第29話

文字数 3,145文字

 キングとの密約で行ったダミーの取引は、成功した。逮捕した三人は、自分が何でマトリに捕まったのか分からず、取調でも否認していた。認めてしまえば、覚せい剤二キロを売買した罪で収監されてしまう。二キロは大きい。末端の数グラムの取引と違い、長期刑が見込まれるからだ。三人は、
「取り引きを持ちかけて来た下村という人間が持って来た覚せい剤で、うち等の物じゃない」
 と言って、その場から逃げた三ツ矢に罪を擦り付けようとしていた。
「じゃあ、何で二千万円もの大金を持っていた。二キロのブツを買う為だろう」
「金は別な事に使うつもりだったんだ」
「別な事って何だ。納得いく答えを聞かせて貰おうか」
「不動産の買い付けの手付金だ」
「お前、嘘を吐くならもっと上手く吐け」
「嘘じゃねえ」
 主犯格の男は最後迄そう言って抵抗したが、他の二人が簡単に落ち、ぺらぺらと取引の全容を喋ってしまった。結局は主犯格の男も罪を認め、三人共起訴される事となった。
「三ツ矢君。君の働きによって今回は全てが上手く行った。感謝するよ」
 細田部長はデスクの前で三ツ矢を労った。
「まだキングの尻尾にしがみ付いた程度だが、今後もキングの事頼むぞ」
「はい。分かりました」
「三ツ矢、その後キングから何か言って来てはいないか?何故君だけが取引の現場から逃れる事が出来たのだとか」
 柳沢課長が、三ツ矢に尋ねた。
「それはありません。銃撃戦になって混乱の中、上手く逃れる事が出来たと言ったら、納得していました」
「そうか。もし今後怪しまれる事態になったら、即座に任務から離れるんだ。いいな」
「はい」
 もう遅い。自分はキングに取り込まれた男だ。心の中でそう呟き、仲間を裏切っている事に罪の意識が消えなかった。
「今回は上手く事が運んだが、同じ手は使えない。君が取引に加わってのやり方では、君の身が危うい。今度は情報を伝えてくれるだけでいいと思う」
「はい」
「くれぐれもマトリであることを悟られないように任務に就いて欲しい。キングへの取っ掛かりは君だけなのだからな」
「はい。注意して任務に就きます」
 細田部長は、三ツ矢の言葉に頷いた。
「ではこれで」
「ああ。頼んだぞ」
 三ツ矢は細田部長のデスクの前を離れ、自分のデスクへ向かった。今回の件についての報告書を纏める為だ。
「中区松影町日東ビル覚せい剤事犯について」、と題した報告書を書いていると、柳沢課長が傍に来た。
「三ツ矢、あの二キロの覚せい剤はこれ迄の仕事で手に入れた物か?」
 押収した二キロの覚せい剤の出処について、報告書に記載しなければならないようだ。
「はい。中田会との取引で得た物です」
「そうか。じゃあこっちの報告書同様、君の報告書にもその旨記載して置いてくれ」
 記載しないと不都合が生じるらしい。
「分かりました」
「他にもまだあるのか?」
「はい。多少は」
 三ツ矢は残り三キロ少々あるのを黙った。残りの覚せい剤は虎の子で、キングとの関りを継続するなら、残りの覚せい剤は自分の自由でなければならない。その上で三ツ矢は、
「押収した二キロを再び私に与えてくれませんか?キングとの取引にはどうしても大量の覚せい剤が必要です。キロ単位の取り引きじゃなければ、キングは出て来ません」
 と言った。その言葉に柳沢課長は、
「君の気持ちも分かるが、この前渡した量の覚せい剤が限界だ。済まん」
 と言って頭を下げた。
「何でも任務の為なら用意すると言って置きながら、要望に応えてやれなくて申し訳なく思っている。過酷な潜入捜査の為に必要な物は、他の事なら何でも聞くから、覚せい剤の件は我慢してくれ」
「分かりました」
 三ツ矢は、残りの覚せい剤と現金を使って、横浜分室には報告をしない取引を続け、手持ちの覚せい剤を増やす算段を考えなければならなかった。安藤の顔が浮かんだ。彼を使って又覚せい剤の売買をしなければいけない。
 横浜分室を出た三ツ矢は、初台のアジトへ向かう途中、久し振りに安藤へ電話を入れた。
(やあ。随分と久し振りじゃないですか。俺の事忘れたのかと思っちゃいましたよ)
(すまん。キングとの大きな取引があったのでな)
(ひょっとして横浜の事件の事?)
