オセローの葛藤について

文字数 3,155文字

 論文の書き方に関する本を読んだのだが、この本には、付録として論文の実例が掲載されていた。この論文は学生が書いたもので、シェイクスピアの戯曲『オセロー』を原作と読み比べて研究したものであった。
 この論文の中で、西村は2つの問いを設定している¹。

(1)シェイクスピアはどの程度まで原作を利用しているのか。筋を借りただけなのか、それともテーマや作品の意図までも原作に拠っているのか。
(2)もし本質的に異なるとしたら、それぞれの作品の本質とは何なのか。

そして、第2章の終わりに、シェイクスピアが行った変革は次のようなものであろうという考えが示されている²。

(1)人物像のシンボル化。人物像がよりはっきりとした象徴性を帯びている。
(2)内面化、事件の外面だけでなく、人間心理についての描写がはるかに多く、また深い。

 ここでは、この主張の理由の1つとして述べられているオセローに関する記述について検討し、オセローを通して、普遍的にみられる善悪の葛藤を描いたというより、人間に現れ得る心理を描いた、ということを主張したい。

 まず西村がオセローをどのように理解しているかを確認する。彼女はオセローを徳の高い人物とみている。イアーゴ―に(だま)され、デズデモーナを(あや)めたオセローは、自分の愚かしさに気づき、自らの命を絶つことで善と一体化した、それによって精神の気高さが増しているという見解を述べている。

オセローは、主人公たるにふさわしい徳のある人物として描かれている。彼は軍人としても優秀であり、オセロー自身の言葉を信用するなら王族の血筋で、何よりも人柄の素晴しさ、高潔さが強調されている³。

オセローはデズデモーナが潔白であったことを知り、自分の愚かしさに気づくことで、かえって精神の気高さを増すのである。イアーゴーの悪を知ったオセローは、自分の内なる悪を正すためみずからの手でみずからの命を絶ち、善のシンボルのデズデモーナに口づけすることで、ふたたび善と一体化する。善が悪からオセローを奪いかえしたのだ。みずからを罰することによってオセローは、チンツィオの描いたMoorとは異なり、悲劇の主人公となりえたのである⁴。

 論文ではさらに、オセローの心理的葛藤は普遍的なものであり、自己の中の存在する善悪の葛藤に悩む人間のシンボルがオセローだと述べられている。

オセローの内面の葛藤は、あくまでシンボル化されたものである。彼の言葉や行動は、個人的な感情のレベルを超えた普遍的感情を表している。自己の中の善と悪の葛藤に悩む時、人間はどのような感情を抱くのかを、オセローという人物を通してシェイクスピアは表現した⁵。

彼は善と悪とをあわせ持ち、両者の間を揺れ動く人間のシンボルと言えよう⁶。

 以上によって、西村が『オセロー』を徳の高い人物が、悪の象徴であるイアーゴ―の讒言(ざんげん)によって、善と悪の普遍的な内的葛藤を経験し、無実の妻と自分を殺害してしまう悲劇と理解していることが確認できた。しかし、T.S.エリオット や F.R.リーヴィスは、高潔なムーア人というロマンティックなイメージを破壊したという朱雀(すじゃく)の指摘からもわかるとおり、別の見方もできる⁷ 。
 たとえば、オセローは浮気を信じる理由になったハンカチについて、次のように語っている⁸。

She was a charmer, and could almost read
The thoughts of people: she told her, while she kept it,
'Twould make her amiable and subdue my father
Entirely to her love, but if she lost it
Or made gift of it, my father's eye
Should hold her loathed and his spirits should hunt
After new fancies:

彼女(あるエジプト人女性)は魔法使いで、
人の心を読むことができた。
彼女が言うには、これを持っているかぎり、
母は感じがよく思われ、
父を全面的に母の愛に引き止めておくことができるが、
しかし、もし失くしたら、
あるいは人にあげてしまったら、
父は母をうとく思い、
浮気相手を求めるだろう。

これに関しては、オセローがとっさにつくりあげた嘘という解釈とオセローの母親は実際にハンカチをもらったという解釈があるが⁹、オセローがこのハンカチの魔力を信じているとするならば、理性的な人ということはできないだろう。科学的な調査をせず、事実を誤認し、不確かな理由で不倫を信じた行為は、オセローの病的嫉妬のあらわれといえるかもしれない。
 実際、『オセロ』という戯曲からオセロー症候群という精神医学の用語が生まれている。時事用語事典に書かれている精神科医の説明によれば、これは病的嫉妬と同じ概念であり、証拠もないのにパートナーの不義を確信してしまうことであるが、そうであれば、オセローを高潔で、精神的に気高い人物とは言いにくいだろう。
 オセローの内的葛藤については、たとえば以下の箇所で示されている¹⁰。

By the world.
I think my wife be honest and think she is not;
I think that thou art just and think thou are not.

実に私は
妻を誠実だと思い、誠実でないと思う。
あなたを正しいと思い、正しくないと思う。

西村はこうした葛藤を人間に普遍的な善悪の葛藤だと述べているが、時事用語事典には、オセロー症候群の名称が、主人公が病的妄想に基づいて妻を殺害したことに由来すると説明されており、そうであれば、普遍的に生じる心的状態というよりは、人間の精神に生じ得る心的状態と捉えるほうが自然であるように思われる。

 以上、西村の論文に書かれているオセローの捉え方を検討し、別の捉え方を示した。高潔すぎるゆえ、不義を(ゆる)せず、殺人まで犯してしまうというのは寛容の精神に欠けていると理解することもできる。オセローの葛藤や行動が人間に生じ得るという普遍性はあるかもしれないが、誰しもが経験するとはいえず、そうした経験をオセローを通して描いたとはいえないだろう。



注釈
₁ 西村泉. 「『オセロー』とその原作の比較研究 」. 安西徹雄, 鈴木荘夫, 渡部昇一. 1984. 『論文・レポートの書き方』. 大修館書店. p. 224
₂ ibid. p.234
₃ ibid. p.240
₄ ibid. p.242
₅ ibid. p.248
₆ ibid. p.241
⁷ 朱雀成子. 1972. 文學研究 69. 九州大学文学部 p.146
₈ Shakespeare, William. ed. E.A.J.Honingmann. 1997. Othello. Thomas Nelson and Sons Ltd. III. iv. pp.58-69
₉ 下田梨紗. 2012. 『オセロー』における苺模様の刺繍のハンカチ(1). 北星学園大学大学院論集第3号(通巻第15号). 北星学園大学大学院. p.283
₁₀ Shakespeare, William. ed. S.Ichikawa and T.Mine. Kenkyusha. 1964. Othello III. iii. pp.383-385

参考文献
西村泉. 「『オセロー』とその原作の比較研究 」. 安西徹雄, 鈴木荘夫, 渡部昇一. 1984. 『論文・レポートの書き方』. 大修館書店. pp. 222-255
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