公理主義の限界から考える量的研究の限界

文字数 2,863文字

質的研究方法の否定

 統計的手法を用いる心理学者のなかには、「量的アプローチこそが本物の客観的で科学的なアプローチ₁」として、質的研究を完全に否定する人がいる。

量的研究の限界

 量的研究が客観的で科学的研究方法だと誇るのは、量的研究が仮説検定という統計的手法を用いた実証を行うからだと思われるが、こうした実証主義の方法は限界がなく、人間の精神世界をことごとく明らかにするといえるのだろうか。
 統計に使われる数学は演繹的推論をおこなうものであり、公理主義の立場で数学を利用するかぎり、客観的に証明できない知覚対象が存在する。この知覚対象は、仮説検証の過程に、演繹と帰納が混在する量的研究でも論証することは不可能であるばかりでなく、反証可能性もないものである。
 数学が人間の精神に存在するのか、あるいは独立して存在するのかはともかく、その世界は人間が知覚する世界である。心理学よりも客観的でもっとも実証的であると思われる数学が、人間が知覚する数学の世界をとらえきれないにもかかわらず、科学性に劣るとされる、人間を対象とする量的研究が、人間の知覚世界に関して真であることのすべてに対し、客観的な論証を与えられると考えるのは過信であり、論証や反証が与えられないものすべてを拒否することはできないのではないだろうか。以下、ゲーデルや数学基礎論の知見を基に、この考えをより詳しく述べる。

公理主義の限界

 広辞苑で公理的方法、公理主義について調べると、次のように定義されている。

【公理的方法】
(axiomatic method)ある科学領域の基盤となる公理系を見出し、それと特定の推理規則とに基づいて、その領域のすべての命題を演繹的に導出して理論を組みあげる方法。ユークリッド幾何学がその典型。公理論。
【公理主義】
①数学を仮説としての公理系の上に純論理的に構成しようとする主張。ヒルベルトにはじまる。↔直観主義
➁公理的方法を唯一の科学的方法と見なし、すべての科学はこの方法によって建設されるべきであるという主張。

 現在では、ゲーデルが示した不完全性定理によってこの科学的方法に限界があることが知られているが、たとえばゲーデルは第二不完全性定理について次のようにのべている。

「数学の不完全性をとくに証拠立てているのは、この定理です。なぜなら、この定理は、任意の公理と推論規則によって構成された体系に対して、次のように主張することが不可能であることを証明しているからです。『私は、この体系の公理と推論規則を、数学的確信を持って真であると認め、さらに、私は、その体系が数学のすべてを含むと信じる。』もし誰かがこのように述べたら、彼は、自己矛盾することになります。というのは、彼が体系の公理を真であると認めるならば、彼は、それと同様の確かさで、体系を無矛盾だと認めることになるからです。つまり、彼は、体系そのものからは証明不可能な、数学的直観に依存していることになるのです₂」

 ポパーは科学と非科学を区別する基準として反証可能性を提案したが、数学には決定不可能な命題が存在する。公理主義との関連でいえば、ゲーデルの第一不完全性定理がこれを示す定理であるが、たとえば、連続体仮説は集合論の公理系から独立しており、証明も反証もできないと考えられている。
 また、ヒルベルトの第10問題は、有限的に任意のディオファントス方程式の解が存在するかどうかを判定する方法がないことが示されて解決されたが、これは、少なくとも有限的な方法では、任意のディオファントス方程式の自明でない整数解の存在に関して、数学的に曖昧であることを示すものであろう。

公理主義の限界から考える実証の限界

 以上、公理主義の限界、また有限的な方法では決定不能な、曖昧な命題があることを述べたが、こうした方法よりも科学的とは考えられていない量的研究方法によって構築される知識体系が、人間の知覚世界をとらえきるとは考えられない。この方法で、人間の知覚対象である決定不能命題に論証や反証を与えることも当然不可能である。統計を専門とする林は次のように述べている₃。

社会科学の方法も自然科学の方法も同一であるという見方もあるが、私はそうは思わない。社会 ・人文科学の領域の現象であっても自然科学的方法で解決できる―自然科学的方法で処理できるようにフォーミュレイトして取扱うことのできる―ものもかなり多いのであるが、これですべてのものを解決できるとは限らない。これだけしか取扱わないとすれば、大切な大きな部分が白紙になってしまう。自然科学的方法で取扱える限りのものはそれで行ない、のこりは、それぞれ領域に応じた別の合理的な処理の方法があるものと考えられる。

私の関係深い統計学においても、その取扱う対象の性格に応じて異った論理をとることが合理的 と言える場合があるのであ って、一 つの推論の方法で押しまくることが妥当であるとは私は思 っていない。

 質的研究方法を研究方法として認めず、実証を重んじ、量的研究方法で扱えないものは扱わないというのはひとつの立場だが、実証には限界があることを理解している必要があるだろう。

引用
₁ 池田光穂. 「質的研究と量的研究のちがい」
₂ 高橋昌一郎『ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論』講談社. pp.161-162
₃ 林知己夫ほか. 自然科学 の方法 と社会科学 の方法

参考文献
池田光穂. 質的研究と量的研究のちがい
https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/150321Qapr.html
葛城元, 黒田恭史. 2016. 「科学的思考方法の習得を目指したオリガミクスによる数学教材の開発」. 数学教育学会誌
https://www.jstage.jst.go.jp/article/mesj/57/3-4/57_125/_pdf/-char/ja
島谷健一郎. 数学とも実データとも違う統計の入り口を探る: 科学哲学・帰納推論・集団的思考
https://estat.sci.kagoshima-u.ac.jp/SESJSS/PDF/JCOTS20_shimatani.pdf
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学―不完全性定理と神の存在論』講談社
林知己夫ほか. 自然科学 の方法 と社会科学 の方法
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kisoron1954/11/4/11_4_163/_pdf/-char/ja

Kurt Gödel. Some Basic Theorems on the Foundations of Mathematics and Their Implications.
https://partiallyexaminedlife.com/wp-content/uploads/Godel-Basic-Theorems-and-Their-Implications-1.pdf
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