文学とは何なのか

文字数 3,228文字

文学の否定と問題意識

 文学や芸術は、たびたびその存在価値を否定されてきた。プラトンは詩人を追放せよといい、カルヴァンやパスカルも芸術を否定した。芥川龍之介も、次のような文章をのこしている。

そりや成程(なるほど)今純文学科でやつてゐる講義にや、美学や史学と縁のないものだつて、沢山ある。が、その沢山あるものは、義理にも学問だとは思はれないぢやないか。あれはまあよく云へば先生の感想を述べたもので、悪く云へば出たらめだからね。だから僕は大学の純文学科なんぞは、廃止しちまつた方がほんたうだと思ふんだ₁。

 たしかに、文学作品を読まない人生を選択することは可能であり、そういう人生を選ぶ人にとっては文学の存在価値はないといっていいかもしれない。しかし、世の中には、地域を越えて、また時代を超えて読み継がれている文学作品が存在する。そうした作品に対する読書の需要がつねに存在しつづけてきたということは、人類が文学作品に何らかの存在価値を見いだしているということだろう。
 ここでは、文学作品の中には、人間が生きる現実世界との関連のうちに、普遍(人間性の本質)が探究され、表現されたものがあり、個人また集団に、さらには時代を超えて影響を及ぼし得るものがあることを述べ、それが文学作品の存在価値の一つであることを主張する。以下、このことを、問題の探究、普遍の探究、現実世界へのインパクトの項目に区分しながら述べたいと思う。

問題の探究

 文学作品といっても、さまざまなものがあるが、古典的な文学作品の作者は、桑原が述べているように₂、社会や現実世界に対する問題を文学的に探究している。デューイは、芸術作品の中で、社会に対する最初の不満が起こり、未来に対する最初の暗示がえられたと述べたが、この発言も、文学作品がリアルな世界と関係する問題を探求するという理解に沿った発言であろう。また、ヴォネガットは講演の中で次のように述べている₃。

The most positive notion I could come up with was what I call the canary-in-the-coal-mine theory of the arts. This theory argues that artists are useful to society because they are so sensitive. They are supersensitive. They keel over like canaries in coal mines filled with poison gas, long before more robust types realize that any danger is there.
(思いつくことができた最も前向きは考えは、私が炭鉱のカナリア芸術理論と呼ぶものでした。この理論では、芸術家が社会にとって有用なのは、彼らが非常に敏感だからと考えます。芸術家は超敏感で、もっと抵抗力あるものが危険の存在に気付くよりもずっとはやく、有毒ガスが充満した炭鉱のカナリアのように気を失います。)

これは、他の人に先駆けて社会や人類に対する危険を察知し、それを言語化して伝える役割が芸術家にはある、という考えだと思われるが、この考えも、芸術家や文学者が現実世界の中で問題を探求する役割を果たしているという認識を示すものである。

文学作品と普遍の探究

 さらに、文学的探究の中では、普遍、人間精神や人間性などに関する普遍的なものが探究される。アリストテレスは、小説は普遍的なこと、必ず言ったり、行ったりするであろうことを扱うと述べ、ホーソーンは人間の心の真実を現わすことができると述べたが、文学的な探究では、特定の時代や地域、特定の人物に言及しながらも、普遍的なものが探究されるのである。パスカルは芸術を否定したが、次のような文章をのこしている。

自然さをもった一つの話が、一つの情熱または一つの行動を描き出すとき、ひとは自分自身のうちに今きいたことの真実性―そんなものが自分のうちにあろうとは知らずにいた真実性―を見出す、そこでそうしたことを自分に(さと)らせてくれた人を愛するようになる・・₄

このことは、人間に関する真実の一面が描かれている文学作品を読む人の心にも生じ()るものであろう。

文学作品の現実世界へのインパクト

 普遍的な事柄を扱う文学作品は、地域や時代の制約をこえて影響を及ぼすことがある。たとえば、ディキンソンはハーディの作品について、「ハーデイの作品においては偶然か何か目に見えぬ力の命令によってひきおこされるかの如きことが多い。目に見えぬ力というのは、いわゆる宇宙に内在する意志なのである」と述べているが、彼の作品が読まれ続けているということは、その世界観が、現実に生きる人間の世界観に影響を与え続けていると考えることができるだろう。
 ウォルター・ペーターは、芸術作品が「人々の幸福の増進、被圧迫者の解放、人間相互の共感の拡大、または、われわれのこの世界における生活において、われわれを強くしてくれるようなものとして、われわれ自身およびわれわれの世界に対する関係についての、新旧の真理の提示」に貢献しうると述べた。『アンクル・トムの小屋』が奴隷制度廃止運動に与えた影響、『レ・ミゼラブル』が免囚保護事業(めんしゅうほごじぎょう)に与えた影響を考えれば、文学作品に描かれた社会道徳や人権に関する普遍的な考えが現実世界に影響を与えうることを納得できるだろう。
 ただし、ディキンソンは「とり扱う問題そのものが消滅した時は、書物もまた消滅してしまう場合が多い。ハリエット・ビーチャー・ストウの『アンクル・トムの小屋』などは(歴史的資料としては長く残るだろうが)この類であろう₅」と述べる一方、『怒りの葡萄』は「この小説ははっきりとある時代の、ある所に住む人々の苦しみを描いているが、また、強者による弱者への圧迫を描いて普遍的なものをもっている₆」と述べており、より普遍的な探究がなされている作品をより評価している。彼の考えをふまえれば、『ハックルベリー・フィンの冒険』では、浮浪児が奴隷と逃亡するという特定の地域と時代の問題を扱いながらも、社会道徳と個人の良心の対立、既存の道徳を受け入れられないことから生じる葛藤という、より普遍的な問題を扱っているということになるのだろうか。

結論

 以上、文学や芸術の存在価値を否定する意見が出される一方、読まれ続ける文学作品が存在する理由は何なのかについて、問題の探究、普遍の探究、現実世界へのインパクトの項目に区分しながら考えを述べた。現実世界に存在する普遍的な主題を扱う文学作品は、人間社会や世界に存在する問題、人間の本性、世界観を深く認識するのに役立ちうるものであり、人々の幸福の増進に資する可能性を秘めている。これは文学作品が世に存在する理由の一つであろう。



引用文献
₁ 『あの頃の自分の事』で述べられている。
₂ 「作品を書くということは、主観的なインタレストを客観世界との連関のうちにおくことである。」桑原武夫. 1950. 「第一章 なぜ文学は人生に必要か」『文学入門』. 岩波書店. p17
₃ Vonnegut Jr., Kurt. “Address to the American Physical Society.” Wampeters Foma &
Granfalloons. St Albans: Panther, 1976. 99–108.
₄ 『パンセ』で述べられている
₅ L. T. ディキンソン, 上野直蔵訳. 1969. 『文学の学び方』南雲堂. p.73
₆ ibid. p.73

参考文献
L. T. ディキンソン, 上野直蔵訳. 1969. 『文学の学び方』南雲堂
桑原武夫. 1950. 『文学入門』. 岩波書店
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