(早いな。もう耳に入っているのか?)
(シャブの世界は意外と狭いですからね。大きな取引があって、そこへマトリが駆け付けたとなっては、誰もが興味を持つよ)
(もう体は大丈夫なのか?)
(ぴんぴんしてますよ。手持ちのシャブも無くなったし、そろそろ何処からか仕入れなくちゃと思っていた処だよ)
(ならば丁度良い。おれも纏まった量の覚せい剤が欲しいんだ。勿論金もな。だから安く仕入れて売をし、かつ纏まった量の覚せい剤を手に入れたいんだ。協力してくれるか?)
(そういう話なら喜んで力になるよ。前と同じに俺にもシャブの分け前あるんだろ?)
(ああ。報酬は前と同じだ)
(じゃあ話は早い。今丁度中田会の所に出入りしていた仲買人が、売買先を探しているんだ。末端での売ではまどろっこしくて纏まった金が入らないから、大口の取引をしてくれる相手を探しているらしい)
(末端に卸すのでは満足出来ないのか?)
(末端との取引は利幅が大きくて旨いのだが、一遍に捌けないのが仲買人には面倒なんだろう)
(どれ位の量を捌きたいと言っているんだ?)
(取り敢えず一キロとの事だ)
(金額は?)
(グラム八千円)
 八百万円あれば取引出来る。
(その話。纏めてくれないか?)
(分かった。すぐに連絡するよ)
(頼む)
(話が纏まったなら、何時でもいいから電話をくれ)
(ああ。そうするよ)
 安藤との電話はそこで終わった。三ツ矢は初台のアジトへ行き、現金の残りを確認した。以前、安藤と何度か行った売で得た金がまだ多く残っていた。八百万で覚せい剤を買い、それを売の値段で売り抜けることが出来れば、大きな収入になる。幾らマトリの捜査員とはいえ、勝手に大口の取引で収入を得てはいけない。全て報告しなければならないのだが、三ツ矢は一切報告しなかった。
 任務の為とはいえ、自分は一体何をしているのだろうという気持ちになる。アジトのベッドで束の間の休息を取っていると、必ずと言っていい程自己嫌悪に陥る。キングのWになってしまった自分は、この先どう生きるのだろう。キングがこの世にいる限り、自分はWとしての人生を歩まなくてはいけないのか。ならいっそ、キングをこの世から排除出来たなら……。
 三ツ矢は懊悩(おうのう)した。幸恵と聖来の事。自分の将来の事。考えても考えても答えは出なかった。一瞬、キングを排除する考えが思い浮かんだが、家族の事を考えるとその考えは消えた。消えたが三ツ矢の頭の中でしこりのようにその考えは残った。
 夜になってキングから呼び出しの電話があった。初台のアジトからキングのアジト迄、車で十分少々だ。
「急に何のようです?」
「下村さん、あんたに良い話があるんだ」
「良い話?」
「そう。良い話」
「勿体付けないで早く話してくれ」
「OK、吉良。話してやれ」
 片時も離れずキングの傍にいる吉良が口を開いた。
「横浜の件でうちは現金を二千万程マトリに押収された。あんたも手持ちの覚せい剤を二キロ押収されたんだろ?今度はマトリとは関係なく、まともな取引をしたいと思っている。あんたとな」
「俺と?」
「ああ。あんたとだ。量は三キロ。値段はグラムで一万払う。どうだ、良い条件だろ」
「確かに。金額もそれだけ払って貰えれば文句は無い。だが、少し時間をくれないか」
「いいよ。そんなに慌てる事でも無い。あんたの都合がよくなったら何時でも言ってくれ。だが余り時間が空き過ぎてはいけない。期限は二週間でどうだ?」
「二週間か。分かったその条件を飲むよ」
「話は決定だ」
 吉良が三ツ矢に握手を求めて右手を差し出して来た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み