美代は一条家が所有している山に入り込んでしまったんですよ。美代はどんどん山を登っていって、『迷いの森』と呼ばれている深いところにまで入ってしまいました。あの頃は立派な外壁が無かったから、簡単に入れてしまったんです。『招かれざる客は二度と生きては帰れない』と噂されていたので、美代を見つけられなかった時、私と母は、もう、悲しんで悲しんで・・・」
確かに、都の所有物である山、そして森は、最後の息子である直治が来るまでの間は開け放たれていた。聳え立つ様な外壁と重厚な門扉を造ったのは息子が揃ってからだ。
「美代が生きていることを知った私は、町で美代のことを聞き込んだのですが、誰もなにも答えてくれませんでした。冷たいですよねぇ。でもね、私、はっ、と思ったんです。美代はもしかして、一条家に居るんじゃないかと・・・」
「『勘』でそう思ったんですって。で、タクシーでここまで来たと」
都が千尋には見えないよう、にやりと笑う。
「美代は多分、なにか勘違いをしているんだと思います。誤解しているんです。話し合えばきっとわかります、だから、」
都が指をぱちんと鳴らした。広い玄関と、繋がっている廊下の電源が落ちる。
「ひっ!?」
「あら、停電?」
「ま、まあ。吃驚しました。それで、美代は・・・」
千尋はびくんと身を竦ませた。視線は俺達の後ろへ。
後ろには、美代が立っていた。
ぎらぎら輝く包丁を持って。
美代は一歩、踏み出す。俺達は思わず身体を躱した。
「こんにちは、お母さん。美代のおうちへようこそ」
それは、どこかで聞いた台詞だった。
「美代ね? 新しいお母さんと、優しい兄弟に囲まれて幸せなんだ」
都が、父親に復讐した時の台詞。
「ずうっとこうするのが夢だったんだ・・・。だからお母さん、死んでくださいな」
美代は微笑んだ。
そして素早く駆け出して千尋を押し倒して馬乗りになり、胸に向かって包丁を何度も振り下ろす。俺も直治も呆然とそれを見つめていた。美代は返り血の噴水を浴びて真っ赤になると、胃の内容物を苦しそうに千尋の上に吐き出した。そのまま咳き込み、静かに泣き始める。
「千代さん、掃除道具持ってきてくれる? 私が片付けるから」
「あのォ、私、美代様の吐瀉物でも構いなく片付けますが・・・」
「ううん。私が片付けるから、外のタクシー、追い返してちょうだい」
都は財布から万札を三枚取り出し、千代に渡す。
「『お婆さんは泊っていくことになったから』とかなんとか言ってね」
「かしこまりましたァ!」
「淳蔵、直治、部屋に戻りなさい」
「は、はい」
「はい・・・」
美代は血だらけの手で顔を覆って泣いている。俺と直治は静かにその場をあとにした。